水の魔法使いの弟子・3
「こ、これが君の成績表ですか?」
カルナリスの成績表を見て、ディオスは愕然とした表情になった。
いちいち芝居がかっていて大げさだったが、ディオスがやると絵になる。
最も、彼女の成績を考えたならば、大げさとも言い切れない物があった。
地水火風4属性の適正は全てあり。
内、地属性は平均並みか、おまけして平均より上。火属性は平均にやや劣ると言ったところで、風属性は余裕で平均以下、赤点すれすれ。
ディオスが主とする水属性に至っては、赤点以下なのだから。
「は、はあ、すみません」
成績表を見せずに弟子入りを決めたのは、何だか騙したようで心苦しかったが仕方ない。
カルナリスも、肝心のディオスも、うっかりと失念していたのだから。
「何故、よりによって水属性を学ぶ気になったんですか?」
当然の疑問だろう。
カルナリスが一番苦手なのが水属性。圧倒的に、絶対的に水属性が苦手なのである。
「す、済みません。その、師匠、じゃなかった。私の保護者に薦められまして」
嘘ではない。
彼女の保護者、自称師匠であるキーアが、ディオスを薦めたのは確かだ。
成績が悪すぎて、他の師匠からは拒絶されたとは言えない。
「保護者?」
「あ、はい。えっと、これを預かってます」
そう言って、やはり成績表と同じくスッカラカンと忘れ果てていたキーアの手紙を差し出した。
ディオスがカルナリスの弟子入りを躊躇うようであれば、渡すようにと言われていた手紙だった。さすがにすっとぼけた彼の師匠でも、カルナリスの成績には不安を感じていたのだろう。
何気なく受け取ったディオスの顔が、後ろの署名を見た瞬間に色をなくす。
「リンゼイ!」
り、りんぜい?
突然大声で叫んだディオスから、カルナリスは僅かに体を後退させた。
「君は、リンゼイの子供か? いや、まさか、それはありえん。
保護者だって? 一体どういうことだ? あいつは生きていたのか?」
「あの、リンゼイって誰ですか?」
「アルザス・キーア・リンゼイだ! あのとんでもなくルーズでマイペースで身だしなみには一切頓着しない、だらしない大馬鹿者のことだっ!」
ディオスが、人が変わったかのように乱暴な口調で叫ぶ。
「し、師匠のことですか?」
迂闊なことに、カルナリスはキーアのフルネームを知らなかった。しかし、ディオスが興奮気味にまくし立てた「アルザス・キーア・リンゼイ」の特徴は、まさしく彼女の知るキーアそのものだ。
「師匠? 君はさっきもそのようなことを言っていたが、あいつとどういう関係だ?」
ディオスの目が据わっている。
美形だから余計に怖い。何とも言えぬ迫力がある。
カルナリスは思わず視線を泳がせた。
「えっと、何でしょう? 師匠? 保護者? 父親って言うか、兄というか、むしろでっかい子供?」
改めて聞かれると何とも答えようのない関係だった。
師匠と呼ばされてはいたが、特に何かを教えてもらった記憶はない。師弟関係と言うには無理がある。カルナリスがキーアの生活面一般を見ているという点では、主人と家政婦、と言った関係が一番近い気もするが、それでいて最も二人とは遠い関係な気もする。
当初、「借金の返済の一環として」と、塔長に言いつけられてはいたものの、今のカルナリスはなんだかんだ言ってキーアの面倒を好きで見ているのだ。やはり親子と言った感が強い。
きっと、カルナリスがそう思っていると知っても、キーアは怒らないだろう。ただいつものようにぐしゃぐしゃっと、乱暴に頭をなでるに違いない。
「こ、子供? そんなバカな?」
「あ、いや、血は全く繋がってませんが」
「そ、そうか、そうだよな。
ああ、いや、そうじゃなくて、だから、どんな関係なんだ?」
「とりあえず落ち着いて、その手紙を読んだら良いんじゃないですか?」
「ひゃっ!」
突然真横から声がかかって、カルナリスは思わず声を上げた。ディオスも驚いたようで、微かに眉が上がっている。
「ひゃっ、ねえ。
師匠、私の美意識も彼女を受け付けないですね」
呆れたようにそう言ったのは、そういう台詞をはくのが許される美少年だった。
