第二章~増殖~ 第三節:孵化
鬼の増殖が進む中、三人娘の前に現れたのは・・・
第三節:孵化
武志はまどろんでいた。
腹の傷の痛みももう薄れている。「鬼」の尾の先に刺された時の恐怖も、なんだか夢の中の出来事のようで、ぼんやりとしている。
「鬼」。
確かにあいつは、「鬼」だ。子供の頃の絵本で見た姿のまま。いや、絵本の「鬼」はどこか愛嬌があったけど、こいつにはそんなユーモラスな雰囲気は皆無だ。ただただ恐ろしい、人を食う化け物。和樹の身体を一瞬でねじ切り、光男を一呑みにした、人食い鬼。
武志の横には、以前、「健介」だったものが眠っているはずだ。多分、今の武志と同じ姿で。ここがどこなのか、さっぱり分からない。二人以外にも、何人かの人が、近くに横たわっているはずだ。そういえば、健介は、気を失ったまま、尾に刺されたから、あの時の絶望を味わうことはなかったんだな。俺は間が悪かった。「鬼」が健介に「卵」を産み付けている時に、目が覚めてしまったから。
武志が意識を取り戻した時、「鬼」がちょうど、健介の上にのしかかっているところだった。「鬼」の下半身から延びた巨大な尾が、健介の腹に突き刺さっていた。尾が脈動しているのが分かった。何かが、「鬼」の身体から、健介の身体の中に入り込んでいく。
「卵」だ、と直感した。昔、昆虫図鑑で見たことがある、蝶の幼虫に卵を産み付ける蜂の姿にそっくりだ。
逃げなきゃ、と、身じろぎした途端、木の幹ほどもある腕が伸びてきて、がっちり身体を押さえこまれた。息もできない。声も出ない。首をひねると、健介の向こうに、何か白い細長い塊が見えた。1つ、2つ。3つ以上。昔、何かの映画で見たことがある。巨大な化け物クモの毒針に刺されて意識を失った主人公が、クモの糸にぐるぐる巻きにされて、エジプトのミイラのような白い塊になってしまう。あの姿。巨大な「繭」。
健介に突き刺さっていた「鬼」の尾が引き抜かれた。「鬼」が満足気な唸り声を上げながら、今度は武志の方に身体を向けてくる。恐怖でかすみそうになる武志の視野の端で、健介の腹の傷から、白い糸のようなものが噴き出してきた。見る間に、健介の身体を覆っていく。
やめてくれ、と叫ぼうとした途端、武志の腹に、「鬼」の尾が突き刺さった。激痛のあとに、熱い塊が腹の中に流れ込んでくる感覚が続いて、武志は絶叫した・・・
今、武志の心は穏やかだ。静かな、緩慢な死が近づいているのを、ただぼんやりと感じている。そこに恐怖はない。自分の身体が、全く別のものに浸食されて、身体の中にいる武志の存在がどんどん小さくなっていく。自分の身体の中で、熱い別のモノが、じわじわと成長しているのが分かる。自分の身体自体が、全く別の形に作りかえられていくのが分かる。身体がむくむくと大きくなっていく感覚が分かる。
俺は「鬼」になるのか。武志は思った。いや、俺の身体が、「鬼」の身体になるのだ。「鬼」が俺の身体を全て乗っ取った時、俺は死ぬ。
そして、俺の顔をした「鬼」が、他の人を襲い、再び卵を産む。
「鬼」は殖え続けるだろう。
この世の全ての人を、「鬼」に変えるまで。
武志の隣で、「健介」だったものがうごめく気配がした。
孵化が近いのだ。
「『鬼』は人に卵を産み付け、人を身体ごと乗っ取ってしまう。元の人の外見を少し留めていても、それは人じゃない。『鬼』そのものだ」イブキが言った。「『狐』は人と共生する生き方を選んだ。生き方はまるで違うけど、人に憑依するのは、『鬼』も『狐』も同じだ。」
「昔は同じ生き物だったのかもしれない」優が言った。「『鬼』が繁殖するには、『狐』が必要なんでしょう?同じ寄生生物だったものが、進化の過程で、枝分かれしたのかも。」
「でも、こちらの世界では、『鬼』は人を食べただけで、繁殖できるようになった」マドカが言った。
「こちらの世界にきて、『鬼』のパワーが増しているのを感じる」イブキが言った。「例え繁殖期とはいえ、あそこまで巨大化した『鬼』を見たことはなかった。世界の仕組みが違うんだろうか。」
「こちらの世界の方が、『鬼』が生きやすい環境なのかも」優が言った。
「『狐』の力に変化はないの?」菫が言った。
「あまり感じない」トンビが言った。「私の力も、まだまだ弱いし。」
「それって不公平じゃん」萌が口をとがらせた。「『鬼』ばっかり強くなってさ。」
「でも、あっちは1頭、こちらは3人だ」菫が言った。
「6人だよ」萌が言った。「『狐』が三匹、『人』が三人。」
「それも、『鬼』が子を増やしたら変わる」トンビが呟いた。
「あそこの家だよ」菫が言った。「犬塚町3丁目、4番地。加藤さん。」
「わざわざ来てくれてありがとう」応対してくれたのは、疲れた表情の若者だった。加藤雄一郎、と名乗った。
