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アンドロイドねえちゃん  作者: 秋山 楓
アンドロイドねえちゃんとの別れ
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第5章 ユリアの中身

 従姉が帰った日の翌日、ユリアがいないことの寂しさを自覚してしまった僕は、地下の研究室に忍び込むことを決意した。元々、ユリア……つまりアンドロイドを開発するための地下研究室。もしかしたら、ユリアの記憶に関する解決法があるかもしれないと、子供ながらの安直な考えを抱いたからだ。


 もちろんユリアの親であり、かつ日本でも優秀な技術者の部類に入る両親が手を尽くした結果、ユリアの記憶はもう限界だと判断されたのだろう。それを今さらただの子供が掘り返したからといって、何かが変わるとも思えない。


 そんなことはわかっている。自分の行動が無駄であることは、理解している。

 でも、何かをせずにはいられなかった。

 行動すること自体が、解決への道のりを辿るものだと信じたかった。

 そして何よりも、自分の手でユリアを救いたかった。


 そう、ユリアの一番側にいた僕だからこそ、何か解決策が見つかるかもしれない。両親が見落とした、砂粒程度の希望を発見できるかもしれない。


 夢や霞みにも似た望みを抱き、僕はその日、立入禁止とされている地下研究室へと忍び込む。


***


「……」


 鍵を手にしたまま、地下への扉の前に佇んだ僕は、緊張のあまり息を呑んだ。


 平日の午後四時。五月とはいえ、太陽が西へ沈む気配すらみせない時間帯。寄り道をせず、まっすぐ帰ってきた僕は、すぐに計画を実行した。


 私服に着替え、両親の寝室から鍵を拝借し、扉の前へ。


 鍵の所在は、最初から知っていた。けど僕は今まで、地下の研究室に入ったことがなかった。


 探究心溢れる幼い頃は、地下室に興味はあれど、入る方法など皆目見当もつかなかった。いつも鍵が掛かっていたし、幼き日の僕は研究室という響きから、とてつもない科学力を駆使した施錠がされているものだと、勝手に思い込んでいた。まあこれはアニメや漫画で得たただのイメージなんだけど。


 そして研究室の鍵が両親の寝室にあることを知ってからは、地下への興味も徐々に薄れ始めていた。そのときにはすでに、両親がどのような仕事に携わっているのか知っていたし、それゆえ両親を誇りに思う僕は、仕事の邪魔をしたくなかったのだ。


 もちろん、絶対に入ってはいけないと念を押した両親の警告が、僕が今まで立ち入らなかった主な理由ではあるけれども。


 だからこそ僕は今、震えているのだと思う。

 両親の言いつけを破る罪悪感のせいで。

 これまで決して両親に逆らわなかった僕が、初めてする反抗。

 反抗期と言ってしまえば、聞こえは多少よくなるかもしれないが……。


 僕はそれをユリアのせいにしているんじゃないかと気づき、身震いしていた。

 ユリアを助けるために、ユリアを言い訳にして、禁忌を破ろうとしている。

 そんな自分が、どうしようもなく醜い存在に思えて、尻込みした。


「いや、考えるのはもうよそう」


 決意を固めるために、わざと声に出して邪念を振り払う。


 鍵を鍵穴に合わせ、回した。カチャリと乾いた音が鳴り、僕の動揺を誘う。

 扉は内側に開いた。ゆっくりと、薄気味悪いほどの無音で地下室への入り口を作る。


 中は真っ暗だった。地下室なのだから当然だ。窓はなく、誰もいないから電灯も消されている。僕がこの扉を開けるまで、そこには一切の光も許さない、絶対的な闇が蔓延っていたのだろう。


