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アンドロイドねえちゃん  作者: 秋山 楓
アンドロイドねえちゃんとの別れ
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第2章 初体験

 その夜、ユリアが僕の部屋にやってきた。


 部屋は電灯を灯さず、まるで今の心情を表すかのように暗闇を創造したかったがしかし、生地の薄いカーテンはぼんやりと外の光を招いてしまう。結果、光の届く水底のような青色が、僕の部屋を覆っていた。


 僕はベッドの上でうつ伏せになりながら、首だけを回した。入り口で佇む、ユリアの輪郭を捉える。


「たっくん……」

「……」


 僕は応えなかった。代わりに顔を枕に埋めることで、拒絶の意を表す。


 すると意識の端っこで、衣擦れの音と共に足音が聞こえた。同時に、遠慮がちに閉められる扉の音。人間大の物体が近づく気配がする。そのままユリアは、僕の隣にゆっくりと座った。


 僕は枕と腕の隙間から、盗み見るように目を開いた。どうやら彼女はベッドの側面を背にして床に座っているのか、僕の視線の先には丁度ユリアの後頭部があった。

 そのまま僕は再び目を閉じ、前置きなく彼女に呼びかけた。


「ねえ」

「うん?」

「ユリアの記憶、消えちゃうんだって」

「うん、知ってる。私もお父様たちから聞いたから」


 息が詰まった。心の奥底が収縮し、元に戻る反動で、抑えている感情が飛び散ってしまいそうな勢い。噴水の如く溢れ出る感情は、蓋をしたとことろで完全に抑え込むことなどできるはずもなく、じわじわと僕の平常心を蝕んでいく。


 何が影響してそうなったかは、わからなかった。

 ユリアの口から聞いたことで、両親の話が現実だと認識してしまったからか。

 ユリアだけには否定してほしかった期待を裏切られたからか。

 ユリアの潔さが、僕に諦めろと言っているように聞こえたからか。


 どうして自分が震えているのか、わからない。


「ユリアはさ、僕と出会ってからのこと、全部覚えてるんだよね?」

「覚えてるよ」


 と言って、彼女は何故かクスリと笑った。


「たっくんが小学四年生までオネショしてたことや、お友達とエッチな本見てたことも全部ね」

「わーわー!」


 跳ね起き、大声を出すことでユリアの言葉を遮る。

 全部覚えてるってことは、そうだった。僕が消し去りたい黒歴史も全部ってことだ。うー、恥ずかしすぎて死にたくなる。

 でも……。


「ごめん。僕ははっきり覚えていないや。所々、霞んで見える」

「それは仕方のないことだよ。たっくんは人間だもの」


 その言葉は、僕の心を深く抉った。


 それはまるで……僕とユリアが違うモノだと言っているようで。

 ユリアが人間ではないと言っているようで……。


 ふと、ユリアがこちらを向いた。漆黒の後頭部が回り、青白く照らされたユリアの顔がこちらを見る。

 顔を上げた僕と、黒曜石のような彼女の瞳が、視線を結ぶ。


 僕はいつかのときと同じように、無意識に彼女の頬に触れていた。続いて顎、首筋、そしてうなじの辺りへと、彼女の輪郭をなぞるように右手を這わせる。


 その感触は、どうしようもなく人間のものなのに。

 どうして彼女は、人間ではないのだろう。


 触れているうちに、だんだん気持ちが高鳴ってきた。温かな膜が全身を覆っているかのように、風邪を引き発熱したみたいに、体温が急上昇する。這わせる右手をいったん止めて、僕は「ユリア」と呟いた。


