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アンドロイドねえちゃん  作者: 秋山 楓
アンドロイドねえちゃんとの別れ
11/18

第1章 ユリアの限界

 自分の本当の気持ちに気づいた小学六年時。修学旅行を終えてから、僕は天野さんを見る目が普通になった。いや、むしろ他の女子と接するよりも、嫌悪感を抱いていたかもしれない。気まずいとか、好きだという気持ちがばれて恥ずかしいとかではなく――、


 ただ単に、自分をフッた女の子に対するささやかな復讐のつもりだったんだと思う。

 もちろんバカみたいな意地という自覚はあったけれど、まあ言ってしまえばアレだ。好きな女の子にちょっかいを出して、意地悪する小学生と同じようなもの。僕の場合は、それがまったく逆になっただけなのだ。


 天野さんを好きだった気持ちが一気に霧散し、反動で逆に嫌悪するまでに至ってしまった。

 そして同時に、その気持ちに取って代わる人物を見つけ、天野さんに対する恋心すべてがユリアへと移行していった。


 僕はユリアのことが好きだ。誰よりも、何よりも、それこそ同年代の女の子に向ける『好き』という感覚を通り越して、『愛してる』と宣言してしまっても過言ではないほどに。


 だけど想いを伝えることはなかった。自分の気持ちを知られることが、どれだけ嫌な気分になるのか、天野さんという前例があったから。このときの僕は、自分の気持ちを知られないため、ユリアを前にするたび必死にひた隠ししていた覚えがある。正直、この気持ちを悟られまいと、どれだけ苦労したことやら。


 しかしそんな生活が嫌だったわけではない。


 ユリアは相変わらず優しく接してくれるし、僕は適度に彼女に甘えていた。今にも爆発してしまいそうな感情を抱えていたんだけれども、それ以上に、このままユリアと一緒にいることが、変わらない日々を送ることが心地良かった。


***


 僕の願望が努力へと変わり、姉弟の関係に変化がないまま、吹き抜ける一迅の風のように一瞬のうちに一年が過ぎ去っていた。


 小学校を卒業し、少し大きめの学ランを着て、中学へと進学する。


 とは言っても、周囲の環境はあまり変化しなかった。ただ学ランを着て、通う学校の場所が変わり、クラスに見知らぬ顔が増えただけ。私立中学へ通う子以外は、そのまま一番近くの公立中学へ通うため、ほとんどが顔なじみだった。別の小学校から上がってきた生徒も多くいるのだけれど、しかし人数的な勢力でいえば僕の小学校の生徒が大多数を占めていたので、転校生のような疎外感を受けることはほとんどなかった。


 もちろん、いっちゃん、ミッチー、ボンザ、そして予想通りというか期待外れというか、天野さんまでもが同じ中学へと進学していた。ただ一学年五クラスもあるので、三年の間で彼女と同じクラスになることは、あんまりないんじゃないかと思う。


 ともあれ、小学生の延長線のような感覚で、僕はこの変化も変哲もない幸せな三年間を過ごすだろう。

 と――、

 楽観視していたからこそ、心に受けたダメージは大きかった。


***


 それは五月に入る少し前、あと一週間もしないうちにゴールデンウィークに入る時期だった。


 僕は突然、両親に呼び出された。


 顔を合わせれば何気ない会話くらいするものの、わざわざ呼び出されたことなど滅多にない。たったそれだけのことで、僕の緊張は一気に高まる。自分が何か悪いことをしてないかという不安。もしくは誕生日のようなサプライズパーティでもあるのかという期待。どちらにせよ見当すらつかないが、しかし――、


 このときの両親の顔は、過去にないほどに表情を強張らせていたと思う。

 僕は促されるまま、台所の自分の席へと座った。同時に両親も、僕の向かい側に座る。


 ユリアの姿は、ない。


「太郎。話というのは、ユリアのことなんだが」


 父親が、意を決したように口を開いた。

 僕はユリアの名を聞いただけで、得体の知れない感情が心の奥底で渦巻いているのを感じた。


「ユリアが、どうしたの?」

「少しだけ、覚悟を決めねばならん」

「――ッ!」


 その一言で、父親の言わんとしていることが、僕を呼び出した理由が瞬時に理解できた。

 それは……僕が必死になって拒否し続けていた、ユリアとの別れ。


「わかっていると思うが、ユリアは会社の物なんだ。プロジェクトの一環で、実験データを取ってるだけなんだよ」


 つまりデータを取り終わったから、もうこの家にはいられない……?

