血の契約
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感想、評価などいただけると今後の励みになります。ぜひよろしくお願いいたします。2015.10.19再度改稿。すこしシリアス寄り。
遠い昔、「彼ら」の祖先は「彼の地」で暮らしていた。「彼の地」は魔力に満ち溢れており、彼らは飢えを知らなかった。あるとき、「彼ら」の一人が人間の住む世界に迷い混んだ。ここでは魔力が薄く、彼は飢え動けなくなった。偶然通りがかった人間の女に助けられ、彼は彼女と恋に落ちた。一人の娘をもうけたが、幸せは長くは続かなかった。
彼は年を取らないが、人間の女は老いて弱っていった。女は惚れた男に醜い姿を見られることを恥じ、自分の命の源である血を彼の糧にしてくれと懇願した。彼はそれを受け入れた。女は安らかに死に、魂は彼の元に残った。女の魂を横取りされた我らの神は激怒し、すべての「彼の地」のものを人間界に召還して「彼ら」の魂までも神の手に納めようとした。「彼ら」は魔力を得るために人間の血を吸い、神と魂を奪い合うことになった。
~正典、第一章三節より~
地中海を臨むとある田舎町。敬虔な村人が暮らす美しい街。しかし、いつの頃からかこの街にも魔物が住み着き、夜になると恐ろしい別の顔を見せるようになっていた。今日も闇に紛れて人知れず「彼ら」とハンターの戦いが繰り広げられている。
心地よい風が頬を掠めた。空には、赤くて丸い大きな月がかかっている。闇に紛れる赤いドレスを着た女は、独り木陰に佇んでいた。月が頭の真上に上ったころ、森の小道から、足音が聞こえてきた。
(来たか)
足音の主は二人の男女だ。赤色がかった茶色い髪の男は黒いマントを羽織っており時おり見える手は透き通るように白い。女はどこかの貴族の令嬢、といったところだろうか。二人は仲睦まじく会話を交わし、男は令嬢に口づけた。一見、普通の恋人同士の真夜中の密会に見える。
木陰に潜む女は静かに時を待った。決定的な証拠が出るまでは、動きたくない。契約とはいえ、どちらかと言えば気乗りしない仕事なのだから。男が令嬢の服をはだけていく。そして、男が令嬢の開いた胸元に噛みついた。胸元から血が滴っているが、令嬢は気づいていないのか、甘い声をあげている。
(確定、ね)
木陰から様子を伺っていた女は、懐から銃を取り出した。男に狙いを定めて撃鉄を起こし引き金に指をかける。
「覗き見は良くないな、混ぜてほしいならちゃんと言えばいいのに」
能天気な声が耳元で響いた。振り向くと、黒いマントを来た金髪の男がすぐ後ろに立っていた。とっさのことに、女は一瞬戸惑った。
(仲間ですって? 奴らが複数で行動するなんて)
敵はその隙を見逃さなかった。
「こんな物騒なものしまって、僕たちと楽しいことをしよう?君はヴァンパイアハンターだね? こんな可愛らしいハンターは初めてだよ」
「一応聞くけど、楽しいことって何かしら?返答しだいではあなたを始末することになるわ」
「野暮だなあ、君が覗き見していた彼らと同じことだよ」
男が指差す方をみると、先程の茶色い髪の男が令嬢らしき女の首筋に牙を立てて血を吸っているのが見えた。令嬢はぐったりと青ざめている。あれではもう助からないだろう。
「怖いかい?大丈夫だよ、痛いのは一瞬だけ。永遠の眠りにつく前に甘美な夢を見せてあげる」
そう囁くと、金色の髪の男は女に口付けを落とした。女はさりげなく、抱きつくように男に手を伸ばした。男は満足したように笑み、女の胸元に牙を埋める。
「ん、この味は?」
男は怪訝そうな顔をして女から口を離した。
「そういうこと」
女は、男の額に銃を突きつけた。
「はぁ、僕としたことが油断していたよ」
「最後に何か言いたいことがあれば、聞いてあげなくもないわ」
無駄口を叩かず、いつものようにさっさと引き金を引いて片付けていれば良かったのだが、アヴリルは何故かそうできなかった。そうこうしているうちに、運悪く赤茶色の髪のもう一人の吸血鬼が来てしまった。
「全く。女一人相手に何を手こずっている」
赤茶色の髪の吸血鬼は呆れたように言い放ち、金髪の吸血鬼は肩をすくめた。
「優しくして蕩けさせたほうが味が良くなるといいます。陛下は味音痴でいらっしゃいますか?」
「何だと?貴様に言われる筋合いはない」
あろうことか、女を置き去りにして二人の吸血鬼は口論を始めてしまった。
(陛下? なんてこと、大物を引き当ててしまったようね)
女は吸血鬼たちから距離を取り、銃を構え直した。引き金に指をかけ、一気に引くと微かな音がした。この銃には消音効果がつけられているのだ。
(やったか?)
