第四章~均衡~ 第一節:神話
古代の「技」を身に着けた三人。いよいよ決戦の時が迫る。その三人の前に現れた思いがけない人が、思いがけない物語を三人に告げる。
第四章~均衡~
第一節:神話
「雄一郎さん、タイホされちゃったの?」萌が叫んだ。
「タイホ、じゃないよ」スマホのメールを見ながら、優が言った。「参考人として話を聞きたいって、警察に呼ばれたんだって。」
「だったら、すぐ出てこれるね」菫が言った。
「どうだろう」優が言った。「話の辻褄が合わないと、警察は徹底的に追及してくるだろうし。私たちのことがばれるのは時間の問題じゃないかな。」
「急がないといけないけど」菫が言った。「雄一郎さんの車をあてにできないのは痛いな。」
鬼のまな板に乗り込んで、残る「鬼」たちを殲滅し、裂け目を塞ぐ、として、鬼のまな板の近くまでは、雄一郎の車をあてにしていた。鬼のまな板があるのは、百坂山からさらに平坂山系に延びる山奥だ。「狐憑き」の足でも、相当な距離がある。
「『狐憑き』には持久力がないから」イブキが言った。「戦いの前に、移動するだけで消耗してしまう。」
「私の『技』でも、飛翔距離には限界がある」優が言った。「一番近い登山口までは、雄一郎さんの車で、と思ってたんだけどね。」
「親に頼る?」萌が言った。「私がおねだりすれば絶対おっけーだけど。」
菫と優が顔を見合わせた。「それは避けたいなぁ。」
萌の両親は、あまり事情がよく分かっていないし、なんとなく状況を察している菫の両親も、あまり戦いに巻き込みたくない。優の両親は、
「論外でしょ」優が言った。「あれだけ説明しても、あの態度だよ。」
菫は、何か言葉を探すように口を開いたけれど、何も言えず黙ってしまった。
昨夜、優の部屋から、いきなり現れた菫と萌を見て、優のママはまさにパニックに陥った。菫が、テーブルの上にあった新聞紙を一瞬で灰にしてみせて、「鬼」に出会った時から、三人が特殊な能力を身に着けた、と説明しても、三人を見る怯えた視線は変わらなかった。桃太郎伝説と、百坂山の話をしたところで、優のママは、手を振って、「ちょっと黙って」と言った。「一人にしてちょうだい。」
そして今朝。優の家に二人が来ても、玄関に顔も出してくれない。
「私たちの中に、『狐』がいる、なんて話をしたら、多分気が狂うと思う」優が言った。
「仕方ない、足のことは別に考えるとして、『裂け目』を塞ぐ方法だな」菫が言った。
「優の『智恵』でも見えないの?」萌が言った。
優は目を閉じた。「裂け目」を塞ぐ、と心に念じてみる。心の中の「眼」が、時を超えていく。鏡に封じこめられた「技」の持ち主、古き時代の、「狐憑き」の戦士の視線に。
「夜の山が見える。星がとてもきれい」優が呟く。「山のところどころに炎が上がっている。山を丸く囲むように、明かりが見える。何人かの戦士が集まっている。『狐憑き』だけじゃない。人間の戦士も。松明が燃えている。みんな傷だらけだ。激しい戦いのあとみたいだ。」
「『鬼』をやっつけた後だね」萌が言った。
「松明を持っている人の輪ができている。その中心に、誰かが立っている。女の人だ」優が言う。
「女の人?」菫が言う。「戦士じゃないの?」
「戦士じゃない。地響きがする。何か巨大なものが動いている。黒い影が次第に沈み込んでいくような」優は目を開いた。「ここまで。」
「それだけ?」菫が言う。「なんだかよく分からないなぁ。」
「何か、最後の瞬間に、目をつぶっていたみたいなんだよね、この『狐憑き』の戦士が」優が言った。
「なんで大事な時に目をつぶるんだよ」萌が口をとがらせた。
「場所は?」菫が言う。
「暗くてよく分からない」優が言う。
「千曳が淵だと思う」声がした。優の部屋の入口に、優のママが立っていた。
「昨日、菫ちゃんが、桃太郎伝説と、百坂山の話をしたわね」優のママが言った。「百坂山、犬塚古墳、猿久保稲荷、鳥居ヶ池と、さらに平坂山系には『鬼』という文字のついた巨石遺跡が点在している。この土地は、桃太郎伝説と深い関係がある。それと、日本神話とも。」
「日本神話?」菫が言った。
「古事記」優のママが言った。「日本史で習ったでしょ?」
「日本史、赤点だったんだってば」菫が小さな声で言った。
「イザナミとイザナギの神話。知ってる?」優のママが言った。
「黄泉の世界に奥さんを探しに行って、逃げてくる話?」優が言った。
「そう。」優のママが言った。「黄泉の国でイザナギが見つけたイザナミは、8頭の鬼を従えた恐ろしい黄泉の支配者に変わっていた。逃げ出したイザナギは、黄泉の国からの追手に追われ、鬘を投げ、櫛を投げ、桃の実を投げて難を逃れる。そして、黄泉の国と現世の間に、巨大な岩を置いてその道を塞ぐ。
「『ここに千引の岩をその黄泉比良坂に引きさえて、その岩を中に置きて、各々むかい立つ。』」
三人はぽかんと、優のママを見つめていた。
「古事記の一節よ」言いながら、優のママが、手にした少し色あせた、薄い冊子を優に渡した。「平坂市は、黄泉比良坂。八櫛の滝は、イザナギが投げた櫛、百坂山は、桃の実。千曳が淵は、黄泉の国とこちらを塞ぐ千引の岩。そして、禊川は、黄泉の国から戻ってきたイザナギが、身を清めた川。」
「『平坂市周辺の地名と、日本神話、あるいは桃太郎伝説との相関についての考察』」優が冊子のタイトルを読み上げた。「これ、誰が書いたの?」