 絶対に忌避したい現実が目の前に現れ、感情という名の熱が思考を焦がす。

 全身を怒りに囚われた僕は、奮起する感情を抑えつけるのに精一杯だった。


「もう……会えないの?」


 理性の保てた言葉はしかし、とんでもなく小さく、情けないほどに儚げだった。

 それだけ僕は現実を受け入れ……真っ向から拒絶していたんだと思う。

 僕の問い掛けに、両親は真剣な面持ちでお互いの顔を見合わせた。


「嫌だ!!」


 抑えつけるのは、すでに限界だった。漏れた感情は短い拒絶の言葉となり、己の願望を吐露する。それがどんなに醜く、そしてどんなに届かぬ言葉であろうと、僕は忌むべき現実に真っ向から抵抗するつもりだった。

 だがしかし、宥めるような父親の言葉を聞き、僕の闘争心は僅かに霧散する。


「違うんだ、太郎。別にもう二度と会えないわけじゃない」

「……どういうこと?」

「会社に頼めば、ユリアはずっと家に置くことができる。もちろん、データ収集のため数日間会社に預けなきゃならないけどな」


 まったく意味がわからなかった。

 確かに今までユリアが日中に会社に行っていたことはあるけれど、日を跨いで家に帰ってこなかったことはない。それも数日間となれば、毎日ユリアと顔を合わせていた僕にとっては、多少の寂しさは感じるだろう。


 が、それが一体何だというのだ。ユリアが好きで、他者から見ても呆れるほど甘えている僕といえど、数日の離別が我慢できないほど子供じゃない。むしろ去年の修学旅行時に抱いたように、そろそろ少しは離れた方がいいかなと思っていた頃だ。もし両親がそれだけ僕のことを子供扱いしているのならば、少なからず腹が立つというもの。


 冷静になり、最悪な想像が取り越し苦労になると、全身を覆っていた熱が徐々に冷めていった。

 それを見越してか、数分の時間を置いてから、ようやく父親が次の言葉を紡いだ。


「問題なのは、ユリアの機能面なんだ」

「太郎は、ユリアと出会ったときのことを覚えてる?」


 母親の問い掛けにそちらへ視線を移し、僕は訝しげに思いながらも、ゆっくりと首肯した。

 ユリアと出会ったときのことは、今でも鮮明に覚えている。今から三年くらい前、ちょうどこの台所で眠っていたユリアを、僕が勝手に起動させてしまったんだ。ユリアを見た第一印象が強すぎて、まるで昨日の出来事のように思い出せる。


「じゃあ、どんな会話したとかは? 一言一句、思い出せる?」

「それは……」


 大まかな話の流れはぼんやりと残っているものの、一言一句間違いなく覚えているはずはない。そんなことは不可能だ。


「……覚えてない」

「そう、それが普通よ。でもね、ユリアは生まれてから今までのこと、全部覚えているのよ」

「?」


 未だに理解ができない。母親が何を言いたいのか。この会話の先が、どこへ着地するのか。また、何故彼らがそんなことを話すのか。


「ユリアはアンドロイドなの。そして人間とアンドロイドは違う。人間は昔の記憶を徐々に忘れることによって新しい記憶を取り入れるけど、アンドロイドはロボットだから、見たこと聞いたこと感じたことをすべて記憶してしまうの。それは記憶というより、記録かな。ビデオフィルムみたいなものよ。そこに映したものは、本体が劣化しない限り決して失われることはない」


 科学者であるためか、母親の言い回しは、中学に上がったばかりの僕にはやや難しかった。話を理解できないもどかしさが、無くなったはずの苛立ちを僅かながら彷彿させる。

 そして僕は責めるように、不満を発散させるように、イライラしながら母親に当たった。


「結局、何が言いたいの?」

「ユリアの記憶容量が限界なの」

「限界……?」

「人工知能といっても、所詮は人間が作り出した物。完璧じゃないわ。人間に限りなく近くはあるけれど、人間と同じことはできない。つまりね、太郎……」


 そこまで言い、母親は目を伏せ、言葉を区切るように一呼吸置いた。

 次に紡がれる言葉がこの会話の決定打と悟り、僕もまた息を呑んで待つ。


「脳の記憶容量が限界になると、ユリアはそれ以上何も覚えられなくなるわ」

「!?」


 物事を記憶できないということは、生きていく上で致命的なんじゃないだろうか。

 でも――、

 ユリアはアンドロイドだ。そもそも、最初から生きてはいない。

 生きていない? じゃあ僕は、生きてない物を好きになったのか? 機械の塊を好きになったというのか?

