第4章 ユリアの原型 その2
突然の従姉の訪問で身構えてはいたけれど、僕の性的な欲求が刺激されるだけで、他はユリアがいたときとあまり変わり映えがしなかった。
一緒に買い物に行ったことも、夕食を作ってくれたことも、遊び相手になってくれたことも、すべてユリアがいた頃と同じ。むしろ異なるところを見つける方が困難なほど、従姉は完璧にユリアの陰に被さっていた。
だからこそ僕の心が容易に動いてしまったのは、必然だったのかもしれない。
僕の愛した女性が消えてしまい、すぐに彼女の代わりとなる女性が現れた。その女性は彼女と瓜二つの容姿を持ち、性格も仕草もすべて同じだった。代理どころか、コピー。僕の愛した人そのもの。ただしそれでだけではなく――、
――彼女は、人間だった。
ビームを撃つことや驚異的な脚力を持つこともなく、また機能の限界で僕を悩ませることなどない、普通の人間。愛しい人が、当たり前のように側にいてくれる未来が、僕の望むものだった。
改めて言うことでもないかもしれないが、このときの僕は、たった一日の間で、ユリアに対する恋心が従姉へと移り変わっていった。
しかし別れはすぐにやってくる。二泊三日など、ちょっと目を閉じて時間の流れに身を任せてしまえば、すぐに過ぎ去ってしまうものだ。過ごした時間が楽しいものであれば、より一層早く感じられるだろう。
僕はこの三日間を、とても楽しく過ごせた。それはもう、大好きなユリアの存在など、一時も頭の中をよぎらなかったくらいに。従姉の存在が、失われたユリアの穴を完璧に埋めてくれていたから。
だから僕は、従姉との別れをとても惜しんだ。帰らないでと泣き喚き、駄々っ子のような振る舞いはさすがに恥ずかしくてしなかったが、内心では実際にそうしようかどうか迷ったほどだ。たった三日間だけだったというのに、それだけ僕は従姉に依存していた。
***
「たっくんは、好きな人とかいるの?」
ニヤけた笑顔でそう問うてきたのは、三日目の昼だった。滞在最終日ではあるが、帰りの新幹線まで多少の余裕があるということで、二人で雑談に励んでいた。主に昔を思い返してみたり、従姉と合わなくなってからの小学校生活を話していたのだが、急にこれだ。いや、僕の学生生活を聴きたいと言ってきたときから、従姉はこういう方向の話にしたかったに違いない。
不意の質問に虚を衝かれた僕は、ベッドに腰掛けた体勢のまま固まってしまった。その露骨な反応に、勉強机の椅子に行儀悪く座った従姉が、さらに邪悪な笑みへと変化させる。
「い、いないよ!」
咄嗟に否定してみたものの、どうやら完全に遅かったらしい。従姉は、僕に好きな人がいることを確信していた。
「そんなはずはないでしょ。中学生にもなって好きな女の子がいないなんて、不健全だぞ」
「不健全?」
僕が知っている不健全の意味と違う。二十歳になっていないのにタバコを吸ったり、お酒を飲んだり、法律的に禁止されていなくても、運動不足など健康に悪いことが不健全なんじゃないだろうか。
学校で習っていないことを言われて、ちょっと困惑。
「中学生で好きな人がいるのは普通なの。普通じゃないのが不健全。よって今好きな人がいないたっくんは、不健全」
「えー」
なんという暴論。口を尖らせて不満げに反論しようかと思ったが、従姉の持論は少しおかしいことにふと気がつく。
「だからって、僕に好きな人がいたとしても、それをお姉ちゃんに話す義務はない!」
「そんなことはないぞ。私には幼い頃からたっくんを見ている責任があるのだ」
「それもどうかと思うけど……」
つくづく好きな人を暴露する理由にはなっていないな。
ともあれ、何故だか僕が言わなきゃならないような雰囲気になった。従姉が未だに顔を緩めながら「ホレホレ」と催促していることもあるだろうが、しかしどうしてだろう。好きな人を暴露することに、それほど嫌悪していない自分がいる。
けど――、
僕はアンドロイドのユリアが好きだ。でも彼女がいなくなってしまった今、何もかもが瓜二つのあなたが好きです。……なんて言えるわけがない。
「まあ……一応、いないこともないけど」
と断っておいてから、僕は声を小さくして答えた。
「中学なってから違うクラスになっちゃったけど、僕の好きな人は天野さんって女の子」
もちろん、半分嘘だ。天野さんのことは修学旅行時までは本当に好きだったけど、現状では何とも思わなくなっていた。初めて彼女のセーラー服姿を見たときは、少なからずドキリとしてしまったものの、クラスも異なり、顔も頻繁に会わせることもなくなった今は、彼女を見ても過去のホロ苦い思い出が浮かぶだけ。
だから今の答えは、従姉の質問をはぐらかすだけのものだった。天野さんのことを詳しく訊かれたら、適当に答えればいい。もう好きでもないんだから、恥ずかしがる必要もないし。
「その天野さんって女の子は、小学校から一緒だったの?」
「そうだよ」
「ふーん」
と訳ありげに頷いた従姉が、天井を仰いで何かを思い出す仕草をした。
「あー、なるほど。あの子か。確かに可愛いもんねぇ」
「えっ!?」
咄嗟に驚きの声を上げてしまったが、従姉が天野さんを知っているはずはない。
僕と従姉が疎遠になったのは、七年も昔のこと。僕が小学校に入ってすぐだ。そんな時期に天野さんに恋していたわけでもないし、ましてや僕の学校のクラスメイトなど、従姉が知るすべはないはず。
だから……ハッタリか?
