無の魔法使いの弟子・9
「そうだ」
あっさりと頷くチルナに、カルナリスは続ける言葉を失った。
「お前は、闇の魔法使いも、光の魔法使いの何たるかも知らないんだろう?」
チルナは唇の端を微かに上げ、可笑しそうに笑う。
こんな風にはっきりと感情を表すチルナを、カルナリスは初めて見た。ぽかんとチルナを見上げていると、さらに爆弾を落とされる。
「アルの弟子なのに」
ピンクの髪の美少女が呟いた時には、誰のことだかわからなかったけれど。
「アルって、あの、えっと、師匠、じゃなくて、ア、アルザス・キーア・リンゼイ?」
カルナリスはぎこちなく師匠のフルネームを口にした。
水の魔法使いディオスに、風の魔法使いマルクト、そして、火の魔法使いニルスも、皆キーアの知り合いだった。
そして、マルクトはチルナに惚れこんでいて、だから、キーアがチルナを知っていても不思議ではない。
「そうだ。
本当に、随分過保護に育てられたんだな」
笑いながらそう言って、チルナは少しだけ眩しそうにカルナリスを見下ろし、いつまでも蹲ったままでいた彼女の腕を引っ張り上げた。
「さあ、いい加減そんな所で蹲っていないで、部屋に戻るぞ。
聞きたいことがあるのだろう?」
「全く、私の役目じゃないと思うんだがな」
カルナリスの手を引いたチルナは、無造作に扶翼の塔の扉を開けた。扉は、今度こそ間違いなく今の彼女の部屋へと繋がっていた。
散らかった彼女の部屋の椅子に座らされ、カルナリスはぐるりと部屋を見渡し、息を吐く。
普段だったら、間違いなく片付けたい衝動に駆られるはずの散らかった部屋に、今は逆にひどく落ち着きを覚える。
「何が何だかさっぱりわかりません。
あの、そもそも闇の魔法使いって何ですか?」
カルナリスは、ごみごみしたテーブルを挟んで彼女の向かいに腰掛けたチルナに向かって、一気に問いかけると、大きく息を吸った。
「チルナさんは闇の魔女なんですか? いや、でも、この塔には、水に火、風、大地の、4つの塔しかないですよね? それに、さっきだってアルと同じとか何とか言って、師匠がどうしたんです? あっ、もしかして、師匠も闇の魔法使いとか? え、えぇっ?」
次から次へと思いつく質問を、目の前のチルナに、矢継ぎ早にまくし立てていく。
「まあ、ちょっと落ち着け。
さっきといったって、12年も前の話なんだ。細かい話なんて覚えちゃいない」
「あ」
カルナリスは口を閉じて、じっとチルナを見つめた。
カルナリスにとっては、あの可愛らしいピンクの少女に会ったのは、本当についさっきのことだった。そう、彼女はカルナリスと同じくらいの少女だった。
「扶翼の塔のことは、聞くな。私にだって良くわからんのだ。
本当のことを言うと、アルがお前を引き取るまでは、半信半疑だったんだからな。
未来から人がやってくるなんて」
「あの、えっと?」
珍しく饒舌なチルナに、カルナリスは口を挟む間もない。
「お前は、チルナが未来で魔法具師をやっていて、自分はその弟子だと言っていた。
信じられなかったよ。
あの頃は、闇の魔法使いの未来しかないと思っていた」
チルナはやはり面白そうにカルナリスを見つめている。カルナリスは、今一わけがわからずにぽかんとしていた。
「光の魔法使いは、地水火風、すべての魔力の上に立つ者であり、
闇の魔法使いは、地水火風、4つの魔法を己のものとする者だ」
「は?」
「たとえば、闇の魔法使いなら、お前から全ての魔力を全部吸い取ってしまうことができる」
「へ?」
口をあけたままのカルナリスを見て、チルナはにやりと笑った。
「魔法使いになりたくなければ、綺麗さっぱり魔力をもらってやろう。
そうすれば、お前は魔法使いにならなくてすむぞ」
チルナは右手にあごを乗せ、じっとカルナリスを見つめていた。
つい一瞬前までの楽しげな笑みは、もう口元に浮かんでいない。
「あの、冗、段?」
闇の魔法使いの何たるかを知らないから。
だから、からかわれたのだと、カルナリスはそう思い込もうとした。
「12年前に、言わなかったか?
