無の魔法使いの弟子・3
カルナリスは、扶翼の塔というものを理解していなかった。
それはそうだ。彼女は、今までここでチルナとしか会っていない。何となくどこかで、扶翼の塔イコールチルナの工場と思いこんでいたようだ。
実際は、ここで揃わない物はないという、何でもアリのごちゃ混ぜの塔。
食事がしたければ食堂が現れ、温泉につかりたければ温泉が現れる。日用雑貨から家具なんかは当たり前、杖に魔法具、魔石も、海辺の砂から星の欠片まで、ここで手に入らぬ物はない。
だから当然、食べ物を必要としていた彼女の前に、ありとあらゆる食品の揃った売り場が現れたのだ。
カルナリスは、ぽかんと大きく口を開けていた。
ずらりと並ぶ食材の山、山、山。
色鮮やかな果物に野菜。魚や動物の肉。薫り高いお茶にジュース。食材だけではない。思わずよだれが出るような料理の数々。カルナリスが作ったことのある、簡単質素な料理から、みたことも聞いたこともない珍しい料理にいたるまで、それはもう横に縦にずらりと並んでいた。
ごくり。
思わずつばを飲み込んでいた。
ぐるぐるきゅう、と盛大にお腹が鳴る。それはもう、辺りに鳴り響かんばかりに。
「あらあらあら」
背後から聞こえてきた面白がるような声に、カルナリスは驚いて飛び上がった。突然、耳元に息がかかるほどに近くで声がしたのだ、驚かない方がおかしい。
「まあ、すごい。今、すごく高く飛んだわよ、貴女」
心底感心した声の主を、カルナリスは恐る恐る振り向いた。
まるで綿菓子のようにふわふわの、鮮やかなピンクの髪。透けるように白い肌に、真っ赤な唇。赤い縁取りの大きなサングラスに、深紅のドレスを着た、派手派手しい女性だった。
「貴女が、チルナの所に来たっていうお弟子ちゃんかしら?」
「お、お弟子、ちゃん?」
「カルナリスちゃんでしょう?」
にっこりと、形のよい赤い唇が、綺麗な弧を描く。
「カ、カルナリス、です」
答えながらも、真っ赤な女性から逃れるように、カルナリスはゆっくりと後ずさった。
大きなサングラスのせいで、顔はよくわからない。
しかし、妙に美人オーラが出ている。
美人で、自信家で、我が儘な人特有のオーラだ。つまりは、水の魔法使いに弟子入りしている、クロイやミリィに共通している。
「カルナリスちゃん」
「は、はいい?」
がしっと両腕を捕まれ、逃げることが出来なくなった。
「ねえ、チルナは元気にしてる?」
「……へ?」
「きっと、相変わらずきったなくしてるんでしょう? 困った子ねえ」
カルナリスの腕をしっかりと握りながら、しみじみと言う女性を、カルナリスは目を見開いて見つめた。
「あの、どちら様ですか?」
「あらあら、カルナリスちゃんは私のファンだってディーから聞いてたんだけど」
「ディー?」
「ディオスちゃん」
ディオスちゃんディオスちゃんディオスちゃんディオス……
「ディ、ディオス先生ですか?」
あの、まるで神様のような神々しいまでの美形の先生を、ちゃん付けですか!?
ひーっと青ざめるカルナリスを、真っ赤な彼女はにっこりと眺めている。
「私はマリサよ。チルナの姉」
ぽかんと大きく口を開けたまま、カルナリスはマリサを見つめた。
ピンクの髪がふわりと揺れる。サングラスを取った彼女の瞳は、淡い桜色。
確かに、色素だけは一緒、かもしれない。
「あの、マリサ、さんは、本当にチルナさんのお姉さんなんですか?」
「ええ、そう。似てるでしょう?」
カルナリスは答えに詰まった。全くもって似ていない。マリサは女性らしい丸みを持った、派手系の美人だった。対して、チルナはやせ細ってみすぼらしい。 もしかしたら、それぞれのパーツは似ているのかも知れない。チルナが太れば、マリサに似るのかも知れない。しかし、カルナリスには太ったチルナを想像できなかった。
だが、何故だか期待に目を輝かせているマリサに、正直に言った方が良いのか迷う。
「えっと、瞳はよく似てますね」
嘘が付けないカルナリスは、正直にそう言った。
「そうでしょう? 特に、瞳は似てるの」
マリサは嬉しそうに顔をほころばせる。
「チルナさんが大好きなんですね」
その様子に感心したようにカルナリスが言うと、マリサはにっこりと悪魔のような笑みを浮かべた。
そう、悪魔のように。
「いやあね、カルナリスちゃんったら。
私が、チルナを好きなわけないじゃない?」
もう、わけがわからないったらない。
「あいっかわらず、汚い部屋ねえ」
うふふふふ、と笑いながら、マリサは応接間だという部屋を見渡した。
あの後、すぐにもチルナの所に行こうとしたマリサを、カルナリスは何とか引き留めて、食料品を確保することに成功した。それは今、カルナリスの手元にある。チルナの要望であることはもちろんだが、何よりカルナリスはお腹が空きすぎて目眩を起こしそうだったのだ。
カルナリスはマリサにつられて、部屋の中を見渡した。
まあ確かに、汚いのは本当だ。
本当なんだが、いかにも汚いという様子で、ハンカチで口元を押さえるマリサに、カルナリスは何だか少しだけむっとした。
「いやあね、カルナリスちゃんたら、怒ったの?」
カルナリスの目の前で、ひらひらと白いハンカチが揺れる。
「あ」
思わず、カルナリスはそのハンカチを手に取ろうとした。寸前に、マリサがすっと手を上に上げてしまったので、無理だったけれど。
「カルナリスちゃんってば、目ざといわねえ。これに気付くなんて」
白いハンカチに、銀糸の細やかな刺繍。
あれは、間違いなく紋様作家マリサの作品。
え、あれ?
「マ、マリサ? って、まさか?」
「あらやだカルナリスちゃん、気付かなかったの? 鈍い子ね。そうよ、私がマリサ。
紋様作家のマリサよ」
「え、ええええええっ!?」
思わず大音量で叫んでしまったものだから、マリサは両耳を塞いで思いっきり顔を顰めた。
「カルナリスちゃんったら、もう。驚くじゃない」
可愛いらしくぷくうっと頬をふくらませて、マリサはぱっこーんとカルナリスの頭を殴った。それこそ情け容赦なく。
ぐはっと、カルナリスが呻く。
「い、痛いんですが」
「そうよ、痛くしたもの」
にっこりはっきりマリサは断言する。
カルナリスは返す言葉もなく、頭を押さえたままマリサを見上げた。
一体、何の恨みがあるんだ。
カルナリスがそう思ったのも、無理もない。
最近関わりを持った大人達は、みんなそれぞれどこかしらおかしかったが、彼女もその例に漏れない。全く理解できない。
「さ、カルナリスちゃん、チルナを起こしてきてちょうだい?」
にっこり笑顔のまま、マリサはカルナリスに命令した。
そう、それは命令だった。
カルナリスは、言われるままにこくこくと頷いていた。
手に持った食糧の袋をテーブルの片隅に乗せ、カルナリスは脱兎の如く逃げた。
チルナに助けを求めるために。




