風の魔法使いの弟子・7
魔法使いの集まる「理の塔」は、中心に魔法使いのタマゴ達の学ぶ「学舎の塔」を据え、それを取り囲むように立つ4つの魔法使いの塔を基本に構成されている。
「理の塔」で正式の魔法使いとしての認定を受けた魔法使い達は、ある者は国に仕え、ある者は地方領主に仕えた。
基本的には、「理の塔」の斡旋する職につくものが多いが、生活の安定よりも自由を求める者は、「理の塔」の許可を得た上で、市井にて生活することもある。しかし、ほとんどの魔法使い達は、「理の塔」に残って研究に励んだり、後進の育成に努めている。
そんな正規の魔法使い達は、皆それぞれの属性に分かれた4つの「魔法使いの塔」に住んでいるのだが、生徒達は違う。4つの塔の西に建てられた学生寮に皆詰め込まれるのだ。
そして、学舎の塔を基準として、学生寮と反対側に立つのが、この「扶翼の塔」。
ここには、この「理の塔」に所属する魔法使い達の生活を補助するためのあらゆる施設が詰め込まれている。衣食住にかかる施設はもちろん、魔法使い達が使う魔石や魔法具などを作る工場や、郵便施設等々。この「扶翼の塔」で揃えられないものなど無い。
カルナリスは両サイドをミリィとクロイに挟まれ、目の前に立つ「扶翼の塔」をぽかんと見上げていた。
「えっと、あれ? どこから湧いて出たんですか?」
「どこからって、ずっと初めっからここにある」
「ええ?」
カルナリスの驚きの声に、ミリィとクロイは思わず自分の耳を塞いだ。
「貴方、まさか今まで来たことありませんでしたの? 5年にもなって……」
ミリィが左耳を抑えながら、呆れたように問うと、カルナリスは大きく頷いた。
「まあ、ここは、用のない人間には見えないか」
「ク~ロ~イ先輩~。ミ~リィ先輩~」
クロイの呟きに被さるように、妙に間延びした呼び声とともに、銀色の物体が、そののんびりした声とは裏腹に矢の如く飛んできた。
「か、感激ですぅ。こんな所でお二人にお会いできるなんてぇ。
ああ、覚えて頂けてますでしょうかぁ。わたしぃ、カルナリスの大親友の、レイナですぅ」
胸元でぎゅっと両手を握りしめ、レイナは一心にクロイを見つめていた。隣にいるカルナリスには目もくれない。そもそも視界に入っていない。
と言うか、いつから「大親友」になったのか。
カルナリスは大きく首をかしげた。右横に呆然と立っていたミリィが、はっとしてカルナリスの耳元に口を寄せる。
「な、何ですの、この目をハートマークに輝かせている奇妙な子は?」
クロイがじりじりとカルナリスの背に隠れていく。そのついでに、クロイはカルナリスを前へと押し出していった。
「えっと、今いるマルクト先生のところで一緒に勉強しているレイナです。クロイ先輩のファンみたいです」
「まあまあ」
ミリィがにやりと、本当ににやりと笑った。その笑顔に、カルナリスは凍り付く。
「レイナさんとおっしゃるの?」
「きゃうああ。ミリィ先輩に名前を呼ばれてしまいましたあ」
更にハートを飛ばすレイナに、ミリィもカルナリスを盾にする。
「クロイのファンなんですって?」
「ミリィ先輩のファンでもありますぅ。綺麗なものが大好きなんですぅ」
ぽっと頬を染めるレイナに、ミリィとクロイはさもありなんと頷く。
「私、ちょっとカルナリスに用があるの。申し訳ないんだけれど、クロイと一緒にあなた達のお師匠様にカルナリスをお借りしたいってお断りしていただけるかしら?」
「おいっ!」
うふふふふ、と笑うミリィの横で、気色ばむクロイ。きゃあ、と歓喜の叫びをあげるレイナ。
「さ、参りましょう」
ミリィに腕を引かれたカルナリスは、背後に突き刺さる氷の視線に、だらだらと滝のような汗を流していた。
「ここが工房ですわ」
「工房?」
扶翼の塔の扉を開くと、そこには粗大ゴミ置き場かと思われる、乱雑な部屋が広がっていた。キーアの小屋よりは広いが、外から見た塔の大きさから鑑みるに、小さすぎる部屋だ。