「なーに?」


 いつもと変わらない、彼女の何気ない声。しかしその聞き慣れた返事ですらも、今の僕はいちいち刺激されていた。


 鼓動が、早くなる。思考が、沸騰する。

 大好きな女性に触れているという実感が、自分の欲望を叶えていた。

 だけど、それ以上に行きたい。一つ叶えたのなら、またその先を望みたい。

 湧き立つがままの卑下た本能と、性格に根付く羞恥心がせめぎ合う。


 大好きな彼女が欲しくて。

 大好きな彼女に嫌われたくなくて。


 どちらにも転びそうな葛藤はしかし、突きつけられた現実により片方へと後押しされる。

 それは、ユリアとの別れ。

 どうせしばらく会えず、記憶を消されるのなら――、

 ――僕は言ってしまった。


「僕……ユリアとエッチなことしたい」


 目を逸らしながら、胃の中のわだかまりを吐きだすように。

 ユリアを好きになってからずっと抱いていた感情を、口にしてしまった。

 じっと、待つ。知恵熱で加速された脳内は一つ一つの思考をゆっくりと見せ、永遠にも似た時間が僕の周囲を取り巻く。


 そして次第に芽生えてきたのは、恥ずかしさと後悔だった。取り返しのつかない過去の行動が、重圧として僕の上へとさらにのしかかる。


 しかしいくら待てども、ユリアからの返答はない。僕は瞼に張り付いた重く鈍い眼球を動かし、彼女に視線を移した。


 彼女は曖昧に笑ったまま……首を横に振っていた。


「エッチなことは、将来好きになった女の子とね」

「僕はユリアが好きだ!」


 薄暗闇の中の咆哮はしかし、ユリアを微動だにすることさえできなかった。

 彼女はただ、機械的に首を横に振るばかり。


「ダメだよ。私はアンドロイド。人間じゃない」

「――ッ!?」


 ……言われてしまった。僕が許容と拒絶の境を彷徨っていた現実を、ユリアの口から簡単に言われてしまった。


 ユリアはアンドロイド。ユリアは人間ではない。

 その一つの事実を誰が認めようと、たとえ僕が現実に屈しようとも、ユリアだけには言ってほしくなかった。


「う……」


 理性を飲み込むほどの感情がすべて混じり合い、一つの衝動へと収束する。爆発する悲しみはただあるがままに流れ出て、そして涙という物体へと変化した。

 雨にでも降られているかのような大量の涙が、自らの頬を伝う。


「ごめんね。私の言葉が、たっくんを泣かせちゃったようだね」

「う……。ユゥ……」


 ユリアのせいじゃないよ。そう言いたかったはずなのに、言葉にならなかった。


 嗚咽にもならない痙攣が、喉元を襲う。止まらないシャックリのように気持ち悪く、息苦しい。胸の奥につっかえたもどかしさは、悲しみを媒介として力をつけた。身体の中で、よくわからない何かが大手を振って暴れている。


 その何かが恐く、僕は涙を拭う名目で、再び枕へと顔を埋めた。

 すると後頭部から、柔らかな手の平の感触が伝わった。駄々っ子をあやすように、軽く撫でられる。


「エッチなことはできないけど、また昔みたいに膝枕してあげよっか?」

「……うん」


 悩むこともなく僕は床に下りて、正座するユリアの腿の上に頭を載せた。服で遮られてはいるが、目の前にユリアのヘソがあることを想像してしまい、少しだけ頬が紅潮する。


「ふふ。久しぶりよね、こうやってたっくんを膝枕するの」

「そうだね」


 本当に何日ぶりだろうか。ユリアと出会ってから丸三年なので、いくら懐かしいといえどそれ以上の時間は経っていないはず。明確には覚えていないが、小学五年生辺りまで、ユリアの腿の上で昼寝もしてたっけ。


 いや、最後の膝枕はいつだったかとかはどうでもいい。大切なのは、変わらないこと。

 頬に当たる、柔らかな感触。肌を伝う、温かさ。鼻腔をくすぐる、甘い匂い。


 何もかもが、昔と一緒だった。


 変わらない。ユリアはいつまでたっても、そのまんま。

 それなのに、どうしてこれからも変わらずにはいられないのだろう。

 どうしてそのままではいけないのだろう。

 どうして――、


「どうしてユリアはアンドロイドなんだろうね」

「さあ?」


 僕の疑問に、ユリアははにかんで答えた。


 正答が無いのは承知の上。理不尽に対する不満はやつ当たる場所がなく、不快感に耐えながら胸の奥にしまい込む。代わりに僕は、ユリアの服をギュッと握った。その行為は、現在の幸福を噛み締めるための、不満に対してのささやかな抵抗。


 安心感で包まれたこの空間が、とても心地よかった。


 両親から課せられた選択など、もうどうでもいいくらいに、僕はこの瞬間に酔っていた。

 記憶とか、過去のこととか、未来のこととか、どうでもいい。僕はいつまでもこうしていたい。ユリアの側にいたい。ユリアに触れていたい。ずっと今のままがいい。


 幸せに埋もれたまま、意識がゆっくりと遠のいて行く。安らぎがまどろみを誘い、瞼が重くなってきた。僕はこの甘美な一時に負け、もうすぐ眠ってしまうだろう。そうなる前に、僕はもう一度、ユリアの顔を見上げた。