「美香さんとは同じ高校っていうだけで、そんなに親しいわけじゃないんです」萌がはきはき喋った。変に、「親友でした」なんて、見え透いた嘘をつく必要はない。話せる限りの本当のことを言う。隠さないといけない部分だけ、上手に隠す。
「私たちも、あいつに襲われて、なんとか命拾いしたんです。でも美香さんはさらわれたって聞いて」萌が続けた。「あいつがどんなに恐ろしいやつか、私たちが一番よく知ってる。被害をこれ以上拡げたくないんです。なんとか、あいつがどこに隠れているのか、探し出したい。手がかりが欲しいんです。」
「美香さんがさらわれたのを、お兄さんが目撃されたって聞いて」菫が言った。
「目撃したって言っても」雄一郎が言った。「一瞬のことだったから。」
「川の中から現れたんですよね」優が言った。
雄一郎が青ざめた。まだショックから立ち直っていないか、と、菫は思った。
おとり作戦が失敗して、こちらから、鬼の隠れ家を探索するしかない、となった時、目撃者に話を聞こう、と優が言いだした。加藤美香は、最初の被害者だから、「鬼」の隠れ家から一番近い場所で襲撃されたかもしれない。
被害者が同じ高校の女生徒だ、というのも、話を聞くのに好都合だ。でも、この青年の様子では、何か聞き取るといっても無理かも。
と、菫の横に座っていた萌が立ち上がった。雄一郎の側に座って、肘のあたりに触れた。雄一郎の身体から、緊張感が消えていくのが分かった。
「大変でしたね」萌が言った。
「いや」雄一郎が言った。「俺より、両親が参ってて。」
「そうでしょうね」萌が言った。
「あいつは、川の上流から来た。それは間違いないと思う。」雄一郎が言った。
「美香さんは赤い服を着ていた。あいつはそれに反応したんです」優が言った。
「赤い服?」雄一郎が言った。
「他の被害者にも共通しているんです。あいつは赤に異常に反応する。そして、犬にも弱い。」菫が言った。
「それで、俺じゃなくて、美香を」雄一郎が呟くように言った。「あの時、美香にコロンを任せておけば。」
「犬の名前、コロンっていうんですか?」萌が言った。「可愛い名前ですね。」
「久しぶりの帰省だったから、僕が連れて行くって言ったんです」雄一郎は手で顔を覆った。
「お兄さんのせいじゃない」萌が言った。
「俺が守ってやれなかったから」雄一郎は絞り出すように言った。
「お兄さんは悪くないから」萌が言った。ほとんど叱りつけるような、でも優しい声。
「何か、他に、覚えていることはないですか?」菫が言った。「あいつが逃げた方向とか、他に、あいつの動きで、不自然なことはなかったか。」
「あいつは」雄一郎が顔を上げた。「上を見て、歯をむき出した。」
「上?」優が言った。
「美香を捕まえて、僕に向かって来ようとして、まず、上を見あげて、歯をむいた。そして、吠え続けているコロンを見て、さらに歯をむき出して、うなった。」
「上を見た」菫が言った。「何を見たんだろう。」
「何にせよ、何か嫌なものを見つけたんだと思う」雄一郎が言った。
「他には何か?」優が言った時、部屋の外から悲鳴が聞こえた。女の人の悲鳴。そして、激しい犬の鳴き声。
「母さん」雄一郎が立ち上がって、部屋の外に飛び出した。三人は慌てて、後を追った。
台所に、母親らしい女性が倒れていて、雄一郎が彼女を助け起こしていた。その脇で、茶色いミニチュアダックスフンドが、狂ったように吠えながらまとわりついてくる。
「母さん」雄一郎が言うと、母親は、窓の外を指差した。「今、美香が。」
「美香が?」
雄一郎と三人が窓の外を一斉に見た。
「見えた。土手だ」優が走り出した。
玄関から外に飛び出したところで、三人は凝固した。
玄関の目の前に、禊川の土手があって、その上に、それはいた。
「美香?」三人の後ろで、雄一郎が呟いた。「いや、違う。美香じゃない。」
「もう人ですらない」イブキが言った。「『鬼』の幼体だ。孵化が始まったんだ。」
それは確かに、若い女性の面立ちを少し残していた。しかし、それはただの面影に過ぎなかった。親の「鬼」よりもかなり小さいが、それでも身長は2メートル以上あるだろう。盛り上がった筋肉と、赤黒い鉄を思わせる肌。長く伸びた尾、そして何より、血に飢えて燃える目。
その目が、土手の上にあるものを見上げた。歯を剥いて、ぐるるる、と唸り声を上げた。
「声」を放とうとした菫を、萌が制した。後ろに雄一郎がいる。
元「美香」という少女だったものは、さらに唸り声をあげて、禊川の上流へ向かって跳んだ。
そしてそれきり、見えなくなった。
BABYMETALの三人娘のキャラを意識して書いているつもりですが、だんだん萌(MOA-METAL)のキャラが妙に立ってきました。これからは優(YUI-METAL)も大活躍しますので、乞うご期待。これからは連載頻度を上げて、完結に向かって突き進みます!