 自分の家のはずなのに、僕は別次元へ迷い込んでしまった恐怖心を抱いていた。

 それでも、ここで引くわけにはいかない。もう後には戻れない。

 もう一度大きく深呼吸をしてから、僕は扉の中へと一歩踏み出した。


 僕の背後から差し入る光は、研究室の入り口のほんの一部を晒し出している。左手は壁。右手は手すりになっており、先はどうやら数段の段差になっているようだ。


 しかしこの暗闇の中、このまま進むのは危ない。まずは電気を点けたい。


 そのスイッチは探すまでもなく、壁際にあった。別段変ったものでもなく、どこの家庭でもある普通のスイッチであることが、手触りでわかった。


 恐る恐る、中指の腹でスイッチを押す。すると天井の電灯が数回点滅した後、地下室を煌々と照らしだした。


 研究室の中は、学校の教室程度の広さだった。しかし実際に歩き回れる面積は、その半分もないだろう。圧迫感で息が詰まりそうなほど、その地下室は物で溢れ返っていた。


 壁際には何台ものパソコンや、どういう用途があるのかまったく理解のできない大きな機械がいくつも設置されていた。それはもう、壁の色がまったくわからないと言っていいほど大きく、多い。今はどれも電源が入ってなさそうではあるが、もしすべての機械を起動させたのならば、それらの電磁波で気が狂いそうになるだろう。


 さらには、床に這う何本ものケーブル。いや、床だけじゃない。天井も、壁の隅にも、毛細血管のように張り巡らされた管は、まるでこの地下室が一つの生き物のように見立てる演出をしていた。


 そして、そして――。


 部屋の中央に配置されたベッドが一つ。手術台のように、色濃く光が当てられたその上には、一人の人間が寝そべっていた。


 人間と……思いたい。

 アレが人間だと、肯定したい。

 そうしなければ、僕はユリアを――、


「違う……」


 ベッドの上の人間は、バラバラだった。


 服は着ていないが、しかし男性とも女性とも捉えられない体つき。よくわからない一人の人間が、首を、両腕を、両脚を、さらには胴体も腰の辺りで真っ二つにされていた。いや……それらは、引きちぎられていたと表現した方が正しいのかもしれない。


 後々冷静になって思い返してみれば、僕がその人間を見た第一印象としては、『蟹』が一番近かった。

 蟹を食べるとき、脚を根元から千切るだろう。そうすると、見えるはずだ。脚の付け根からはみ出した、骨と赤身が。


 ベッドに横たわる人間は、まさにそれだった。

 ただし異なるのは、それが生身ではないということ。

 首や腕や脚や腹からはみ出している物は、血でも筋肉でも骨でもなく――。


 ――無機質な、金属製のワイヤーだった。


「違う……」


 否定したい現状を凝視しながら、夢のような浮遊感を得た脚が、無意識に動く。

 入口の段差を下り、僕はタイルで覆われた地下室の床に立った。

 その位置だと、入口からは見えなかったいくつもの物体が、目に飛び込んでくる。


 無造作に転がった、人間の腕や脚。頭部だけのものもあれば、胴体だけのものもある。それらすべての付け根から、人間にはあるはずのない金属の管がはみ出ていた。


 唯一五体満足なのが一人だけいるものの、彼もしくは彼女は一切の衣類も身に纏わず、床に座り込んだまま微動だにしなかった。


 それはまるで、壊れてしまった人形のようで。

 それはまるで、起動させる前のユリアのようで。


「違う……」


 そういえば、そうだった。この地下室はユリアを、つまりアンドロイドを開発するために造られた施設だったんだ。


 もちろん、忘れていたわけではない。それを知っていたからこそ、僕はユリアを救う術を探してこの研究室に侵入したのだ。けど、失念していた。自分の思慮の浅さを呪いたい。


 ユリアを救うということは、ユリアが人間ではないと認めてしまうこと。

 ユリアを救うということは、ユリアの中身を知ってしまうということ。


 だから、最初から間違っていた。


 ユリアが人間だと信じたい僕の感情と、ユリアを助けるために彼女がアンドロイドであることを認めなければならない現実が矛盾を起こし、拒絶反応を繰り返す。


 その結果――僕は叫んだ。


「違う! こんなのは……こんなのはユリアじゃない!」


 激昂の果てに、僕はそこら辺に転がっていた片腕を手にした。骨組みが金属でできているそれはゆうに十キロはあっただろうが、持ち上げられない重さではない。無機質本来の冷たさを感じながら、両手で掴んだ片腕を頭の上まで振り上げ――、