ふわふわの綿菓子のような銀色の髪、くりっと大きな空色の瞳。実に愛くるしい天使のような、……。
カルナリスは訝しげに美少年を見つめた。こんな美少年、一度見たら忘れない。見たこと無いはずなのだが、何故だか見覚えがある。
「あ、扉の天使!」
入口の扉に、ディオスと一緒に描かれた天使の顔だった。
「クロイです、カルナリス。
君、上級生に対する礼儀がなっていませんね」
小馬鹿にしたような顔なのに、うっかりすると見とれてしまいそうだった。
「え、私を知ってるんですか?」
「これを知っているのか?」
カルナリスとディオスの台詞が被る。その口調から、未だディオスが動揺しているのが分かる。
「もちろん、有名な落ちこぼれですから」
その言葉に、カルナリスががっくりと肩を落とす。
終わりだ。
やはりここでも弟子入りは無理だったんだ。
綺麗だけどちょっと変な師匠でも、結構面白そうだったのに。
小金稼ぎの材料が、たくさん目の前にあったのに。
ああ、さよなら大魔法使いの道。借金返済の道は絶たれた。
もう、全てお終い。
カルナリスが妄想の世界に突入するのを横目に、クロイはディオスの手にある手紙を指し示す。
「とりあえず、読んだ方が良いんじゃないですか?」
驚いたようにカルナリスを見つめていたディオスに、クロイは冷たい声で指摘した。
キーアの手紙にちらりと目を走らせたディオスは、すぐに顔色を変え、奥の自室へと一人引っ込んでしまった。
自然、カルナリスとクロイは、二人で取り残された形となる。
気まずい。
非常に暗く、重い沈黙が流れる。
「師匠に弟子入りですって? 君、ディオス先生のことを知っているんですか?」
下級生相手にバカ丁寧な口調でクロイが尋ねてきた。
慇懃無礼という言葉を、幸か不幸かカルナリスは知らない。
「えっと、すみません。よく知りません」
実質師匠だとは思っていなくても、カルナリスはキーアを師匠と呼んでいた。
5年生になって師匠を得る段階になっても、それが続くと思っていたカルナリスは、他の魔法使いのチェックなどしたことがなかった。彼女が名と顔の一致する魔法使いは、塔長とキーアしか居ない。
はあ。
大きな溜息に、カルナリスはびくんと肩を震わせた。
「うちの師匠は、変わり者ですが相当の実力者です。
水の魔法使いの中では、まだまだ若いですが、能力なら3本の指に入るんですよ」
「え?」
カルナリスの反応に、クロイは深いげに眉を寄せる。
「優秀なんです」
「あ、いや、そこじゃなくて」
慌ててカルナリスは言ったが、クロイは疑い深そうな視線を向けたままだ。
カルナリスは、ディオスが実力者だと言うことに驚いたわけではない。
確かに、美形だがナルシストが入っていて、趣味が派手で変人だと思っているが、力のない魔法使いだと思ったわけではない。まあ、3本の指に入るとまで言われると、ちょっと信じがたかったけれど、仮にも弟子を持つ魔法使いだ、無能なはずない。
カルナリスが驚いたのは、そういう優秀な師匠と、キーアが知り合いだと言うことに対してだった。
「とにかく、貴女のような成績の方が、弟子入りできるはずないんですがね」
「いえ、逆かも……」
カルナリスは考え深げに呟いた。
キーアが、何故ディオスと知り合いなのかはわからない。
ディオスがそれほどの実力者と知らなかったのかも知れないし、もしかすると、優秀な師匠しか彼女を見られないと考えたのかも知れない。いや、その可能性が高いだろう。
そう思い至って、カルナリスは重く息を吐いた。
しかし、それではディオスはとんだ貧乏くじだ。
師弟関係を結ぶには、当然両者の合意が必要だ。それが、今回のような単なるお試し期間の師弟関係であっても同じである。
「ああ、やっぱり逃亡生活決定か」
ぼそりとカルナリスが呟いた時、背後の扉が大きく開き、真っ赤な顔をしたディオスが現れた。
「カルナリス、君を弟子として迎えよう」
そう言った彼の手には、キーアの手紙が握りしめられており、その顔は、不機嫌極まりないと物語っていた。