しかし、二人の姿は見えない。後ろから声がした。
「撃つなら私でなくこの馬鹿を撃て」
赤茶色の髪の吸血鬼は、手をさすりながら女を睨んだ。弾がかすったのか、女は空気に混ざる微かな血の匂いを捉えた。しかし一瞬の隙に背後を取られた。項に固い牙が当たり、そのまま食い込む。
「何だ、この味は。お前、『ハーフ』なのか」
女は悔しげに唇を噛んだ。
「こうも都合よく現れるとはな。おい、お前も腹を満たしておけ。そろそろ飢え死にするころだろうからな」
「何とお優しいことで」
センメルは皮肉っぽく言った。
「では僕も遠慮なく」
金色の髪の吸血鬼は、女の首に、前から噛みついた。振りほどこうともがいても、吸血鬼二人相手に叶うはずもなかった。
女が目を覚ますと、そこは薄暗い地下室だった。体を起こすと、じゃらり、と音がした。どうやら、首輪で繋がれているらしかった。その首輪が銀で出来ていることに気づいた女は、溜め息をついた。これでは引きちぎることもままならない。
(どうしよう……)
「君が逃げないと誓うなら、何時でも外すよ?」
首筋に息がかかり、女は身をすくめた。
「……信用ならないわね」
「まあいいや、僕の名前は、そうだな、センメルって呼んでよ。」
魔物たちは自分の認めた相手以外には本名を名乗らない。センメル、と言うのももちろん偽名だろう。
「君が最初に狙ってたのは……」
「『陛下』って言っていたわね。まさか吸血鬼の王が実在したなんて」
「本当に、お忍びなんて困ったものだよ。昔から陛下はこういう方だったけれど」
「私はアヴリルよ。覚えてくれなくていいわ」
「アヴリル」
センメルが女の名を繰り返すと、彼の目が赤く妖しく光った。
「本名みたいだね。君の魂が見えている」
「で、何の用?」
その時、女の背後から声がした。
「見に来てみれば、やはり女に絡んで油を売っていたのか」
「陛下こそ、ただの餌の管理のためにわざわざご足労とは恐れ入ります」
二人はしばらく何事か言い争っていたが、やがて論争にも飽きたらしく、アヴリルに問いかけた。
「君、何故撃たなかったの?僕に警戒してた訳じゃないよね」
「気まぐれよ」
アヴリルは言い放った。
「いつまでそういう態度を取り続けられるか見物だね、君の命は僕らの手中にあることを忘れてるのかい?」
「殺したければ殺せばいい。私は今までたくさんの吸血鬼たちを討伐してきた。だから、同族を殺されたあなたたちが、私を憎むのは当然よ。命乞いできる資格はない」
吸血鬼たちはそれを聞いてしばらく考えるそぶりを見せたが、やがてセンメルが口を開いた。
「レジーナ」
アヴリルの顔が、ほんの少し強張った。
「金髪で髪が長い女のヴァンパイアだけど。その様子じゃ、彼女を殺したのって君?」
「否定はしないわ」
「それさ、僕の叔母だよ」
思わず口走る。
「私はあなたの家族を殺してるのよ? 憎くないの?」
吸血鬼たちは顔を見合わせた。訳がわからない、といった様子だ。
「人の心を持つものは、罰されたい、と思うことがあると聞く」
「人間って面倒な生き物だね」
センメルは憐れむようにアヴリルを見た。王はしばらく考えると、
「もしお前が今の状況を変えたいなら解決法は簡単だ。私と契約すればいい」
そう言って、アヴリルを試すように見た。
「契約?」
「ああ。死後に魂を渡す契約だ」
「吸血鬼って狩りの度に魂を集めているの? いいご趣味ね」
「僕は面倒だからそんな事しないけどね」
センメルが口をはさんだ。
「陛下も余計なことをなさらずに、さっさと吸い殺して仕舞えばいいのですよ。いつも生かしておくから面倒なことになるのです」
王は顔をしかめた。
「私も誰彼構わず契約している訳ではない。この娘は」
「『ハーフ』だから、ですか? いつまでも幻影を追うのはお止めになった方がよろしいかと。いつか痛い目を見ることになりますよ」
「お前は今回の契約に入れぬから心配するな」
「どうぞご心配なさらず。私は厄介事はごめんですので。陛下の趣向には付き合いきれません」
王はため息をついた。
「全くお前は昔から口が減らないな」
そしてアヴリルに向きなおった。
「跪き、顔を俺に向けろ」
アヴリルがその通りにすると、王は目を閉じて何事かを呟き、アヴリルの額に牙でうっすら傷を付けて血をなめとった。
「契約完了だ」
あまりにも呆気なく、アヴリルは拍子抜けした。
「これで終わりなの?もっと残酷なものかと思ってたわ」
「まぁ、甘い口車に乗せて人間を誘惑し、契約の儀式を滞りなく終わらせるのが一番の目的だからね、無駄に苦痛を与えて途中で逃げられたら面倒だ」
「残酷なのが好きならば、いくらでも痛め付けてやるが」
アヴリルの背筋が粟立った。
「兄上、ご契約なさった獲物を今度は殺すなど、ご乱心ですか」
