第一話 一人の少女
成金趣味な豪邸をひけらかす主人の館を、俺は丁寧に掃除していく。
今の恰好は割かし、その手の職業━━執事とか、側近に見えなくも無い。顔は悪くない、と自負しているので、補正が掛かっている可能性はかなりある。背は高く、すらりと伸びているってのが人様の感じた第一印象なのだそうだ。まぁ、確かに俺は「体重に変動」は無いし、人並み以上に背はでかいが。
「あら、ロズ君、今日も精が出るわね」
そう声を掛けてきたのは、妙齢の女メイド長だ。
どう形容したものか。化粧が厚い? 顔が濃い? 寸胴体型? まぁ、何にせよ、メイド長━━つまり、俺やその他大勢のメイドや執事を管理する立場に無ければ、声を掛けられても目もくれない程度の女性。所謂、ブス、というヤツだ。直接的表現を控えるのなら、厚顔の爆弾、といった所か。
厚顔……まぁ、厚顔無恥と言うか、こうして年端も行かない男に声を掛ける辺りに、それがにじみ出る。
爆弾というのは、体型も指しているのだが、一度怒りの琴線に触れると、烈火の如く怒り出すからだ。
収拾がつかない、沸点が低く、一度暴発すると長い間正気に戻らない。
厄介極まりない異物、それが俺の中での彼女に対する評価だった。
「ええ、これでも一家の大黒柱なので、懸命に働かせて頂かないと」
「んふ、相変わらず素直で可愛いわね。何なら、もう少し高いお給金で働く事も出来るのよ?」
そういって顔を近づける。体臭が鼻に付くが、表情をひとつとして変えない。
耳元で囁くのは、相変わらずそちらのお話。要は夜伽のお誘いだ。
毎度毎度丁重にお断りしてもこの様、これはセクハラとパワハラを兼任してるんじゃないか?
「申し訳ありませんが、私は見た目から分かるように若輩者でして。そちらの経験には非常に不慣れで、メイド長様を満足させられそうに御座いません」
「んもぅ、釣れないわねぇ。別に慣れてなくたって構わないのに」
そう言い、離れていく様はウキウキとした足取りだ。
どうやら、こうやって何度もコミュニケーションをする内に、手玉に取ろうと言う事らしい。
「………チッ」
お生憎様、此方にはメイド長の数億千倍は可愛い、最愛の妹が居るんだ。
アリスを見て愛でるだけで、アレと生涯にヤれるだけヤって得られる快楽を遥かに凌駕する。
ああ言う連中は放っておくのが得策だ。
相手に従順なフリをして、いざって時に欺く。裏切る、というべきか。
「(………この仕事にも飽きてきたな。さくっと自主退任したい所だが、メイド長に絡まれるだろうし、最悪この街を出て行かなきゃならない可能性さえある。職業の求人は今や常時品薄だ。いざとなりゃ、裏稼業に手を染めなきゃならないが………まぁ、アイツにはお天道様の照る道を歩いて欲しいしな)」
メイド長は、この地区一体を統括する主人のお気に入りだ。要は、微弱ながらに権力者なのである。
つまり、ヤツの怒りを買うことは、この街からの速やかな撤退と同義。
「はぁ……」
「何疲れてるの、ロズくん」
「……ん、あぁ、メアか」
澄んだアルトトーン、さっきの濁声とは違いすっと心が癒される。
唯一の同年代のメイド、メア・シフィルドだ。
体型は細身で、華奢。腕なんて握れば折れてしまいそうだ。その割りに、胸部は実りが豊かで、不思議と肉感に物足りなさを感じさせない。にこやかに微笑む笑顔は、まるでヒーリング効果のあるポーションなんかより、何倍も効果がある気がする。茶髪のショートカットに、煌くサファイア色の瞳、雪のような肌の白さには、人肌の温もりを感じさせる薄い肌色がほんのりと宿っている。
両手で自分の背丈ほどもある箒を抱えていた。
「いや、相変わらずのアレだよ、アレ」
「あ………なんか、ゴメんね?」
若干、頬を朱に染めると、自分の考えの恥ずかしさと申し訳なさで顔の色を赤やら青やら紫やらに、ぐるぐると目まぐるしく変化させながら、最終的には自責の念からか、素直に謝罪の言葉が飛び出た。
「別に構わない。こっちも愚痴りたい、というか、まぁ鬱憤の捌け口を探してたトコだ」
