第四章~均衡~ 第二節:激突
いよいよ、「鬼」との最終決戦に挑む三人娘。しかし、「鬼」は既に次の手を打っていた。
第二節:激突
「鬼」たちの眠りは浅かった。
身体の中に流し込んだ新たな力が全身に満ち、強烈な血への渇望が身体を焼く一方で、新たな力は激しい痛みも伴った。痛みは眠りを妨げ、半ば覚醒した意識の中で、「鬼」たちは血の夢を見て悶えた。同じ意識で結ばれた兄弟たちは、同じ夢の中で、無数の人を屠り、「狐憑き」を引き裂き、その体の中から「狐」を啜り出し、全身を貫く恍惚感に酔った。
それでも、彼らは生まれつきの戦士だった。眠りの中にあっても、周囲の微妙な変化に対する警戒が切れることはなかった。その警戒の網が、わずかに、小さく揺れた時、一頭の「鬼」が、はっと目を開いた。
森の奥、「鬼」の群れからかなり離れたところで、何かが、動いた。
「鬼」の餌にもならない小動物の類か、とも思われたが、目を開いた「鬼」は、少し上半身を上げて、森の木々の隙間を見つめた。何も見えない。森は静まり返り、遠く鳥の声や、風の音、そして、少し離れた高速道路を通る自動車の音がするだけだ。
自動車か。半ば眠っている「鬼」たちの共通意識の中に、苦い思いが湧き上がる。あの自動車と、自動車を動かしているものの力で、一頭の兄弟を失った。あちらの世界に比べて、こちらの世界には、「鬼」の力に対抗できる様々な「機械」がある。「繭」にした人の記憶の中にも、自動車だけでなく、さらに巨大な破壊力を持つ「機械」があることが記憶されていた。あの「機械」に対抗して、もっと「鬼」を増やすには、「鬼」の側でもあの「機械」の使い方を知らねばだめだ。
あちらの世界で子を産む力を失った「鬼」にとって、この世界は楽園だ。「狐憑き」は三匹しかおらず、その他の「人」は、「鬼」に対抗する術を知らない。唯一「機械」が対抗手段ではあるが、それもこちらの道具にしてしまえばいい。何よりも、「人」を食うだけで十分繁殖できるほどに、こちらの世界の大気や水が、「鬼」の身体に馴染む。そして新たな力の源、電気。
あの三匹の「狐憑き」を殲滅し、まずこの近辺の「人」を全て喰うか、「繭」に変える。そのためには、我ら親子兄弟だけでは数が十分とは言えない。新しい仲間をこちらに連れてこなければ。それもまとまった数の群れを。
「鬼」の群れが、人を蹂躙していく様を夢見て、「鬼」の兄弟たちはまた、陶酔の唸り声を上げる。「狐狩り」が終わったら、この世界で、「鬼」に対抗できるものはいない。存分に人を喰らい、「繭」にしてやる。「狐狩り」が終わったら・・・
その時、周囲の森が爆発した。
「バーベキューになっちゃいな!」萌が木の上から叫んだ。鬼のまな板の周囲の木が燃え盛っている。菫の「声」で、一瞬で上がった炎だ。
「そう簡単にはいかない」優が言うなり、炎の中から、3つの影が飛び出した。その一つに向かって、萌が右手を一閃した。爪が五つの炎の塊となり、「鬼」の背中に向かって矢のように飛ぶ。「鬼」が絶叫と共に森の中に墜落する。
「萌ちゃんの『技』も進化してますからね!」萌が叫ぶ。
もう一頭の「鬼」に、菫の「声」が命中し、「鬼」が一瞬で蒸発した。「すごいな」優が呟く。
「『技』に慣れてきたんだ」トンビが言った。「威力を集中できるようになった。」
「優、飛ばして!」萌が叫ぶ。さっき、萌の爪の攻撃を受けた「鬼」が、炎に包まれた森の中をよろめきながら走っているのが「見える」。
「飛べ!」優が叫んだ。途端に、よろよろと走っていた「鬼」の身体が、宙に弾き飛ばされるように飛んだ。萌の「爪」が、その首を切り裂いた。血を撒き散らしながら、「鬼」が落下していく。
「ちょっと手ごたえないんじゃないの!」萌が叫ぶ。
「油断しちゃだめ!」優が言う。「まだ2頭、あと3頭!」
「親の姿が見えない」逃げた「鬼」を追いながら、菫が言った。
「もう一頭いないよね」萌が言った。「朝のお散歩かな?」
「まずは目の前の一頭」菫が言った。「優、跳ばせ!」
三人は一気に飛翔した。
優のママは車を降りて、八櫛の滝に向かう道を登っていた。道の先から、ハイキング客の声が聞こえる。足を速めた。
「ここから先は危険ですよ!」5人連れほどのグループだ。振り返った。
「どうかしたんですか?」年長の男性が尋ねてくる。
「例の怪物が、この近くに出たらしいんです」優のママは言った。グループの全員がおびえた顔になった。「さっき、下で、別の人が言ってました。警察ももうすぐ来るって。」
「戻ろう」男性が言った。
「この先に登って行った人はいませんか?」優のママが聞くと、男性が、「僕らの前に1グループ、10人ほど」と答えた。優のママは、坂道を駆けあがった。
