第二話 衝突と解決
敵を排除する。その一言で、俺の中の潜在的な意識がゆっくりと立ち上がる。
それは直接的な悪意じゃない。自分が死ぬ未来を避ける為にプログラミングされたシステム。人間には火事場の馬鹿力なるものが存在するわけだが、俺やアリスはそれを自在に操る。要は、脳内に設定されたリミッターを解除する、という選択肢を常に持ち合わせているのだ。
本来は記憶の奥底で、忘却の波に晒されながら、徐々に風化させていくべき機能。
だが、その力を多少なり、使わなければならないようだ。
「お前、私が誰だか分かっているのか?」
「リーザ・アレイヴァル、だろ。お前が今名乗っただろうが」
「ハッ……。『神託十二騎士』を知らないとは、厚顔無恥とはまさにこの事か」
その一言で蘇るメイド長。いや、ヤツは意外としぶといから、きっとまだ生きているはずだ。
まぁ、そもそも、アイツは俺に対して突っ掛かる事が多い人間だった。俺が心配する義理もない。
とは言え、流石にアレと同列扱いされるのは心苦しい。
「『神託十二騎士』、唯一にして無二である『機創神』……又の名を、デウス・エクス・マキナ。その神の加護を受けた、最強の騎士………だったか」
デウス・エクス・マキナは、現在人工的に『修復』がなされている、現存する神の模型だ。万物の構造を知り、種という種の知識と知能と言語を理解し、世界を創造したとされる、機械の神。不老不死、常に時と共に存在し、運命や未来さえも理論値から推測して結果を変えてしまう。そんな、異形の神。
その加護を受けた━━━つまり、人体に何らかの処置・加工を施した、改造人間、というわけだ。
「なんだ、知っているのか」
「小耳に挟んだ程度だ」
「ならば、知っていて私の前に立ち塞がっているのだな?」
「当たり前だろ。例えお前がそこら辺のゴロツキだろうと、変わらず此処で仁王立ちしてるさ」
そうか。
その言葉は、きっと俺のような異常な五感が無ければ聞き取れないぐらいの、か細い声。
囁き、いや、呟きと同然のその言葉には、ゾッとするような冷たさが感じられた。
「なら━━━」
俺は静かに腰にぶら下げてある「武器」に手をかけた。
「死になさい」
ダンダン! と、一発目と二発目がほぼ同時に射出される。
数分の狂いも無く、一直線に眉間目掛けて飛来する弾丸を、俺は━━━。
「え………?」
薙ぎ払った。
腰にぶら下げていたのは、剣の柄。剣ではない、剣の柄だ。
そして、揺らめき立つのはほんのりと淡い紫色の輝き。
これは『儀礼剣』と呼ばれるもので、霊力━━魔力とも言うが、それの封入により、開花する兵装。
『儀礼剣』には精霊の力を封じ込めた品が多い。安価で出回るものは、微弱な魔力や霊力を蓄えているだけの代物に過ぎないが、それこそ、遺跡やら何やらで出土した一品に関しては、計り知れないモノが眠っている可能性が高い。
そして。
この剣の名前は、『ダーインスレイヴ』と言う。
使用者を呪い殺す、と畏怖される剣だ。
だが、その実は、『ダイン』━━と俺が呼称する、白い悪魔が眠っているだけの事。
そいつを手懐ければ、或いは対等な関係にあるのならば。
恐れることは何も無いのだ。
「リーザ・アレイヴァル。お前に見せてやるよ、お前がどれだけ━━井の中の蛙だったか、って事をな!」
加速、そして一閃。
滑らかで淀みの無い連結攻撃を、触れる一瞬、コンマ何秒のタイミングでリーザは避ける。
が、追撃は続く。
宙を舞ったリーザに向けて、剣閃を振るう。瞬間、紫色に揺らめく『ダーインスレイヴ』から、同色の剣戟━━剣気とでも言うべき、可視化した斬撃の波動が放たれる。それを中空で回転して回避、地上に降り立つ。その隙を逃さず、着地で体重を傾けたリーザに向けて、ロズは剣を地中に差し込む。
「『ヴァーティカルエナジー』!!」
瞬間、地面が真っ白な輝きを帯びて割れ始めた。
それは枝葉のように枝分かれし、そして、ターゲットへ向けて放射線状に放出する。
「ぐぅっ!?」
その中の一撃を浴びたリーザは、苦痛に表情を歪めながら、バックステップで距離を取る。
「『属性型』の魔法にはやっぱ、弱いみたいだな。相性が良くて助かるぜ、なぁ、ダイン」
