風の魔法使いの弟子・6
100人は余裕で収容できる講堂の中は、灰色のローブに身を包んだ魔法使いのタマゴ達でほぼ埋め尽くされていた。
扇状に広がる講堂の中心にある教壇には、青いローブを着た高齢の魔法使いが立ち、教鞭を握っている。
朝一番の講義にもかかわらず、出席率は高い。
この、「水魔法と火魔法の関連と影響について」の講義が、6年生に昇級するために必須の講義であり、かつ講師の魔法使いが出席重視で成績を付けるためでもあった。
受講資格が3年生からのため、集う生徒は3年生が多い。5年生は、カルナリスの他には2,3人いる程度である。
皆が静かに講義に聴きいっている中で、講堂の中央右寄りに座っていたカルナリスもまた、熱心にノートに向かっていた。
ただし、講義内容をメモしていたわけではない。
彼女は内職に励んでいた。
マルクトにもらったクッキーと、たくさん収穫のあったマーナの実で作るお菓子のレシピを作っていたのだ。
大量のジャムを作っても、まだマーナも実は残っている。
これを有効活用しようと、カルナリスは新しい菓子作りに取り組んでいた。既にディオスやマルクトにお裾分け、という思考は跡形もなく消え失せている。
ビチャーンッ
「って」
額に何かがぶつかって、鋭い痛みを訴える。
「カルナリス・ティアル。お前は、留年したいのか?」
「滅相もないっ!」
むすっとした表情の、青いローブの魔法使い。
ずきずき痛む額。額を滴る液体。触れると、それは赤い液体ではなく無色の水だった。
どうやら、水で作った球を投げられたらしい。
「もっと講義に集中しろっ」
「はいぃぃ」
額を抑えながら、カルナリスは弱々しく答えた。
「あまり利益率がよくないんだよなあ」
カルナリスは講堂を出ると、レシピのノートを片手に深く溜息をついた。
菓子作りはあまり大量生産も出来ないため、考えていた以上にもうけが少ないのだ。
「何がですの?」
「ふぎゃあっ」
すぐ耳元に息をかけられて、カルナリスは髪を逆立てた猫のような叫び声を上げた。
「きゃっ」
カルナリスの声に驚いたように、対照的に可憐な声が上がる。
「わあ、びっくりしたあ、ミリィさんじゃないですか? どうしたんですか?」
胸に手を当てながら振り向いたカルナリスは、両耳に手を当て、思いっきり眉を顰めていたミリィに声をかけた。
水色のローブ姿のミリィは、相変わらず水の精と見まごうほどに可憐だ。さすが、ディオスの弟子。本当に美少女である。
「どうしたのじゃありませんわ。まったく、驚いたのは私の方です」
「可愛さの欠片もない叫び声だな」
ミリィの背後からぬっと顔を出した美少年に、カルナリスは思わず顔を顰める。
こちらもまた天使のような美貌で、しかし悪魔のような意地悪な表情を浮かべている。
「うげっ、クロイさんまでっ」
「……うげ?」
「あわわわわ、ど、どうしたんですか、二人とも? いや、お二人が学舎の塔に来、じゃな、い、いらっしゃるなんて、ねえ?」
そっとクロイから距離を取りながら、カルナリスはミリィに問いかけた。
学舎の塔で学ぶのは、基本は5年生までなので(例外は留年、準留年組くらいだ)、7年生である二人は、学舎の塔に来る用など無いはずだった。
「これ、お菓子のレシピですわ」
いつの間にかわたわたしているカルナリスの手から、ノートが抜き取られている。
「へえ。これも売るわけ?」
呆れたようなクロイから、カルナリスは思いっきり視線を逸らした。
「ああ、いや、そうじゃなくてですね、この間、マルクト先生に美味しいクッキーをごちそうになったから、その」
「なるほど、僕達にごちそうして下さるわけですね?」
「うひょっ?」
底冷えするような冷たくバカ丁寧な声に、カルナリスは珍妙な悲鳴を上げる。
「まあ、楽しみですわ」
嫌みったらしいミリィの相づち。
「え? え?」
青くなったり白くなったりするカルナリスに、クロイとミリィはそろって呆れたような視線を送り、そろって大きく息を吐いた。
「相変わらずお金儲けのことしか考えていらっしゃらないようですわね。でも、お菓子ねえ」
「新たに開拓していこうって腹か。あまり儲からないだろう」
「あ、う、ええっと」
左右を二人に挟まれ、カルナリスはおどおどと後ずさる。それを、やはり二人に同時に両腕を捕まれて阻まれた。
「誤魔化しても無駄だぞ」
「往生際が悪いですわ」
「あああ、っと。はい。そですね。
ちょっとお菓子で儲けらんないかなと考えましたです。でも経費考えるとちょっと厳しかったです。店を出すわけでなし、販売ルートが限定されている上、委託するとなるとマージンとられるわけですし、結果儲けは雀の涙でして、おっしゃるとおりですよ、はい」
ふふっと遠くを目にやりながらカルナリスは笑った。
もうどうにでもしてくれよ、良いよ、あんた達は神様だよ、みたいな心境である。
「そうですわよね、所詮お馬鹿さんのカルナリスが考えるわけですもの、たかがしれてますわ」
「というわけで、行こうか」
「はい?」
にこにこ満面の笑顔の二人に、カルナリスは、忘我の境地から現実に否応なく引き戻された。
「な、何か嫌な予感するんですけれども?」
「あら、いやあね、可哀想なカルナリスのために、私達、力を尽くしてあげようと言うのに?」
「そうだよカルナリス、君のためにとっておきのアルバイトを持ってきた僕達に、何を言ってるんだか」
がっしりと掴まれた腕はびくともせず、カルナリスはどうにも逃れることが出来ない。
両足で踏ん張るカルナリスを引きずりながら、2人はそれはもう怖いくらいに上機嫌で学舎の塔を出ていった。
「あの、一体どこへ行くんですか?」
聞きたくない、聞きたくない、でも聞いとかないといざという時逃げられない、と葛藤しながら、カルナリスは小さな声で、両脇をしっかりと固める二人に問いかけた。
「理の塔はどこからどこまでか知っていて、カルナリス?」
「はい? どういう意味でしょうか?」
試すように逆に問いかけるミリィに、カルナリスは首をかしげた。
「その問いをカルナリスのレベルに言い換えれば、この土地に、一体いくつの建物があるかってことだな」
「えっと、それなら、中央の学舎の塔と、4つの魔法使いの塔と、あと、建物って言えば、寮もそうか」
クロイの言葉に内心引っかかるものを感じながらも、カルナリスは素直に答える。
「それだけじゃないだろう?」
「師匠の小屋ですか? あれは、塔のものなんでしょうか? え、でも、ここは塔の土地でしょう? 塔のものじゃなかったら、もしかして、えっと……」
「いや、他にもあるだろうが」
呆れたようなクロイの呟きも、カルナリスには届いていなかった。
「不法滞在? 不法居住? え?」
「ちょっとお黙りなさいっ」
パシーンと小気味よい音が響く。
「へ? い、いたっ」
どこから出してきたのか、手にハリセンを持つミリィ。
「扶翼の塔があるだろうが」
真っ赤になった額を抑えて呻くカルナリスに同情の色を全く見せずに、クロイはさらりと言った。
「ふよくの塔? なんですか、それ?」
「知りませんの?」
「馬鹿だ」
これ以上ないくらい馬鹿にしたような視線を送られて、カルナリスはそれ以上問いかけることが出来なかった。