 違う! 僕はユリアを好きになったんだ。機械の塊なんかじゃない。ユリアはユリアであり、会話もできるし触れ合うこともできる。そして何より、思い出を語り合うこともできるんだ。だから違う。ユリアは機械の塊なんかじゃ――、


「太郎」

「……え?」


 呼ばれ、気づいた。顔を上げれば、両親が心配そうにこちらを見つめている。


 そして自らに起こっている異変も、実感する。


 いつの間にか呼吸が荒くなっており、全身に冷たい汗がこびり付いていた。加えて熱中症にも似た、軽い眩暈。そして呼ばれるまで両親と話をしていたことすら忘れてしまっていた自閉。


 僕は、不可避の現実を目の前に晒され、混乱していた。

 いやでも――両親は、まだ肝心なことを言っていない。僕が何を覚悟する必要があるのか、もしくはその解決策があるのか。


 背中を丸め、嘔吐感にも似た吐息を漏らしながら、僕は声低く訊いた。


「僕は……どうすればいいの?」


 まるで命乞いのような懇願だった。

 その真剣さを真摯に受け止めるように、父親もまた誠実に答える。


「これから先、まだユリアと一緒に居たいと言うのなら、お前は選ばなければならない」

「選ぶ?」

「そうだ。ユリアの記憶についてどう処理するか、実は父さんたちも困ってるんだ。だから太郎、ユリアを一番慕っていたお前にその選択を委ねた方がいいと判断した」


 その選択は、解決策になるのだろうか?

 淡い期待を抱きながら、僕は父親の言葉をじっと待つ。


「今のところお前に与えられる選択肢は、技術的に三つしかない。どれを選んだとしてもお前には辛い選択になると思うから……無理して決めなくてもいい。その場合は父さんたちで決める」

「いい。どんな結果になっても、僕が決めたい」

「……わかった」


 正直、ユリアのことに関して僕に相談してくれたことは、両親に感謝しなけらばならないだろう。僕の知らないところで、ユリアが変になるのは嫌だから。


「まず大前提として、ユリアの今までの記憶が無くなるわけじゃない。それらはバックアップを取って、しっかりと管理されているからな。だから問題の論点は、ユリア本体が覚えられる記憶が、約三年分ってことだ」

「じゃあユリアの頭の中にある記憶を全部他へ移して、ユリアの記憶を消しちゃえば、また三年分の記憶が新しく入れられるってこと?」

「察しが良いな。その通りだ」


 と、父親が真剣ながらも硬かった表情を緩ませて、僕を褒める。


 僕は理科の実験なんかで使う、ビーカーを思い浮かべていた。その中に徐々に水を注ぐ。ビーカーの容量がユリアの記憶容量の大きさで、水が日々蓄積されていく記憶だ。


 当然ながら、止めどなく水を注いでいけば、いつかはビーカー一杯にまで溜まるだろう。今のユリアがその状態なのだ。あと数滴の水を垂らすだけで、溜められた水はビーカー外へと溢れ出てしまう。


 ならばどうすればいいのかは明白。溜まった水を別のビーカーへと移し換えて、中身を空にすればいいのだ。そうすれば今までと同じ時間、つまり約三年の記憶が、ビーカーへと再び溜められることができる。


 父親の言う解決策の一つが、そういうこと。

 けどそれは、致命的な欠点がある。


「そうだ。今までの記憶を移した所と、ユリア自体は繋がっていない。つまりそれは、ユリアは今までの記憶をすべて忘れるということなんだ」


 ビーカー自体は同じでも、中身が違う。中身が空っぽ。

 容姿、言葉遣い、仕草、性格、すべてがどれだけユリアであったとしても、僕との築き上げてきた思い出が全部失われてしまうのなら――、


 ――それはもう、ほぼ別人なのではないのだろうか?


 そこまで想像が至り、僕は無言で首を横に振った。

 父親の方も僕が拒否するのを予想していたように、特に顔色を変えることはなかった。


「まあそう言うとは思った。人間だって、記憶を失うのは辛いものな」


 その言葉を聞き、心臓が一度だけドキリと跳ね上がった。

 アンドロイドであるユリアも、記憶を失うのはやっぱり……辛いのだろうか?


「二つ目の選択肢も、実は一つ目とあまり変わりがない。記憶を完璧に消さず、古いものから順に上書きしていく案だ」

「……どういうこと?」

「例えで言ったら、ビデオテープ……って言っても今の子にはわからんか」

「ところてんみたいなものよ。一番古い記憶を一番最初に外に出して、また後ろから新しい記憶を入れていくの」


 横から繰り出された母親の良い例えに父親は目を剥いていたが、ところてんを二度くらいしか目にしたことのない僕にとっては、そうそう明確に想像することはできなかった。でも一応は理解できたけど。


 先ほどのビーカーで例えるならば、ビーカーの底に小さな穴を開けるのだろう。その穴は注がれる水と、まったく同じ量が外へと出ていくように。そうすれば、ビーカー内の水の容量が変わることはない。