『ロズ、おめェ、また勝手に俺様を使いやがったなァ? どうなるか分かってんのかァ、あァ!?』
「まぁ、落ち着けよ」
『チッ。相変わらずマイペースな野郎だ』
ダインの小言を一身に受けながら、ロズは屈み込んだリーザを見据える。
リーザ・アレイヴァル。確かにヤツの実力は相当なものだ。だが、どうやら相手は油断していたようだな。まさか、自分より何枚も上手の実力者が、こんな辺境の地に居るとは、思いも寄らなかったのだろう。丸腰に近かった俺に、武装がある事も感じ取れなかったようだし。
お互いの実力を知っている状態で戦っていたら、こうはならなかっただろう。
「……悪いが、どうやら包囲網も完成しつつあるらしい。逃げ出すのに手間取るのはナンセンスだからな。お前の右腕━━━『機核』があるんだろ? そいつを感電させて、麻痺させた。一時間は使い物にならん。さっさと撤退しろ。俺はさくっと撤退するがな」
そう言って背を向けると、弱弱しい声で、リーザは話しかけた。
「………お前、その力は……」
「『魔法』だよ。『魔術』とも言うがな。お前達が捨て去った過去の遺産さ。結局、お前らは改悪に改悪を続けた結果、振り出し以前に立ち戻ったってワケだ」
この差が、現に其れを示している。
結局、人間は歩むべき道を間違えたのだ。それも、大幅に、長い年数をかけて。
「………なぁ、こんな事を言うのは、場違いというか、罰当たり、なのかも知れないが…」
「……?」
「お前、私の配下にならないか? ………さっき逃げ出した二人、知り合いなのだろう? その二人も匿ってやる。言い訳は幾らでも考えてやるから、どうだ、ろうか…」
後半は息も絶え絶えになりながら、苦悶の表情を浮かべていた。
その時、俺の中で何かのフィルターが外れたような気がした。
目の前に写ったリーザは、非常に端正な顔立ちをしていた。エメラルド色の深い翡翠の瞳と、不健康さを感じさせない、明るく白い肌、腰まである艶やかなゴールドブロンド。メアよりは屈強な肉体だが、決して筋肉質ではなく、寧ろメアを少しばかり太らせたような、ほんの少し丸みを帯びた曲線。だが、それが一層女性らしさを醸し出している。
「………」
だが、答えは簡単だ。
仮にこの場合、ヤツの軍門に下るのは限りなく正解に近いだろう。しかし、それで満足するのは俺とアリスだけだ。メアは、メアはきっとヤツを許さない。ヤツが例え誰一人として民間人に危害を加えていないとしても、絶対に許しはしないだろう。
しかし、ヤツの━━リーザ・アレイヴァルの瞳に、縋るような淡い輝きを見たのもまた、事実。
「………チッ。敵が近いな」
「ま、待ってくれッ……!」
「悪いな。だが、時が経てば、また会う事もあるだろう」
悲痛な声を上げるリーザ。それはまるで、動けなくなった自分を置いていく旧友に叫ぶような声。
だが、俺は振り向きはしなかった。ただ、逃げる。あの場所へと向けて。
「待ってくれ、ロズ!!」
そう、叫んだ時には、例え俺の聴力であっても、聞こえない距離に、俺は居たのだった。
◆ ◆ ◆
東の旧祭壇━━━それは、山中深くに眠る、手付かずの遺跡群の事である。
かつては、神降ろしの儀式や、精霊対話、その他多くの魔術的儀式・呪術的儀式に使用されたと噂される霊力━━魔力の溜まり場だ。この場所は、謂わば自然のヒーリングスポット。魔力自体は人体に有害どころか、寧ろ自然治癒力や、生体機能の向上、精神状態の安定と、万能の効能を持つ一種の薬だ。
過剰摂取は毒になるのだが。
その場所は『急速稼動』でダメージを負った『核』を修復する為の、隠れ家としての利用価値もある。プラスとして、魔力を溜め込む良い機会でもあるし、何より、メアの掻き乱された心中の回復と言うか、その方向においても重要な拠点なわけだ。
前もって寝具等々の一式を持ち運んでおいて正解だった。
いや、そもそも、俺達がこの街に来てしまったコト自体が失敗だったのだから、寧ろマイナスか。
「あ、お兄ちゃん」
祭壇を目の前にまで迫ると、アリスが顔を出した。
どうやら寝具を引っ張り出していたのだろう、若干顔に煤が付いていた。
「メアは?」
「眠ってるよ。きっと、精神的疲労が身体にも影響して、一気にきちゃったんだと思う」
「仕方ないか……。アイツは、ああいうのは見慣れてないしな」