目の前の森の中で、赤黒い背中が一瞬見えた。優が「眼」で捕獲して、空中に跳ね上げる。手足をばたつかせ、なす術もなく森の上空に放り出された「鬼」を、菫の「声」が直撃した。ぼっと炎が上がり、細かい灰が宙にまき散らされて、「鬼」は蒸発した。川原を見つけて、そこに降り立つ。火照った体を、浅瀬に浸した。萌が歓声を上げる。
「あと二頭」菫が言った。息が上がっている。三人とも、疲労の色が濃い。
「空中戦続けると、思った以上に消耗するね」優が言った。「ちょっと休みたい。」
「チョコレート欲しい」菫が言った。「持ってる?」
「ちょっと最近ウェイト心配なんで」萌が言った。「飴なら持ってる。」
「さすが」菫が言う。
その時、森全体で鳴り響いていた、蝉の声が、一斉に止んだ。
山全体が静まり返った。ただ、川のせせらぎの音だけが聞こえる。
遠くで、低いうなり声や吠え声、複数の人の叫び声が上がった。
「なんか」萌が言った。「嫌な感じ。」
「あと二頭じゃ済まないな」菫が、飴をバリバリ噛み砕きながら呟いた。
襲ってきた吐き気をこらえながら、優のママは茫然と、千曳が淵のあった場所を見つめていた。
千曳が淵の底が隆起していた。巨大な岩が露出し、水の流れはその周囲に引き裂かれている。
露出した岩が重なる頂上に、巨大な穴が見える。
そして、その周囲は、血の海だ。
血にまみれたリュックサックが落ちている。
その紐に、引きちぎられた人の腕が引っかかっているのに気づいて、優のママはたまらず吐いた。
「『裂け目』から群れを呼んだのか」菫が言った。
「朝のお散歩じゃなかったんだね」萌が言った。
「少なくとも十頭はいる」イブキが言った。「気配が、こっちに向かっている。」
「いいんじゃない」萌が言った。目がぎらぎらしている。「手ごたえがなくって、イライラしてたのよ。」
「森に引き込む」優が言った。頭の赤いリボンを外した。「ゲリラ戦だ。」
片目の「鬼」は、異変に気づいて、群れの進行を制した。森の奥が燃えている。巣の方向だ。
先手を取られた、と分かって、片目の「鬼」は歯ぎしりした。電気の力を試す前に、「裂け目」から群れを呼べばよかった。あれで一晩無駄にした。おかげで、「狐憑き」に襲撃の時間を与えてしまった。
この手勢で、あの「狐憑き」を殲滅できるか。それとも、「裂け目」に戻って、援軍を呼んだ方がいいか。
あの三匹を侮ってはならない、という思いが一瞬浮かんだとき、森の中に、赤い色がひらめいた。
すかさず、跳躍した。
群れが後ろから殺到する。
ただの赤い布が、枝に引っかかっているだけ、と気付いて、しまった、と思った時には、群れの後方の「鬼」が数頭、絶叫と共に蒸発していた。
同時に、2頭ほどの「鬼」の身体が上空に吹き飛ばされた。
片目の「鬼」の周囲に、火の塊がびしびしと落ちてくる。
吠えた。
その声を合図に、群れが一斉に、森の中に散った。
その後に、2頭の「鬼」の身体が落ちてきた。2頭とも、首筋を断たれて絶命している。
再度吠えた。とにかく一旦戻って、陣営を立て直す。「裂け目」から来たばかりの「鬼」は、あの三匹の戦い方が分かっていない。
片目の「鬼」は身をひるがえして、「裂け目」に向かって跳んだ。
五頭ほどの「鬼」が、森の外への道筋を探して駆けていく。その視界に、真っ赤な色が飛び込んできた。
思わず立ち止まる。
木の枝にひっかけられた、赤いもの。裂け目の向こうでは見たことのないものだ。
少し光沢のある赤い色に惹きつけられ、五頭の「鬼」は、吸い寄せられるように近づいていく。
水の流れに沿って、なんとか滝の方へと進もうとして、優のママは硬直した。
絶え間なく落ちてくる滝の水の傍らに身を潜めた。
赤黒い巨大な「鬼」の姿が見えた。TVで見た「鬼」よりも、二回り、いや、もっと大きい。
振り返った顔の片目がつぶれている。これが、菫に目を潰された親の「鬼」か。
その後ろから、青光りする肌の、もう一頭の「鬼」が現れた。片腕がない。
腕の切断面と背中から激しく出血して、ふらついている。
さらにもう一頭。足を引きずっているが、他に傷は見えない。
他の「鬼」の姿はない。3頭も、消耗しきっている。
優のママは確信した。これは敗走する戦士の姿だ。優たちは勝った。
片目の「鬼」が、傷の軽い「鬼」に向かって、一声唸った。声をかけられた「鬼」が、滝壺に露出した巨大な穴の中に、姿を消した。
ふらついていた青い「鬼」が、がくり、と膝をつき、地響きを立てて倒れた。
片目の「鬼」が、そのそばに駆け寄った。助け起こす。
親子か?
優のママは身を乗り出して、二体の「鬼」の様子を見ようとした。
その時、片目の「鬼」が、こちらを見た。
次回、「第三節:恢復」。世界の「釣り合い」を恢復させるために、三人娘に突き付けられた究極の選択。三人娘はそれにどう立ち向かうのか。お楽しみに。