「じゃーん。実は事前にこれで確認していたのでした」
「いつの間に!?」
従姉が背中から取り出した一冊の本は、小学校の卒業アルバムだった。
「いやー、やっぱ男の子だね。可愛い子を率先して好きになるなんて」
と呟きながら、彼女は卒業アルバムをパラパラとめくり始めた。
僕は従姉の手の早さに呆気に取られながら、ただただ呆然とするばかりだ。
「でもさ、六年生は同じクラスだったっぽいけど、なんだか天野さんと一緒に写ってる写真多くない? ほら、これとかさ」
「そ、そりゃ、修学旅行は一緒の班だったし。他の人よりは多く写ってると思うよ」
「へー、そうだったんだ」
修学旅行時の写真は、ほとんど天野さんと写っているはずだ。それがツーショットであるか他の班員と写っているかどうかの差はあれ、今の僕にとっては良い意味で苦い思い出である。
ただ、恋色沙汰で他人からちょっかいを出されることには、僕はまだ慣れていない。
「もしかして、修学旅行でもう告白とか済ませちゃったとか」
「う……」
即座に否定できなかった狼狽が、従姉の興味をさらに湧き立たせてしまったようだ。
「まさか本当に告白したの!?」
「違う。告白は……してない」
あれはなんて表現すればいいんだろうか。告白は間違いなくしていないけど、でもフラれはした。だから……何なんだろう。適当な言葉が浮かばない。
「逆に告白されたとか?」
「それはない」
「じゃあ、これから告白する予定とかは?」
「それもない!」
だんだんと腹が立ってきた。本気でキレているわけではないけれど、従姉の僕をおちょくる言動が、いちいち苛立たせる。僕だってもう中学生だ。しかも男の子でもあるため、他人に遊ばれることを面白くないと思うプライドくらいある。
「なんだぁ、つまんないの。自分の気持ちを言葉にしないと、相手にちゃんと伝わらないぞ」
「お姉ちゃんには関係ないでしょ」
と吐き捨て、僕は立ち上がって彼女の前へと手を伸ばした。
「いいかげん、それ返してよ」
わざとらしく怒りっぽい言い方で、従姉が僕を弄る元凶となった卒業アルバムの返還を要求する。しかし従姉は悪戯っぽく舌を出しただけで、冊子を返すどころか閉じる素振りも見せなかった。
「やーよー、まだ全部見てないもの」
「お姉ちゃんは見なくていいの」
「なにそれ、差別?」
フフっと小さな笑いを零しながら、従姉もまた立ち上がり、両腕を大きく振り上げて卒業アルバムを天井へと掲げる。
「返して欲しければ、無理やり奪ってみなさーい」
「…………」
まるでどこぞのガキ大将のようだ。年甲斐もないバカげた行動に失笑してしまったものの、それはそれで愉快でもあった。従姉の無邪気な振る舞いが、昔を思い出す。小さい頃、彼女にオモチャを取り上げられて、返して返してと泣き喚いてたっけ。
思い出が苛立ちの緩和剤になったのか、それだけでさっきまでの不機嫌が晴れた。
代わりに、従姉の茶番に付き合ってやろうかという気が芽生える。
「返してよぅ」
「渡すものか」
ただの茶番である。昔は鉄塔のように背の高い従姉がさらに手を掲げるので、幼き僕は彼女の顔に触れるだけでも精一杯だった。
しかし今は違う。久しぶりに顔を合わせたときに背比べしたように、僕と従姉は同じ程度の身長、いやもしかしたら、僅かばかり僕の方が大きいかもしれないのだ。全力で背筋を伸ばさずとも、卒業アルバムまで軽々と手が届く。
簡単に奪い返せるから、というわけでもないが、僕はすぐにアルバムに触れようとはしなかった。ちょっとだけ遊んでから、あっさりと取り返してやろう。成長した僕を見せ付けるよとにより、虐められていた昔の復讐にもなるはずだ。
そう。最初は本当に、ただ単に従姉と戯れたかっただけなんだ。
「返せってば」
笑いを押し殺した、上っ面だけの不機嫌な声音で僕は言った。
そして片手で従姉の肩を掴み、それを反動とするようにして、もう片方の腕で天井に近い卒業アルバムの奪還を試みる。もちろん、本気ではない。簡単に触れてしまいそうだったため、わざと肘を折って回避したくらいだ。