「おやすみ」


 堕ちる意識の端でユリアの声が届き、そのままストンと底辺まで落下した。

 そうして僕は頭の中をユリアで満たしたまま、幸福の温もりへと身を投じていった。






 浮遊感が漂う夢を二度ほど見た後、ふと現実へと引き戻された。瞼を開ければ、深い青色に染まった天井が目に入る。夢と現が入り乱れた頭でも、ここが自分の部屋だということは瞬時に理解できた。


 ただし、僕はベッドの上で仰向けに寝ころんでいた。ユリアの腿とはまた違う布団の柔らかさが、全身の疲れを癒してくれる。


 手の平で目頭を覆ってから、首だけを捻り、僕は室内を見渡した。そこは人間もアンドロイドもいない、静かな空間。群青色に染まる直方体の中で息をするのは、僕一人のみ。


「ユリ……ア……?」


 彼女の名前を呼んでも、返事はない。それはつまり、もうこの部屋に彼女はいないという事実。

 僕は一度だけ大きく息を吐き、再び目頭を手の平で覆うことで、視界を暗闇へと染めた。


 いいや、わかっている。ユリアは別にいなくなってしまったわけではない。僕が眠ってしまったため、ベッドの上へ運び、静かに退室しただけだ。間違いなくこの家の中にいる。それはベッドから起き上がって、ちょっと歩けば、またいつものように顔を合わせ、会話できる距離。ほんの数十秒ほど我慢すれば、また寝入ってしまう前の快楽を味わうことができる。


 けど、僕はそれをしなかった。できなかった。


 胸に詰まるもどかしさが、ユリアを失った反動で一気に弾けたからだ。恐怖していた感情が手の届く場所まで溢れ出て、身動きとれずにいる。さらにそれは僕が動けないのをいいことに、思考の奥まで浸食を進めていった。


 支えてくれる人が側にいない寂しい環境が、僕を妄想へと駆り立てる。


 目の前に現れたユリアは、裸だった。僕は両腕を伸ばし、吸い寄せられるように彼女の双丘に触れる。そして柔らかいその感触を確かめるため、乱暴に揉みしだく。それから抱きしめるように密着し、僕は胸の谷間に顔を埋めた。顔面全体で、ユリアの温かさを実感する。


 ただし、まだ性に対しての知識が貧困な僕にとっては、そこまでの想像が精いっぱいだった。女の人を裸にして、あらゆる場所、特に胸などを自分の欲が赴くままに触りまくる。それが最上級にエッチなことと信じて、僕は妄想を続けた。


 しかしそれで十分だった。

 妄想といえど、愛する人をこの手で抱くことが快感だった。


「ユリア、ユリア……!」


 名前を呼び、脳内をさらにユリアで満たす。そうすることにより、恐れていた感情が快感に変わることを知ったからだ。自分の未知なる部分が、ユリアを媒介とすることで、その正体を現していく。同時に熱を持ったその快楽は下半身の方へと流れていき、絶頂を招いた。

 そして――、


 僕はこの日、初めての射精を体験した。


***


 それから数日間、僕は以前よりもユリアを避けていた。家に帰れば逃げるようにして自室に閉じこもり、顔を合わせても会話らしい会話をすることもなかった。少なくとも僕から声を掛けることはなかったし、ユリアの方から話しかけてきても、素っ気なく返事をするだけだった。


 だからといって、別にユリアのことを嫌いになったわけではない。

 避けていた理由は、僕の罪悪感のせいだ。


 性への芽生えが、ユリアをそういう眼でしか見られなくなってしまった罪悪感。

 妄想といえど、この手でユリアを穢してしまった罪悪感。

 あの夜に起こったことすべてが、僕にとっては禁忌として刻みこまれていた。


 しかしよそよそしい僕の態度も、そう長くは続かなかった。


 ユリアを意識的に避けていた僕は、これから間違いなく起こる現実からも、完全に目を逸らしていた。自分から行動を起こすこともなく、与えられた選択肢を自らの手で選ぶこともなく、僕はただただその日が来ることを恐れるだけだった。


 そう。両親から告げられた、ユリアの記憶に関する選択をせぬまま――、

 ユリアはこの家から消えてしまった。

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