火の魔法使いの弟子・4
カルナリスはマスクとエプロンを付け、腕まくりをして戦闘態勢を整えた。
窓という窓を開け放ってから、粗大ゴミ置き場と化している、彼女が半年ほど前まで暮らしていたキーアの小屋に向き直る。
「ふっふっふ」
「はっはっは」
カルナリスのどこか病的に陰鬱な笑いに呼応するように、彼女の自称師匠であるキーアが、偉そうな笑い声を上げた。
「さて、邪魔です。どっか行って下さい」
きりっと睨み付けると、キーアは勢いよく首を横に振った。邪魔しないという意思表示らしい。
「しーしょーっ。邪魔ったら邪魔なんです」
「ルナ冷たい」
キーアの背中を押しながら、小屋から追い出そうとするカルナリスを振り返り、キーアはぼそりと呟いた。
「こんなに散らかしてる師匠が悪いんです。もうホント、どうやったらこんなに散らかせるんですかあ? 全くっ!」
キーアに向かって怒って見せてから、カルナリスは疲れたように大きく溜息をついた。
確かに、チルナの所に通うようになって、キーアの小屋へ来る回数は減った。しかし、だからどうしてここまで汚くなるのか。
放りっぱなしの本の山、山、山。魔法具は散らかし放題。薄汚れた灰色のローブの下に、埋まったマグカップと黒こげの物体の載った皿。あれはいったい何なのか。
「ルナ? 何か、疲れてるな」
心配そうなキーアの声に、カルナリスは一瞬瞳をうるうるさせ、それから、がーっと両手で頭をかき混ぜた。
「ル、ルナ?」
「疲れてんですよ、ホンット、疲れてるんです。
だから師匠、せめて少しは散らかさないような努力を見せて下さい。ご飯食べて下さいよ。何だってこう……」
あうううう、とカルナリスは低いうめき声を出してその場に蹲ってしまった。
「ル、ルナ……」
「何をそんなに落ち込んでるんだい、ルナ?」
おろおろするだけのキーアの背後から、面白がるような低い声が響き、カルナリスはがばりと顔を上げた。
「げっ」
「塔長っ!」
思わず漏れたキーアの呟きを打ち消すかのように、カルナリスが先ほどまでとは打って変わって元気よく叫んだ。そして、いつの間にかキーアの背後に立っていた、濃い茶色のローブを身に纏った男性に勢いよく飛びついく。
カルナリスが飛びついた相手は、彼女の養い親、世界の魔法使いの中枢、「理の塔」の長である。
塔長は、プラチナブロンドの髪に、葡萄色の瞳、彫りの深い顔立ちをした、30前後の男性だった。最も、カルナリスを拾った頃から彼の見かけは変わらないので、実年齢は全く不明だ。
「やあ、相変わらず元気があり余ってるね、ルナ」
カルナリスの乱れた頭を、右手で優しく撫でて、彼女に穏やかな声で話しかけながら、塔長は左手でキーアの腕をぎゅっとつまんだ。
「いでででっ。な、何すんですか、塔長」
「塔長?」
キーアの声に、カルナリスは埋めていた顔を上げて塔長を見上げた。片手とはいえしっかりと抱きしめられているので、あまり顔を動かせない。
横を見ることが出来れば、塔長のすぐ横で、変な方向に腕をひねられているキーアを見ることが出来ただろう。
「何でもないよ、ルナ」
にっこりと柔らかい笑顔を向けられて、カルナリスは嬉しそうに顔をほころばせた。
「この間はありがとう。マーナのジャム、美味しかったよ」
「良かった!」
にこにこと笑うカルナリスを見て、キーアはふてくされたような顔になった。それに気付いたのは、残念ながら隣に立つ塔長だけである。
「何しにきたんですか、暇人」
「おやおや。仮にも自分の師匠に対して暇人とは、いけない口だね」
ひねっていた手を放し、塔長は満面に笑みを浮かべながらキーアの口を引っ張った。