 そのまま、力任せに振り下ろした。


 破壊の先はベッドの上。バラバラになったマネキンの胴体目がけて、現実を否定したい僕の一撃が下った。


 ドンッ! と鈍い音がして、ベッドの上の胴体が跳ねる。同時に反動を受けた僕は、衝撃に耐えられず尻もちをついてしまった。尾てい骨に鈍痛を受け、今が現実であることをさらに認識してしまう。


 それからの僕は、がむしゃらだった。無我夢中で、研究室のありとあらゆる物を壊した。

 人形の四肢でパソコンを殴りつけたり、床を這う電気コードを引き千切ったり。


 正直、僕はこのときのことをあまり良く覚えてはいない。頭に血が上り、脳が熱に侵されていたからだろう。風邪を引き寝込んだときのように、僕の記憶は曖昧で所々欠けていた。


 けど、初めて破壊衝動が生まれたそのときの感情は、今も僕の中に鮮明に残っている。

 それは自分の主張を受け入れてもらえない、駄々っ子と同じものだった。


 自らの希望と現実が食い違い、感情を理性で抑えることができず暴走。さらにタチの悪いことに、僕は無力な子供とは違い、成長期真っ只中でそれなりに腕力もあった。故にストレスの発散方法として、多少重量のある物を破壊できたことは不運だったかもしれない。


 まあ、要するに僕は、まだまだ子供だったのだ。


 ほどなくして疲れ果てた僕は、研究室の中心で膝を折った。そして子供らしく、大声を上げて泣いた。泣き叫んだ。それはもう、涙も喉も嗄れるほどに。

 何時間も、何時間も――。


***


 激しい音とともに、思考が一瞬だけ飛んだ。頭の中が真っ白になり、目がチカチカする。


 そして平手打ちをされた頬は徐々に痛みだし、同時に熱を帯び始めた。体中の血液が、頬を中心として巡っているよう。熱されすぎた打撲傷を冷ますかのように、自然と涙が零れおちた。


 でもこの涙は、頬の痛みに対して流れたものじゃない。

 だって僕は、心の方が何十倍も痛かったのだから。


「…………」


 平手打ちの反動で首を横に傾けたまま、僕は正面の人物から眼を逸らしていた。


 僕を殴ったのは、父親だった。


 研究室で暴れ回った後、時も忘れるほど泣き叫んでいた僕は、両親が帰宅したことすら気づかなかった。彼らは僕が家の中にいないことを変に思い、僕の叫び声を耳にして地下に下りてきた結果、あの惨状を目の当たりにする。


 もちろん両親も、最初は強盗か何かを疑った。しかし泣きながらも正直に語った僕の言葉を徐々に理解し、現状を知った。まあ、嗚咽混じりの支離滅裂な単語でしか説明できなかったため、すべてを話し終えるのには相当な時間を要したけど。


 そして地下研究室を滅茶苦茶にしたのが僕だとわかると、父親は無言のまま殴った。

 頭を軽く叩かれたことは何度もあるけど、頬を殴られたのは初めてだった。


「なあ、太郎。どうしてお父さんが怒っているか、わかるか?」


 ドスの効いた低い声。凄みのある威厳を醸し出しながら、父親は僕の前に立ちはだかる。

 声を聞いただけで、大きく肩が揺れてしまった。父親の一挙手一投足に敏感に反応してしまうほど、僕は威圧され怯えていた。


 自分が何故怒られているかは、痛いほどよくわかっている。だからこそ、拗ねることもなく素直に怒られているのだ。自分が圧倒的に悪いと理解してから。


 自らの答えを伝えるべく、まずは「うん」と頷いてから、恐る恐る僕は答えた。


「僕が……お父さんたちの研究を……めちゃくちゃに壊したから……」


 両親が長年積み重ねてきた研究を、僕は自分の感情にまかせて壊してしまった。そこには理由も理屈も、誰にとっての正義もない。ただ他人に不快を与えるだけの、絶対的な悪行だったのだ。