姉の魔力を奪った魔女だと」
「でも、マリサさんは、魔法を使って……」
無意識で、その場の硬くなった空気をほぐそうと、カルナリスはへらりと笑って、失敗した。頬が引きつる。
チルナはどこまでも真面目だ。
でも確かに、マリサは指一つ鳴らすことで、カルナリスの魔法の暴走を止めたのだ。
「あれは魔法と言えるほどのもんじゃない。ただのまやかしだ。
マリサはね、塔髄一の才能を持った魔法使いの弟子だった。
それこそ、アルと張る、ね」
「キーア、師匠が?」
あの、みすぼらしくて薄汚いキーアが、塔随一の才能を持った魔法使いの弟子だった?
それこそ、何の冗談なのか。
「二人は、次期塔長の候補だった。
アルはあの通り、かなりものぐさで人としてどうかと思う所があるから、初めから面倒がっていたが、マリサは塔長を目指していた。あの日、あの時、魔力がなくなるまではね」
「だって、そんな……」
目の前のチルナは、淡々と語っている。
でも、それは、彼女が、姉の夢を潰したことに他ならない。
「マリサは、責めたりしなかった。あっさりと塔長を目指せない事実だけを受け止めて、塔を去り、魔法とは全然関係ない仕事に就いた」
マリサは、紋様作家に。そして、チルナは。
「じゃあ、チルナさんは、だから、灰色のローブを着てるんですか?」
魔法具師でありながら、灰色ローブを着ているチルナ。
灰色のローブは、魔法使いのタマゴの証。正式な魔法使いじゃない、中途半端な存在。思い返せば、キーアも、灰色のローブだ。
マリサは、鮮やかな真紅のドレスを着ていた。
そして彼女は、魔法使いじゃない。
「そう、いまだ自分の力を認められない。後ろめたい。
それでいて、魔法使いであることを止められない。
そうだろう。チルナ?」
カルナリスの目の前にいる、チルナであるはずの魔法使いは、意地悪げな笑みを浮かべ、カルナリスの背後の扉に視線を向けた。
「悪趣味だな」
チルナと、そっくり同じ声が背後から返ってくる。
カルナリスは、恐る恐る振り返った。
濃い灰色のローブ、不健康にやせ細った首、顔。鮮やかな桜色の瞳。ピンクの鳥の巣頭。
「チルナ、さん?」
不機嫌全開のチルナが立っていた。
彼女がもう少し太って、身綺麗にしたら、きっとマリサとそっくりだ。
その姿も、声も。
今やっと、その事実を理解する。
「誰が、後ろめたいって?
あんただろう。それは」
射るような眼差しで、カルナリスの後ろで悠然と座っている、自分そっくりの、そして全然似ていない、姉を詰る。
「そうよ。私は後ろめたいの。
魔力を失って、むしろほっとしたのは私。塔長を目指さなくても良くなって、アルに勝たなくても良くなって、喜んだのも私。
でも、あんたは自分の力を責めて、呪って、こんなところで燻ってる。
もう、いい加減止めて欲しいのよ。あんたも、アルも、うっとうしいの」
イライラした声音で、チルナは、いや、マリサは吐き捨てるように言った。
「それで、だから、何だ?」
「もういい加減、終わりにしましょう。
あんたはちゃんと闇の魔法使いになるべきだ。そしてアルも、選ばなきゃならない。
いつまで、塔長に甘えるの? それとも、この子に押し付ける?
もう、わかってるはずよ? 私は、今の私を呪っちゃいない。あんたを恨んでもいない。
私は、もう私の道を進んでいるのよ。それなのにあんたたちは、いつまでそこに留まっている気?」
チルナの姿を模していたマリサは、立ち上がるとゆらりとその姿を崩し、あの、派手で華やかで、それでいてどこか寂しそうな彼女の本来の姿に変わっていた。
手には、彼女を手製のショールを持っている。細かな紋様を織り込んだ、見事なまでに美しい純白のショール。
「まやかしの種明かしは、簡単。
これに、魔法陣を織り込んでるのよ?」
カルナリスを見やって、誇らしげににやりと笑うマリサ。呆れたように息を吐くチルナ。
カルナリスは、ただただ呆然と双子の姉妹を見つめているしかなかった。