まぁ、メアにぶつくさ文句を言っても別に現状が改善されるわけじゃない。
だが、メアは話し上手でありながら、聞き上手なのだ。コイツに話すと、気分が軽くなる。
それから数十分間、メイド長には聞こえないように、周囲に厳重な警戒を払いながら、二人して文句を言い合う。お互いに同意する点と、お互いがお互いに見つけた新たなダメな点を摺り合わせ、罵詈雑言を吐き散らしながら、堰を切ったようにひたすら喋り続ける。
気づくと、廊下の掃除と調度品の点検を終えて、時刻は昼ごろに差し掛かっていた。
人の不幸は蜜の味、とはまた違うのだが、こうして悪態を付くのも悪くない。
「また喋りこんじゃったな」
「アハハ……。何だか、毎度毎度こんな感じだよね…」
「まぁ、仕事はしてるし、問題は無いだろ」
「それは確かに」
賛同を得た。
さて、メイドや執事の昼食は基本的に各自で行う。故に給金も高い。あくまで割かし、だが。
こうして面倒な愚痴聞き相手となってくれたメア。毎度の事ながら、流石に申し訳が立たない。一応貯蓄はあるのだし、日々のお礼やら何やらを兼ねて、メシに誘うのも悪くは無いか。別にそれくらいの出費なら、アリスも許すだろう。二人は面識もあって、仲も良いしな。
となれば、行動に移すだけだ。
「メア、これからメシ食いに行くんだが、お前暇か?」
「うん、今日は中庭の掃除が早く終わったから、定時にご飯が食べられるんだよ」
メアは俺や他のメイド・執事以上に給金を貰っている。それは、単純にメイド長に可愛がられているのもあるが、人並み以上の清掃活動に身を窶しているからでもある。そうした彼女の頑張りは、彼女の性格と共に知れ渡っており、この館の従業員に、メアを嫌う人間は一人として居ない。
そして、メアはメイド長公認で、俺と行動する事を許されてる数少ない人間だ。
まぁ、と言ってもあくまで世間話をしたり、たまにメシを奢ったり奢られたりする関係なだけだが。
気兼ねなく話せる同年代、異性ではあるが、それは俺にとっても頼りになる存在だ。
「そうか、なら今日は俺に奢らせてくれ」
「へ? な、なんか珍しいね。ロズくん、奢られる事はあっても、奢る事ってあんまりないから…」
「まぁ、そうとも言うな」
「それ以外に言い方があるの…?」
「兎に角だ、日頃の礼も兼ねて、今日は奢る。店も決めて良いぞ」
「本当に? 一回行ってみたい所があったんだぁっ!」
「そうか、じゃ、そこへ行こう」
俺達は更衣室で普段着に着替え終えて、館から街へと繰り出す。
◆ ◆ ◆
街は鈍い鉄色一色だ。まぁ、大分拡大した表現ではあるが。
強ち間違いではないのも事実。家は基本的に金属製で、道路も完全に舗装されている。街を彩る店の数々も、派手な色こそしているが、その質感は近寄りがたく、硬い。昔のような(まぁ、俺も古代人ではない、文献に見た過去の話だ)人間同士の近しいコミュニケーションの場から、金銭と物の取引の場に転じている事は確実だろう。
そんな色気の無い街を歩きながら、メアはやや上機嫌だ。
べらぼうに高い食事代を請求されたらどうしようか、と今更ながらに無責任な発言を悔いた。
「なぁ、メア、何処へ行くんだ?」
「んーっとね、近頃人気のスイーツショップだよ。なんでも、ケーキとかのお店の専売特許みたいな部類から、クッキーみたいな庶民的なスイーツまで、沢山あるんだって」
「ほう、昼食にデザート……。まぁ、疲れた身体に糖分摂取は、理に適ってはいるか…」
「いやいや、そんな生物学的な理由じゃないよ……。普通に食べてみたかったの」
「お前なら食べに行く時間も、金もあっただろ」
「んー、まぁ、けど、人と食べに行きたかった、って感じ? 折角美味しいって評判なんだし、そういうのって人と分かち合わないとダメじゃない?」
ふんわりと微笑むメア。
その意見は非常に素晴らしいし、何より彼女の性格やら何やらを鑑みれば、本音の部分なのだろう。
だからこそ、眩しい。俺には手が届かない、そう、思ってしまう。
こういう人間が、今必要なのだ。
俺は━━━いや、俺達は、こういう次世代の担い手を、希望を、守る為に存在している。