「私」優のママが言った。「私の大学の卒論。」
「最初から、優のママに聞けばよかったんじゃん」萌が茫然と言った。
「親を、なめるな」優のママが言った。
「昨日の夜中に、百坂山の近くで、大規模な停電があったらしい」優のママが言った。「送電線が何本か、切られたらしいよ。」
「あいつらだ」優が言った。「8人いた子供の半分を殺された。力を強くして、総力戦で、私たちを潰す気だ。」
「今日にも襲ってくるだろうね」菫が言った。
「勝てるの?」優のママが言った。
「あいつらがどれだけ強くなってるか、分からない」優が言った。「でも、私たちも強くなっている。」
「はっきり言って」と、萌が言った。「負ける気しません。」
「勝たないといけないんです」菫が言った。「勝たないと、もっとたくさんの人が死ぬ。」
しばらく沈黙して、優のママが言った。「私が車を出します。」
「あの服着て行こうよ」萌が言った。「TVで戦ってる優、かっこよかったもん。あれでいこう」
「正面突破だからね」優が言った。「いいかも。」
「翼の人形も持っていくよ」菫が言った。「私を守ってくれた人形だ。」
「いいよ」優が言った。
「絶対勝とう」菫が言った。「私たち三人で。」
「六人だよ」萌が言った。「優のママも入れれば、7人。」
「警察と戦っている雄一郎さんも入れたら、8人だね」優が言って、ちょっと笑った。
「どうしても行くのね」優のママが、車のハンドルを握って、言った。
「はい」菫が言った。
「自衛隊にでも来てもらいたいくらいだけど」優のママが言った。「あいつらはすぐにでもあなたたちを襲ってくる。時間がない。警察では歯が立たない。」
「あいつらを倒せるのは、私たちだけだ」優が言った。
「自分の子供をあんな化け物と戦わせたい親なんか」優のママが言った。「いるわけない。」
いいながら、ギアをドライブに入れて、車を発進させた。
登山口に着いた時、優のママは、優だけを呼んで、二人だけで話をしていた。
「萌のママは、なんか言ってたの?」菫が言った。
「別に何も」萌が言った。「私は優みたいに、TVで暴れたりしてませんから。」
「うちの親は薄々感づいてるみたい」菫が言った。「でも、ここまでは想像してないかな。」
「優のママ、すごいね」萌が言った。「あんなに腹くくっちゃうと思わなかった。」
優のママと優の話が終わって、優のママが、しっかり優を抱きしめているのが見えた。
「行こう」優が唇をぎゅっと引き締めて戻ってきた。「あいつらが固まっている姿が見える。まだ眠っている。電気ショックの影響がまだ残っているみたい。今なら、先手を打てる。」
「今日も暑いなぁ」萌が言った。「蚊よけスプレーと日焼け止め、ちゃんとした?」
「跳ぶよ!」菫が言った。
優。
私が病気で死の床にあった時、私はあなたのことばかり考えていた。
あなたを残して逝ってしまうこと。
あなたが大きく成長していく姿を、あなたの未来を見ることができないこと。
そして、ただ祈った。あなたの未来が幸福であることを。
素晴らしい友人に恵まれること。
そして、強くなってほしい、と願った。
母親を失っても、支えを失っても、一人で生き抜いていける、耐えられる、強い人になってほしいと。
今、こうやって生きながらえて、あなたを見守ることができる身体になって、
正直、あなたに危険な思いはさせたくない。
どんなに強い仲間がついていても。あなた自身が強くても、
安全な場所にいてほしい。
そんな危険なことは、人に任せておけばいいのにって、思う。
でも、あの時、あなたに、強くなってほしい、と願った母は、
あなたをただ見守るしかない。
私は、今、ここにいなかったはずの母だから。おまけの人生を生きている人間だから。
あなたが自分で決めて進もうとする道を、邪魔することができるはずのない、母だから。
でも、私の知っていることを伝えることはできる。
もう少し大人になって、読んでくれたらいいな、と思っていたあの論文。
私の学生生活の思い出が詰まった論文。
こんな風に役に立つとは思わなかったけど。
「鬼」に追われたら、3つのものを投げなさい。
必ず、あなたたちを守ってくれるはず。
そして、一つ、これは、心配ごとでもあるのだけど。
櫛、という地名と、八、という数字にも、何か意味がある。
日本神話には、ヤマタノオロチという大蛇の化け物が出てくるでしょう?
あのお話のヒロインは、クシナダヒメ、という。
クシナダヒメは、ヤマタノオロチにささげられる、生贄なの。
櫛、という言葉には、生贄との関連がある。
そして、千曳が淵には、生贄にされた母娘の伝説が残っている。
あなたが見た、女の人の姿は、「裂け目」を塞ぐためにささげられた、生贄かもしれない。
裂け目を塞ぐためには、何かしら犠牲が必要だ、ということなのかもしれない。
だから、「智恵」の戦士は、目を閉じたのかもしれない。その姿を正視することができなくて。
無茶しないで。気を付けて。
必ず無事で、戻ってくるんですよ。
三人娘は、私の娘の世代なので、どうしても親の視点から見てしまう傾向があります。我が子をしっかり見守っている親でありたい。どこかで我が子よりも先が見えている親でありたい。そんな私自身の願望が、優のママに投影されている気もします。
次回は、「第二節:激突」。いよいよ三人娘と、鬼の群れが激突します。お楽しみに。