無の魔法使いの弟子・5
「やあ、チルナ。カルナリスの様子を見に来たんだけど、元気かな?」
そう言いながら、緑のローブを着た風の魔法使いは、チルナに豪華な花束を差し出した。
しかし、彼女は作業に没頭しているのか、マルクトを振り返る様子もない。
「チルナ」
マルクトは、彼に背を向けたままの魔法具師に歩み寄った。背を向けたまま、彼女は差し出された花束を手で追いやる。
「邪魔」
短い答えが聞こえたのかどうか、マルクトは花束をどこかへと消すと、次にはいそいそとローブの中から籠を取り出していた。
「差し入れ。結構上手く焼けたんだよ、このパン」
ずずいっと彼女の目の前にこんがり焼けたパン差し出すと、チルナは諦めたように小さく息を吐き、目の前にあるパンにかぶりつく。
「美味しいでしょう?」
もぐもぐと口を動かし、咀嚼しているチルナを、嬉しそうに眺めながらマルクトが尋ねた。が、やはり答えはない。
「チルナ、また顔色悪いけど、ちゃんと寝た? 仕事熱心なのは良いけど、ちゃんと休まないと」
「やあね、マルちゃんってば、邪魔する貴方がいるから、余計にチルナが忙しくなるんじゃない?」
割って入った声に、マルクトはカキーンと見事に固まった。
ぎぎぎぎっという音が聞こえるくらいにぎこちない動作で、マルクトは首を回転させる。
「マ、マ、マリサ、さ」
「そうよ、久しぶりね、マルちゃん。カルナリスちゃんの様子を見に来たんでしょう?
チルナの邪魔しちゃダメじゃない。こっちにいらっしゃい?」
にっこりと満面の笑顔のマリサに、マルクトはやはりぎこちない動作で頷いた。顔を、冷や汗がたらりと流れ落ちている。
「丁度いいところに来たわ、マルちゃん。私もちょっと聞きたいことがあったの。
ところでもちろん、その美味しそうなパン、私にもご馳走してくれるわよね?」
カルナリスは、キーアの小屋の前で行きつ戻りつしていた。
いつもなら、何の躊躇もなく扉を開け、中の惨状に悲鳴を上げている。それからキーアをたたき出し、掃除をしているはずだった。
けれどもそれは、「理の塔」での講義を受け、修行を終えて、やることをやった後だったから出来たことである。
カルナリスは、落ちこぼれではあったが、今まで真面目に講義を受けてきた。例え、講義中に居眠りするようなことがあっても、さぼったことはない。
今日、生まれて初めて講義をさぼった。
昨日のマリサの訪問で、精神的にくたびれきってしまったから。いや、そうじゃない。
水、風、火と9ヶ月の修行を終え、僅かながらにもうまれていた自信が、粉みじんに消え去ったからだ。
魔法使いじゃない、紋様作家のマリサが、いとも簡単に魔法を使った。
カルナリスは、相変わらず魔法が暴走する。しかも、何だか暴走規模が拡大していた。
そもそもどうして、魔法使いではないチルナの弟子なんかをやっているんだろう。
どうしたらいいかわからなくなった。
もう、本当に魔法使いになれないのかもしれない。
そう思うと、講義に全く身が入らなかった。講義中に居眠りすることも出来なかった。
そんなわけで、講義をさぼり、何となく足が向いてしまったキーアの小屋の前にいるのだが、扉を開けることは出来なかった。
扉の前で行ったり来たりを繰り返し、もうどれだけ経ったのか。
丁度カルナリスが扉の前で立ち止まった時、勢いよく扉が開いた。
「ルナ、いつまで……」
がっこん、と扉がカルナリスの顔に正面衝突していた。
いつもだったら、ここで可愛いらしく倒れる、なんてことはなかっただろう。
しかし今日は、何だか頭をたくさん使ったせいで、精神的に疲労困憊していた。
「うわあ、ルーナ!」
カルナリスはばったり倒れ、完全に意識を失っていた。
「……とうに、……の……使いにさせる気があるの?」
ぼんやりと女性の声が聞こえた。
「マリサ」
妙に真剣な声。師匠の声だ。
マリサ? マリサって。
「まさか、嫌になったなんていわないわよね?」
「俺は……」
「そうね。自分のことだって決めかねているのに、ましてこの子のことなんて決められないわよね?」
責めてるみたいだった。
いや、本当に責めているのだろう。
「……」
「甘やかすだけ甘やかして、可愛いがるだけ。そんなに嫌われたくない?」
「その通りだよ」
吐き捨てるように答える師匠。
とても、苦しそうだ。
何の話をしてるんだろう。
マリサさんは、何で師匠を責めてるの?
「後、3ヶ月よ?」
静かな声は、まるでカルナリス自身に迫ってくるようだった。
後3ヶ月。
3ヶ月経ったら、チルナさんのところの修行が終わって、4年生が終わる。
私は、進級できるんだろうか?
魔法使いになれるんだろうか?
3ヶ月経ったら、どうなってるんだろう?
ああ、でも。
魔法使いにならなかったら、塔長の傍にも、師匠の傍にもいられなくなるんだろうか。
「ルナ、でっかいこぶになってるぞ」
ぽたぽたと水の滴るタオルを持ったキーアが、ソファに寄りかかるカルナリスを心配そうに、しかしちょっとだけ笑いを堪えている顔で言った。
ドアにぶつかって気を失ったカルナリスを、キーアがソファに横たえてくれたらしかった。
それは良いのだが、おそらくソファに山と積まれていたらしい本やら何かが、カルナリスの足下にごたごたとひっくり返されている。
「師匠、まさかそれを私の頭に置いていたんですか?」
キーアの手の中にあるタオルが、彼の足下に丸い染みを作っている。そこから目を離さずに、カルナリスはそう問いながらも、答えを確信していた。
そうに違いない。何しろ、カルナリスの髪もローブも、ひんやりと冷たい。ソファにもきっと、うっすらと水が染みこんでいるはずだ。
「もう大丈夫か?」
いや、それはそれは勢いよくぶっ倒れたから、後頭部の方がやばいんじゃないかな、と続けるキーアを、カルナリスはうんざりと見やる。
「それなら仰向けに寝かせるもんじゃありません」
「え? あ、そっか。悪い悪い」
ちっとも悪びれないキーアに、カルナリスは溜息を漏らす。
「まあでも、平気そうだな」
「そうですね」
答えて、カルナリスはもう一度溜息をついた。
小屋の中のあまりの惨状に、声も出ない。
そう言えば、チルナの所に行って以来、ここに顔を出すのは初めてだった。
「どうかしたのか、ルナ?」
少しだけ心配そうにキーアが尋ねた。
カルナリスは、じっと、長い前髪に隠れたキーアの顔を見つめた。
借金は返さないといけない。
でも、魔法使いにならなくても、借金を返せる方法はあって。
自分には、多分間違いなく才能がなくて、魔法使いになれても、あんな大きな借金を返す方法がない。
ここに来て、どうしようとしたんだろう?
相談する事なんてできない。
魔法使いになるのを、諦めた方が良いんでしょうか、なんて。
「何でもありません」
散らかったままのキーアの小屋を、カルナリスはそのままに出ていった。