「ほーれほーれ、取れるもんなら取ってみろーい」
従姉もこれが冗談とわかっているに違いない。特に嫌がることもなく、また本気で奪われるのを阻止するわけでもなく、ただ僕を子供扱いするようにあしらっている。久々に対面した僕らは、いくら年月を経ようとも、あのときの延長線上でしかなかった。
でも……。
従姉弟同士というお互いの関係に変化は無くとも、昔と違うことも少なからずあった。
僕は身長が伸び、そして声変わりも経て野太い大人のそれへと変化した。内面的には女性に興味を持つのはもちろんのこと、男と女に関する知識も、それに対しての性的欲求も増えた。
そして昔と比べて一番違う変化は、やはり陰茎部分、さらに先日起こったオーガズムだと思う。まだ誰にも言ってはいないが、その経験はまさしく大人の階段を上ったという自信があった。
さらに従姉もまた、最後に会った七年前とは目を疑うほどの成長を遂げていた。
ペッタンコだった胸は風船を膨らませるように大きくなり、全体的に凹凸の激しい体つき。それに巧みな化粧は、それだけで大人の魅力を感じさせ、昔と比べて完全に赤抜けたように見える。僕との共通する思い出がなければ、別人だと言われても納得してしまうくらいだ。
年月は平等に過ぎ、僕たちを大人へと導いてくれた。
そして僕らは男と女。従姉弟同士だからといって、七年もあっていなければ、ほとんど赤の他人に等しいだろう。その上僕は、従姉と瓜二つのユリアを、そういう眼で見ていた。
冗談とはいえ、不用意に従姉に触れてしまったことが、僕の欲求を駆り立ててしまった。
近い、近い、近い。
美しく繊細な髪が顔に触れ、心地良い匂いが僕の鼻腔をくすぐった。
顎の下辺りから聞こえる従姉の黄色い声が、煩悩を刺激し、興奮を煽る。
急激に体温が上昇し、心臓が高鳴った。熱くなった陰茎が勃起の準備を始める。ただそこは従姉と密着してはいないため、まだ気づかれてはいないと思うが。
そしてお互い認め合った戯れが、新しい欲求を生んだ。
それは僕がいつもユリアに向けていた想い。
彼女に触れたい。彼女とエッチなことをしたい。
ユリアと瓜二つの従姉がこんなにも近くにいる現状、悪ふざけの皮を被った僕の性欲は一線を越えてしまい――、
魔が差した。
「んあ……」
空気の抜けるような喘ぎ声を漏らし、従姉は突然卒業アルバムを落とした。重力に為すがままの冊子は、ページを開いたまま床へ叩きつけられた。
しかし卒業アルバムの行方など、すでに僕の意識には入っていなかった。
視覚はユリアと瓜二つの従姉を映し出し、嗅覚は甘い匂い一色に占領され、味覚は大量発生した唾液の味で広がり、聴覚は彼女の喘ぎ声に興奮し、そして最も意識を集中させている触覚は幸せで一杯だった。
左手から伝わる柔らかい感触は、僕の脳を狂おしいほどに陶酔させる。
僕は従姉の肩に置いた手を離し、そのまま位置を下げて、さりげなく彼女の胸を触った。
ただそれだけで満足できるはずもない。押し、揉む。手の平で持ち上げるようにしてから、全体を撫で回す。あくまでも、自然に。僕が意図的に彼女の胸に触っていると悟られないように、偶然触れてしまったと言わんばかりの控えめに。
服の上からとはいえ、片手では収まりきらないほど豊満な胸は弾力があり、それでいて柔軟性があった。そしてその柔らかさは、過去の記憶と重なる。
その記憶とは、もちろんユリアのこと。
従姉の胸は、ユリアの胸と同じくらい柔らかかった。優しかった。包容力があった。
胸から手を離す一瞬の間に、僕は思う。
やっぱり、この人だ。この人しかいない。ユリアの代わりになれる人は、従姉以外には存在しない。そしてユリアを愛していた僕は、そのまま従姉を愛すことができる。彼女は人間であり、僕らを隔てる障害は何もない。
想いを、伝えよう。
一歩下がり、従姉から離れ、僕は自分の素直な気持ちを告白しようと、口を開いた。
だがしかし――、
距離を置いて、真正面から彼女の顔を見据えた僕は、息を詰まらせた。