ああいった光景。それは、今でもフラッシュバックする、ついさっきの出来事。
時間にして三時間と少しが経過したわけだが、追っ手の類は見当たらない。リーザだったか、アイツは俺を仲間に加えたがっていたようだし、下手に手を出されるのを恐れて、敢えて俺を匿ったのだろう。眼下に見えるのは、もうもうと燃え上がる黒煙と燃える街。働き慣れたあの屋敷も、今じゃ全壊、見る影も無い。きっと非常事態慣れしてない主人は、ばっさりと切り捨てられたに違いない。
「………お兄ちゃん、やっぱり、マズかったのかな?」
「……マズいかどうかで言うなら、俺達が居て良い場合なんてもんは存在しない。限りなく良い状態に近いマズい状態なのか、限りなくダメな状態に近いマズい状態なのか、それだけだろ」
「けど、メアは……」
「あぁ。メアは何も悪くない。強いて言うなら、俺達と出会ってしまった、という運が悪かった」
無関係な人間を巻き込んだ。それは、俺達兄妹が最も恐れる事態であった。
俺達兄妹は俗世間的に言う所の「嫌われ者」だ。俺達の存在は異質だし、『旧暦』から居続ける帝国軍のお偉方にとっては、その地位や名声をぐら付かせるだけの切り札ともなる。彼らが重ねた悪行と、彼らが求める悪徳、その為に犠牲になった彼の王達、国々、民、『人類種』という種のプライド。
俺達はさながら、目の上のたんこぶ、といった所か。
「………だけど、だからって、メアを放って置く訳には行かない。あいつが目を覚まして、ある程度落ち着いた状態になったら、洗い浚い、話すしかないだろうな」
「メアは、嫌っちゃうかな、私達の事」
泣きそうな声で、自責の念に押しつぶされそうなか弱い声で、アリスは呟く。
アリスは俺と年が二つ離れている。16歳だ。メアは17歳。アリスはまだまだ子供だ。家事全般の役割を主婦同然の実力でこなす技能と、並外れた戦闘能力を除けば、花も恥らう乙女なのである。アリスが男であるのならば、泣くな、と叱咤激励も出来よう。けれど、アリスは女だ。身も心も、まだまだか弱い。俺のように、「出来上がってしまった」わけじゃないのだ。
まだ、アリスには人の心がある。人として、失ってはいけない領域と、それを守り抜く気概がある。
だから、コイツだけは明るい道を歩んで欲しい。その時、出来ればメアに付き添ってもらいたい。
その為に俺が幾ら貶されようと、或いは常に命を狙われようと、一向に構わない。
「(………アリスは、俺を恨んで然るべきなんだ)」
アリスは優しい。メアと比較しても、遜色ないほどに。だから、言い出せない。俺がアリスにどれだけの苦痛と苦悩を与え、絶望と災厄を覚えさせ、悪意と敵意を知らしめたのか。そうするしかなかった、とか、そうしなければならなかった、とか、俺は知らなかったとか。言い訳なんてする気も更々ない。
欲望の泥沼に生れ落ちた兄妹、双方が双方を蹴飛ばし合い、ひたすら呑まれていく。
その中で、蹴飛ばす比重が大きかったのは、どう考えても俺なのだ。
アリスが今も尚、こうして純粋な優しさを保っている理由は、俺には分からない。
けれど、それが失われてしまう事は、避けねばならない事実であることは理解出来る。
「(メアと、アリス。俺が守り抜くべき、命を掛けて救うべき仲間……)」
メアには、もしかしたら、いや、高確率で嫌われて、憎まれて、忌々しく思われてしまうだろう。
あいつだって別に神様や何かじゃない。人を嫌う事もあるし、人を好く事もある。この事件の渦中に居て、この事件の根源でありながら、のうのうと生き恥を晒す俺を見て、嫌わないはずがないのだ。アリスにだけは、そうした価値観が及ばないよう、最善の努力はするつもりだが、その際に俺への評価がどん底を突き抜けてしまおうと、一向に構わない。
「……お兄ちゃん」
「何だ」
「ここは寒いよ、戻ろう?」
春も半ば、そろそろ初夏に差し掛かる頃だ。
寒いわけなどない。けれど、きっとそれは、俺が責任を強く感じすぎない為の、アリスの配慮。
無碍にするには、余りにも余りある好意だった。
「あぁ、戻ろう」
メアが眠る祭壇へ。
全てを話す為に。
そして、彼女に嫌われ、忌わしく思われ、憎まれ、蔑まれ、それでも、守り抜く為に。