そう、俺には出来ない事だから。俺には、一生掛かっても辿り着けない領域だから。
そういえば、前にそんな話をメアにした事があった。「何でそこまでして人との関係を重視するのか」と。今思えば愚問だ。メアにとって、人との関係は「大切なもの」であり「最も尊重すべきもの」なのだ。それ以上でもそれ以下でもなく、それ以外でもそれ以内でも無い。必要なのではなく、必要不可欠なのだ。人間が呼吸するように、メアは人との付き合いをするだけなのである。
ただ、「ロズくんなら、そのうち気づくよ」と言われた。
『気づける人間なら、いつかそうなれるんだよ』とも。
それは嘘偽りなのかも知れないし、彼女の中では本心に近い、或いは願いにも似た何かなのかも知れない。
けれど、それによって、少しばかり俺の原罪が薄まったというか、存在価値が生まれたのは事実だ。
「そうか」
俺は一言、そう言うと頷き、後を追いかける。
館から出歩いて十数分、そこそこ大きめな店が見えてきた。目的の店だろう。
カランカラン、と扉を開けるとベルが鳴る。穏やかな内装に、アンティーク調の調度品や椅子・テーブル、耳に優しいクラシック音楽。若者の間で流行と言われるこの店に、しかしながら御年配の老人や中年の客層の足が途絶えない理由が見えてくる。
落ち着くのだ。非常に。
「わぁ………」
メアも入った途端、その穏やかで暖かい感覚に身を包まれたのだろう。
俺は人も疎らな列に並ぶ。注文は先程メアから承ったので、それを伝えに行くのだ。
「席を取っておいてくれ」
「りょーかいっ」
元気そうに窓際の隅の席をチョイスするメア。
日当たりも良く、見晴らしも良い。無難だが、ベストなチョイスと言えた。
「苺タルトとモンブランとチーズケーキを一つ、ロイヤルミルクティーを二つ頼む」
「苺タルトとモンブタン、チーズケーキがお一つ。ロイヤルミルクティーがお二つですね?」
「ああ」
店員に告げると、カタカタとレジを鳴らす。
レジ。今では最早無い所が無いと言えるぐらいに普及した機械だ。
この店の調和した雰囲気の中にある異質な存在、形容するならまさにこの一言だろう。
「合計で、2300ベルです」
2300………となると、俺の一日分の食費以上の出費か。
まぁ、普段無駄遣いしないから、たまにはこうして無駄遣いするのも悪くない。
俺は1000ベル貨幣を二枚と、100ベル硬貨を三枚取り出した。
店員は丁寧に「ありがとう御座いました」と言うと、次の客の注文を取り次いでいく。
俺はメアの下へと戻った。
「注文できたっ?」
「運良く売れ残っていたようだな」
「良かった~。苺タルト、すんごい人気なんだって。モンブランも上品な甘さが売りで、店の売れ筋だし、チーズケーキは言わずもがなってヤツ?」
「あまりにスイーツに詳しくないが、確かに見た限り非常に魅惑的ではあったな」
「でしょ? ロズくんも注文すれば良かったのに」
「昼はあまり食べないからな、普段から」
それは嘘じゃなく、本当の事だ。
昼飯は少量で膨れるものを取ることを理想としている。
まぁ、午後の活動に支障を来す、というのが一番の理由だ。
それ以外にも、取り敢えず困ったら切り捨てるのが食費であるから、慣れに近い感覚だろうか。
メアは寧ろ、もう少し食べるべきなのではないだろうか。いや、これ以上は食わなくて良いが。
その時だった。
「…………戦闘機、か?」
「ふぇ?」
苺タルトのクリームを頬っぺたにくっ付けたメアが間抜けな声を出す。
今見えたのは、軍事用の戦闘機だ。空中からの広域爆破を可能とする厄介な代物。あれ一つで国一つが滅ぶとさえ言われる化学兵器。それも、普段の偵察用のヘリコプターじゃない。付近で怪しい動きがあったのだろうか。それとも………。
とうとう、「バレて」しまったのだろうか。
その答えは、後者だった。
破砕音、爆裂音、空撃音。その全てが混ざり合い、凶悪な音の波となって襲い掛かる。
ソニックブームと化したそれが店の窓を蹴破り、調度品を吹き飛ばす。
「キャアアアアアアアアアアアアアア!!」