 古い記憶ほど忘れやすいのは人間も同じだけど、一概にそうとは言い切れない。僕自身も幼稚園の頃の断片的な記憶が残っていることもあれば、三日前の夕食ですら忘れているのだ。


 だけどビーカーの底に穴を開けるということは、外に出てしまった水を再び汲み取ることはできない。すなわちそれは、古い記憶から完璧に忘れてしまうということ。どんなに昔の記憶であれど、そのときに得た印象や衝撃によって覚えていられる人間とは、やっぱり……違う。


「最後の一つは?」


 僕は今の案を肯定も否定もせずに、先を急かした。

 言葉の中の感情はほとんどが焦燥で占めてはいるが、しかし落胆や失望に似た諦めも混じっていたかもしれない。


 アンドロイドであるユリアの限界を知ってしまったから。

 それにより、自分とユリアが違う存在だと実感してしまったから。

 どんなに案を講じようとも、アンドロイドを人間にすることは――できない。


「三つ目は記憶の取捨選択だ」

「取捨選択?」

「ああ。ユリアにとって必要な記憶と不必要な記憶に分けて、不必要な記憶だけを消す。そうすればいらない記憶を消した容量に、また新しく記憶を入れることができるだろ? まあ、いつかはまた限界が来るだろうが」

「それは――」


 急に光が差したような気がして、僕は咄嗟に顔を上げた。

 そして瞬時に理解する。


「そんなこともできるの?」

「……できる」


 父親の言葉に若干の躊躇いはあったものの、頷く仕草は力強かった。

 必要な記憶は残して、不必要な記憶だけ消す。それはまさに、人間と同じなんじゃないだろうか。先ほども考えた通り、僕だって最近のことより昔のことを覚えている場合もある。ならばユリアも大きな出来事だけ覚えていけば、人間に限りなく近づけることができる。


 もちろん消した記憶は完璧に忘れてしまうものの、先の二つの案よりかは断ぜんマシなはずだ。

 すでに半分諦めかけていた反動なのだろう。僕は起死回生をはかれそうな、目の前の可能背に即座に飛びついた。


「ただしこれにも欠点がある」

「消した記憶は完璧に忘れちゃうってこと?」

「それもある。が、もっと大切なことだ」


 もっと大切なこと? 何だろう。僕には到底思いつかない。

 すると今度は、母親が言葉を続けた。


「そもそも、誰がその記憶を選ぶの?」

「え?」

「この話の論点は、ユリアが見たこと聞いたことをすべて覚えちゃうってこと。もしユリアが自動的に記憶の取捨選択ができるなら、問題にはならないわ。けどそれができないから、私たちは話しあってる」

「つまり……どういうこと?」

「ユリアにとって必要な記憶、不必要な記憶を分けるのは、人間側でしか行えないってことよ」


 あ……と、僕は小さく悲鳴を上げてしまった。気づいてしまったのだ、両親の目論見に。


 ユリアの記憶容量が限界という話を、僕にした本当の理由。

 それは、僕にユリアの記憶を取捨選択させること。


 三年間、一番ユリアと多くの時間を過ごしたのは僕だ。だからこそ、ユリアにとっての大切な思い出というのは、僕と一緒にいるときのことが多いだろう。


 そして何より、ユリアにとっての僕と過ごした大切な思い出=僕にとってのユリアと過ごした大切な思い出と、両親は信じているに違いない。


 だから僕の記憶にある、ユリアと過ごした日々をそのまま残せば、それはそのままユリアの必要な記憶となるはずだ。


 前二つの案は、単なる前置き。僕に状況の理解と整理、そして興奮を抑えつけるためだけに説明したに過ぎない。両親は最初から、ユリアの記憶は取捨選択をしようと決めていたのだ。そしてその役目を、僕に……。


「何も強制的にとは言わないわ。嫌ならそれでいいし、その場合はお父さんとお母さんでやるから」


 と聞いて、僕は身体を強張らせた。

 僕とユリアの大切な思い出を、両親といえど勝手に選ばれるのは嫌だ。

 でも……。


「ユリアの記憶はユリアだけのものだ。他人の都合で選んじゃっていいのかな」


 本心が、無意識のうちに口から出てしまっていた。その言葉は両親の耳にも届いていたようであり、二人は気まずそうに顔を見合わせる。


「ともあれだ、太郎。まだ時間はある。どうするべきか、十分に考えなさい」

「もっと何か良い方法はないの?」


 席を立った父親に縋りつくようにそう言うと、彼は落胆にも似た溜め息を零した。


「前にも言ったはずだよ、太郎」


 そして父親は、僕に真っ向から現実を見せ付ける言葉を吐いた。


「ユリアは人間じゃない。アンドロイドだ。そこを……見誤るな」


 そして僕らの家族会議は終了した。

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