 父親が怒り心頭で僕を殴るのも合理。

 ようやく冷静になった僕が、自責の念に駆られて後悔するのも当然。

 本当に、自分の情けなさが過ぎて死にたくなる。


 法廷で判決が下される罪人の如く、僕は目を閉じて父親からの言葉を待った。

 しかし父親の口から出た解答は、まったくもって予想外のものだった。


「違う。お父さんは別に、研究室を荒らしたことを責めているわけじゃない」

「…………え?」

「それどころか、お前が暴れたくなった理由も理解しているつもりだ」


 意味がわからなかった。

 逸らした顔を父親に向けると、彼は怒っているというよりも、むしろ苦しそうな悲しそうな笑みを見せていた。


「ユリアの中身を……見たんだろ?」


 先ほどとは違った意味で、両肩が大きく上下した。僕の心中を的確に指摘され、動揺してしまったのだ。

 意外そうな瞳を向けた僕の反応を図星と取ったのか、父親が続けた。


「ユリアを本物の姉と慕っていたお前だ。彼女の人間とは違う部分を見せられて、少し取り乱しただけだろう? お前が現実を否定したくて暴れたのは、痛いほどわかる」


 ぐっと息を呑みこむように、父親は首を大きく縦に振った。

 未だに彼の言っていることが理解できない僕は、呆気に取られたまま父親の目を見据える。


「お父さんが怒っているのはな、お前が勝手に地下室に入ったことだ。入ってはいけないと言っていたのに、お前は言いつけを無視して忍びこんだ。お父さんはな、お前に規則を破るような人間にはなってほしくないんだよ」


 父親の腕が僕の頭へ伸び、手の甲で軽く叩いた。次に手の平で、頭頂部をわしゃわしゃと乱暴に撫でられる。


 そのときの僕は――いつの間にか泣いていた。

 叩かれたり、撫でられたことが痛かったわけではない。

 それどころか、体中のどこも痛くはなかった。

 ただ、苦しかった。心が握り潰されるように、胸の筋肉が収縮するように。

 自分が佇んでいた場所が、いかに狭い箱庭だったことを認識し、僕は圧迫感に苦しんでいた。


「うぅ……うぅ……」


 再び嗚咽が漏れだし、心の破片が涙とともに溢れだす。

 僕は、本当に馬鹿だった。

 こんなに近くに、僕の理解者がいたのに。無条件で信頼できる、近しい人がいたのに。

 僕は両親を役立たずと決めつけて、一人で問題を解決しようと奮闘していた。

 無知で、傲慢で、独りよがりで、本物の愚か者だった。

 だからこその涙。自分の馬鹿さ加減で苦しむのと同時に、触れ合えるほどの身近に肉親の温かみがあることを自覚し、安心から気持ちが緩んでしまっていた。


「なあ、太郎」

「…………うん?」


 僕の肩に手を掛け、父親が僕と顔の高さを合わせて言った。


「ユリアに会いたいか?」

「…………」


 彼女の名を聞き、瞬く間にユリアとの思い出が蘇ってきた。

 ユリアの笑顔。ユリアの声。ユリアと話したこと。ユリアと行った場所。

 結局、別れる間際は露骨に彼女を避けていたけれど、でも……だからこそ、未練がある。

 僕は――、


「僕は……ユリアに会いたい!」


 決意するように、懇願するように、僕は父親の目を真っ直ぐ見据えたまま宣言した。

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