「この女はそう簡単には死なぬ。それに、お前もいい加減兄上と呼ぶのは止めろ。これでは正式に即位した後どうなることやら」
「兄上が陛下、なんて中々簡単に慣れられませんよ」
ブツブツ言いつつも興ざめしたらしく、吸血鬼が手を出してくる気配はなかった。
「まあ、仕方ない。陛下のご意向だから」
センメルはアヴリルに近づき、耳朶をなめ上げながら囁いた。
「改めて、よろしくね。アヴリル」
間近に眺める吸血鬼は完璧に美しく冷酷な笑みを浮かべた。
「勝手に手を出すな、これは私の契約者だ」
「申し訳ありません、陛下」
センメルは悪びれない。
「いつも不思議なんだけど、ハンターの末路って、僕らにまんまと捕まって殺されるか、君の場合は逃げ仰せても、いずれ処分されるくらいしか道は無いんだよ?こんなに不利な条件でどうやってハンターを調達してるんだろう」
「答える義理はないわ」
「それに、君はずっとあいつらに監視されてただろ?正直、君を捕獲するより使徒を倒す方が何倍も大変だったよ」
つまり、最初からアヴリルは彼らの手の上で踊らされていたということだ。アヴリルは悔しさに唇をかんだ。
「おい、いい加減もう良いだろう? 私は食事にするからお前は席をはずせ」
王は腕組みをしてかなり苛立った様子だ。
「はいはい、只今」
センメルは去り際に耳打ちをした。
「最近、君たちハンターやあっち側の奴らが徐々に力をつけて来ているし、中々獲物を狩れなくてイライラしてるんだ。ああ見えて兄上は単純だからさ」
「さっさと消えろ、それとも私に消されるのが好みか?」
「まあ、僕に吸ってほしいって気になったら、いつでも大歓迎だよ、アヴリル」
センメルはアヴリルの頬に手慣れた様子で軽く口付けると、手を振りながらその場を後にした。
「あの馬鹿め。まあいい、今はそれより食事だな。お前の血は残念ながら余り旨いとは言えないが」
そこまで言うと、いきなりアヴリルの首筋に食い付いた。その時、不穏な気配が辺りを包んだ。明らかに変わった様子はないが、ハンターとして鍛え上げてきた勘が危険を告げた。何か良くないものがこちらに向かっている。王も気付いたようだった。
「食事中の客とは無粋だな。女。鎖を外してやる。もうお前の魂は契約ずみだ。物理的な拘束は要らない」
「まだお食事はお済みでなかったのですか? 油を売っておられるのはどなたでしょう。ここは警護が手薄で危険です。陛下はお戻りになってください」
いつのまにかセンメルが戻って来て、王に告げた。しかし王は首を横に振った。
「いや、この城に踏み込まれたとあれば顔がたたない。事を大きくする前に片付けてしまおう」
センメルはため息をついた。
「分かりましたよ、仰せのままに」
そしてアヴリルに向き直ると、
「おそらくあいつらは君も殺そうとする。生き残りたかったら、良いとこ見せてよね?」
そう言ってウィンクして見せた。どうやら、戦うしかなさそうだ。アヴリルは久々に自由になった体を大きく伸ばした。数時間ぶりの開放感に酔いしれる間も無く敵は目前に迫っている。禍々しい気配が辺りを包み込む。戦場では迷ったものが負けだ。それに「彼ら」の側に付いてしまった以上、自分が逃げ込むことのできる場所もなければ守ってくれる神もいない。そこまで考えると、何故か分からないが急に気分が軽くなった。彼らはアヴリルの魂に首輪をつけたというが、それどころか、背に翼が生えたような気分だ。
センメルが緊張感のない声で呟いた。
「なんだか晴れ晴れした顔してるね。何を考えているのかは薄々想像がつくけど、そこまで気を張る必要はないよ。君は君自身が思っているよりずっと強い」
「えっ?」
「無駄口を叩くな。来るぞ」
部屋に黒い霧が立ち込めた。犬のような、狼のような姿が霧の合間から見え隠れした。やはり下位の魔物のようだ。彼らは基本的にヴァンパイアに戦いを挑むようなことはせず、人間を狩り暮らしているはずだ。上位の魔物に命令されて来たのだろうか。
「面倒ね、一気に片をつけましょう」
アヴリルは地に円陣を書き、一人分程度の結界を張った。これで一時しのぎをして高度な攻撃の準備をする、というオーソドックスな戦法だ。王はといえば、使い魔を千切っては投げ、という表現がピッタリだった。身体能力の高いヴァンパイアにとっては肉弾戦に持ち込むのも悪くない。センメルは炎で焼き尽くす戦略に出たらしく、面倒くさそうに攻撃をしていた。
そんな彼らを横目で見ながら、アヴリルは攻撃魔法を組み、発動した。たちまちの内に視界が光で覆われ、魔物たちの姿が砂のように崩れ、消えた。
「中々やるじゃないか」
「お前、少しは役に立ったな」
「それはどうも。もう二度とこういう戦闘は御免よ」