「あ…………」
従姉は、無表情だった。
さっきまでの戯れが嘘だったかのように、笑顔を消していた。
半眼に開かれた瞳は、軽蔑するかのようにじっと僕を捉えて離さない。
突如仮面を被った従姉の顔は、冷酷そのもの。視線も表情も態度も、何もかもが徐々に温度を下げていく。
ただそれでいて、熱気にも似た彼女の憤りが漏れだしているのが感じ取れた。
「たっくん、今の絶対にわざとだよね」
「……っ!」
鋭く突き刺さった指摘は、僕に言葉を失わせた。極度の緊張が筋肉の操作を不可能にし、喉が上手く開かない。結果、聞くに堪えない掠れた音が、口から抜けるばかり。まるで蛇に睨まれた蛙だ。生命の危機とまでは行かずとも、彼女の眼光には下の者を怯ませる力があった。
しかし戸惑い恐怖すら感じている僕に対して、従姉はただじっと容赦ない視線を向けてくるのみ。
僕はたまらず彼女から視線を外した。
「ご……」
自然に喉元を落ちた唾液が、一度目の発言を失敗させた。
唾液を嚥下するとともに、覚悟も一緒に飲み込む。
「……ごめんなさい」
「ん」
やっとのことで絞り出した謝罪の言葉に、従姉は表情を変えぬまま、ただ小さくぞんざいに頷いただけだった。
それからお互いの間に流れた雰囲気は、最悪だった。
どちらからともなく会話を切り出そうとすることもなく、また放置させられた卒業アルバムを拾おうともしない。ただただ沈黙ばかりが生産され、僕らは場の空気をさらに重くすることに専念していた。
従姉は再び椅子に腰を下ろし、無口のまま拗ねたように明後日の方向を向いていた。
僕も元通りベッドに座り、叱られた子供のように身体を丸めて脱力していた。
そのまま時間だけが無駄に流れるも、この状況がいつまでも続くわけがない。悪くなりすぎたこの雰囲気を打開する案が思いついたとか、従姉が反省する僕を許してくれたというわけではない。
ただ単純に、従姉の帰る時間となったのだ。
「そろそろ時間ね」
呟いた彼女は立ち上がり、僕に目もくれぬまま退室していった。
残されたのは、膝を抱えて縮まる惨めな少年一人。
結局この後、従姉が新幹線に乗り込むまでに、会話どころかまともな別れの挨拶をすることもできなかった。
***
何が駄目だったのか、何が間違っていたのかは、すぐに理解できた。
ただ信じられなかった。現実を受け入れることができなかった。
拒絶されるなんて、夢にも思わなかった。
現状の認識ができなくなっていたほど、このときの僕は勘違いをし、頭の先からつま先まで幻想に染まっていたんだと思う。
自分とユリアが結ばれない理由は、人間とアンドロイドだからという勘違い。
久しぶりに会った従姉を、ユリアがそのまま人間に置き換えてしまった幻想。
ユリアと従姉。容姿や仕草や口ぶりがいくら瓜二つとはいえ、二人はまったくの別人なのだ。それはアンドロイドと人間という違いだけではない。生まれてから過ごしてきた時間。その間に得た知識や出来事。そして何より、僕とともに過ごした時間が、圧倒的に異なっていた。
七年もの間、僕と従姉は疎遠になっていたのだ。その間、彼女は僕の知らない何かを見て何かを体験し何かを学んだ。僕も同じ。従姉とは違う場所で、自分の人生を過ごした。
僕と従姉は、紛れもない赤の他人だった。
つい先日まで一緒に暮らしていたユリアとはまったく異なる、赤の他人。
その赤の他人の胸を、僕は許可なく触れてしまった。
これじゃあ、ただの痴漢だ。
惨めだ。情けない。
自分の行為が愚かすぎて、泣きなくなる。
でも――、
左手に残った感触は、消えなかった。忘れることなどできなかった。
それと同時に、そのときに抱いた印象が、僕の感性を支配する。
従姉の胸に触れて想起された、ユリアの姿。
二人の姿が重なるも、従姉は僕を拒絶することを知ってしまった。
だから今の僕には、ユリアしかいない。
狂おしいほどに、愛しい。
嗚呼、会いたい。ユリアに会いたい。
僕はやっぱり、ユリアが側にいなければダメなんだ。