「くそ………」
その破壊の波が襲い掛かる寸前、メアを強引に押し倒すようにして身を伏せた。
結論から言うと、メアは無傷、強いて言うなら、軽く背中を打ちつけた程度だろう。
それに対して俺は━━━━。
「(………人体破壊率32%。修復まで残り28秒。チッ、いきなり『修復核』を使わされるとは、不意打ちもここまで威力が高いと、バカに出来ないな)」
「ろ、ロズくん、せ、背中が……!!」
目を開けたメアに飛び込んできたのは、きっと背中の肉を大分抉られた俺に押し倒された光景だろう。
痛覚は「遮断」してある。問題は無い。アリスも無事だろう。
問題は。
「安心しろ、取り敢えず、アリスと合流して逃げるぞ」
一般人。それでいて、誰にも真似出来ないオンリーワンの博愛性、慈愛の精神を持つ人間。
メアだ。メアを失う事だけは避けなければならない。
コイツは希望への架け橋だ。コイツが壊れたら、この先数百年、世界には暗雲が立ち込めるだろう。
こくこく、と壊れた人形のように首を振るアリスを抱きかかえ、拉げた入り口の扉を蹴り開ける。
「絶対に、守り抜く」
その言葉を吐き出して、その重さを味わって、そして手に掛かるメアの温もりを感じながら。
走る。もうロズの中に、街の民衆を救おうという気概も思考も無い。
街の中は酷い有様だ。焼夷弾でも投げ込まれたのか、焼き焦げた家々や、爆風で倒壊した建物群、泣き叫ぶ女子供と逃げ惑う民。尚も空中を幾度も旋回しながら、炸裂弾やら何やらを際限なく投下する戦闘機。いや、最早あれは爆撃機だ。
「やめ、て………」
メアが呟く。
千切れた四肢や、むき出しの頭蓋、燃え上がる人影を見つめて、ただ嘆く。
「お願い………やめて……!」
「メア……」
「やめてよぉッ!!!!」
激しい慟哭だった。普段、こうして感情任せに叫ぶことのないメアの、迫真の嘆声だった。
俺はその言葉に、ズキリと心が痛んだ。いや、それは所詮フリなのかも知れない。
「(……俺に心なんざ無いんだ。そう、もう、俺に人の心なんて残ってない)」
では、この原因不明の痛み、一体なんなのだろうか。
分からないけれど、それを知ろうと思う心は不思議と湧かなかった。
知ったらどうなるのか、俺には分からなかったからだ。
泣きじゃくるメアを抱えながら、走る。
メアは泣きすぎてしまったのか、心此処に在らずといった具合で、虚空を見つめている。
そうして、数十分の道程を経て、アリスが待つ我が家へと到着した。
それと同時に、家の扉がガチャリと開く。逃走の準備を終えた、アリスが居た。
「お兄ちゃん! それにメアも!」
「悪いな、アリス。メアを頼んで良いか」
「べ、別に構わないけど、お兄ちゃんは?」
「あぁ、少しばっかりやる事が出来てな。落ち合う場所は分かってるよな?」
「うん、東の旧祭壇、だよね?」
アリスの不安げな声に強く頷く。
アリスは強い。その実力は、平常時ならば俺なんて塵芥に等しい程の差がある。仮に敵兵百体に囲まれようと、そして、今のようにメアを抱えていようと、難なく倒しきる。『広域型』と『狭域型』、そして『結界型』を使い分けるアリスにおいて、数の大小は障害にすらなりゃしない。
だから、任せられる。
メアは必ず生き延びるはずだ。
未だメアの瞳は虚ろなままだ。不幸中の幸い、こうしてあの場所へ戻る俺を引き止めは出来ない。
なら、俺はどうするのか。
アリスが走り去っていく背中を見ながら、迫りつつある強大な戦闘反応に振り向く。
「一人、いや、二人、逃げたか」
豪奢な装備に身を包み、手には二丁のリボルバーを携えた、一人の少女。
その瞳は澄んでいて、穢れが無い。その代わり、誰を、何を信じるべきかを迷う、憂いと不安が宿っている。それでも、彼女の実力は簡単に推し量れてしまう。それほどまでに強大、それでいて繊細。あのアリスでさえ気づかなかったのは、混乱によるパニックだけでは無いだろう。
「『神託十二騎士』、『枢機卿』が一人、リーザ・アレイヴァル」
カチャリ、とそのリボルバーの銃口をこちらに向けた。
「敵を、排除する」