「あにすんれふは?」
「師匠? 何言ってんですか?」
理解できない言葉に、カルナリスは何とか首を動かしてキーアに視線をやった。
「何でもないよ。
きっと部屋が汚すぎるせいで、頭のネジが1本か2本どっかに飛んでいったんだね」
塔長は、カルナリスが振り向く寸前でキーアから手を放し、彼が口を挟む隙を与えず素早く答える。
「……何しにきたんですか」
低く押し殺した声でキーアが問うと、塔長はにこりとカルナリスを見つめ、
「もちろん、可愛い養い子の様子を見に来たのさ」
と答えた。
「この間会ったばかりじゃないですか?」
「この間? 全然この間じゃないよ。ね、ルーナ?」
キーアの冷ややかな指摘を受けて、塔長は爽やかな笑顔をルーナに向けた。
確かに、この間といっても、カルナリスが塔長を訪ねたのは1ヶ月以上前の話だ。
「ああ、えっと、あの?」
カルナリスはキーアと塔長を交互に見やり、返答を詰まらせた。二人から、かなり強烈な圧力を感じる。自然、足が後ろへ下がった。
「こ、こんな所じゃあれなんで、あの、外に椅子でも出しますから。ね、ちょっと待ってて下さい」
とりあえず、逃げることにした。
「う~ん。ルーナの入れてくれたお茶はやっぱり絶品だね」
にこにこ笑いながら、塔長はカルナリスの用意したお茶を飲み、お茶請けのクッキーを手に取った。
「いい加減、うすら寒い笑いは止めて下さい」
塔長とキーアが向かい合って座る側に、カルナリスの姿はない。彼女は家の中をせっせと掃除している最中だろう。
「何言ってんだい、キーア。お前こそ、その鬱陶しい頭何とかしたら?
ルーナに嫌われるよ」
「……何の用なんです」
じとっと睨み付けたまま、キーアはテーブルの上のお茶にもクッキーにも手を付けていない。
「美味しいよ?」
「知っています」
ぶすっと答えると、塔長はにやにや笑いを浮かべる。ちっと、キーアは小さく舌打ちした。
「ルーナは順調なようだね。随分と魔力が安定してきた。
さすがディオスにマルクトだ」
「わざわざここまで来なくったって、そんなのあんたならわかるでしょうが」
塔長という立場は伊達ではない。全ての魔法使いの頂点に立つ存在だ。
彼なら、この塔にいる全魔法使いの魔力を見極めることも可能だ。
カルナリスの変化など、自室で寝ていたってわかるだろう。
「まあ、そうだけど。
ルーナに会いたかったんだよ。ついでに可愛い弟子の、お前の様子も見たかったし?」
キーアは、今度は大きく舌打ちした。
「お行儀悪いよ。
昔っから、お前はどうにもだらしなくて、いい加減で、我が儘で自分勝手でいけないねえ」
ふうっとわざとらしく肩を竦める塔長に、キーアは長い前髪の影から、剣呑な視線を向ける。
その言葉はそのまんま自分に当てはまるだろう、という言葉は、何とか飲み込んだ。
「睨んだって怖くないって。
で、ルーナは、今ニルスの所にいるんだろう?」
「あんたの所には行かせませんよ」
「おやおや。まあ、そうだね。ルーナは大地の魔法については、あまり心配要らないからね」
「……」
黙り込むキーアに、塔長は優しい笑みを向ける。
「まだ、迷っているのかい?
いい加減諦めるんだな。ルーナがああ生まれついたのは仕方ないんだよ。身の内に、全ての魔力を均等に持っているんだ。放っておけば、バランスが崩れていずれ彼女が壊れる。
あの娘に限っては、選択の余地はないんだよ」
お前と違ってね、と小さく呟いて、塔長は静かにお茶を飲み干した。
キーアの前のカップは、手を付けられないまますっかり冷めてしまっていた。