奥にぼろぼろの木の扉があるが、その先に大きな部屋が広がっているとは思えない。
不思議そうな顔のカルナリスに、横に立つミリィは彼女の考えていることに気付いたが、説明は面倒なのか、何も言わなかった。
この「扶翼の塔」は、必要とするものにしか見えない。そして、その扉もまた、必要とする場所にのみつながる。ミリィが用があったのが、この小汚い工房だったために、扶翼の塔の扉はここへとつながったのだ。
きょろきょろと辺りを見渡していたカルナリスは、巨大なゴミ箱のような部屋に人がいることに気付いた。
中央の作業台の上に、すり切れた濃い灰色のローブを着た、鳥の巣のような頭の人間が座っていた。
「チルナ」
ミリィの呼びかけに、鳥の巣頭の人物がおっくうそうに振り向く。その髪は、白に近い薄いピンク色で、向けられた大きな瞳は、鮮やかなピンク色だった。
その組み合わせは実に綺麗だったのだけれど、いかんせん鳥の巣頭に白を通り越した青白い顔、やつれた頬は、まるで幽霊を彷彿させた。
「あんた達のお願いは断ったはずだけど?」
深い溜息混じりに漏れた声は、掠れて、ひどく疲れた様子だった。そして、その声は間違いようもなく女性の声だった。
「お願いじゃありませんわ。仕事を依頼したいのです」
「だったら尚更だな。自分で稼げん奴からの仕事の依頼はうけん」
すげなく断ると、チルナは再び向こうを向いてしまった。
「さあ、貴方の出番よ」
「はいぃ?」
どんっと背中を突き飛ばされ、カルナリスは勢い余ってチルナののる作業台に追突した。
腹に響く痛みに、カルナリスは思いっきり顔を顰める。
「ミリィ」
チルナの咎めるような声に、ミリィは申し訳なさそうな顔を作ってから、にこりと笑ってカルナリスを示した。チルナがそれを追ってカルナリスを見つめる。思わず、カルナリスはへらりと愛想笑いを浮かべた。
一体、何だというのか。誰か説明してくれ、と言うのが彼女の気持ちだ。
「お金での支払いがだめだとおっしゃるなら、体で支払うって言うのはいかがでしょう? 十分健全ですわ」
「は、はいぃ?」
ミリィの発言に、カルナリスは思わず叫ぶ。
「これは関係ないだろう」
これ呼ばわりされて、カルナリスはむっとしたようにチルナを振り仰ぐ。
「関係なくはありませんわ。彼女は、来年には私達の妹弟子になるかもしれませんのよ」
「ああ、っと、ええ……、あ?」
それは否定できないような気がして、カルナリスはもぞもぞと口ごもる。
しかし、だからそれが何だというのか、やはりわけが分からない。
「……ふん。今回限りだぞ」
「ありがとうございます。と言うわけでカルナリス、よろしくてね?」
「よろしくってねって、何がよろしいんでしょうか、ミリィさん?」
首をかしげながら、カルナリスはミリィとチルナを交互に見やる。
「こちらで修行するのよ」
「ええ? しゅ、修行?」
「修行?」
驚いたように声を上げるカルナリスと、訝しげな視線をミリィに向けるチルナ。
二人を交互に見やりながら、ミリィは満足そうに頷いた。
「そうですわ。
チルナにとっては、代金代わりの奉仕。カルナリスにとっては、今後のお金稼ぎに貢献する技術力アップのための修行。ね、双方にとって良い条件じゃありませんこと?」
「えっと、あの? 何かよくわからないんですけど?」
困ったように問いを発するカルナリスを見て、ミリィは心底呆れたような視線を向ける。
「まあ、本当にカルナリスはお馬鹿さんね。まだわからないの?
貴方はここで、チルナが師匠の魔法具を修理するための手伝いをするんです」
「えっと、ええ?」
「彼女は優秀な魔法具技師です。きっちりその技術を身につけなさいな」
にっこりと綺麗な笑顔を浮かべるミリィ。
カルナリスはわけが分からず、ミリィからチルナへ視線を移した。
「ということらしい。こき使うからな」
「は、はいい?」
要は人身御供に出されたらしい、と、カルナリスは3日経ってからやっと気付いた。