風の魔法使いの弟子・5
収穫期を迎え、真っ赤に熟したマーナの実を摘み終わると、カルナリスは畑に仰向けに横たわった。
眩しい太陽の光に、彼女は目を細める。
理の塔の横に立つ、みすぼらしい小屋の裏にある、こぢんまりとした畑の中で、穏やかな陽光を浴びて、カルナリスは満足そうに微笑んだ。
籠に一杯のマーナを一つ取り出し、灰色のローブの裾で簡単に拭いてから、大きくがぶりとかぶりつく。
じわっと口いっぱいに広がる果汁。
微かな酸味と、後を引かない爽やかな甘み。
太陽の光をたっぷり浴びて育った、自然の旨味。
「うん、うまっ」
思わず呟いて、彼女はもう一口かぶりついた。取り立ての果実は、最高に美味しい。
「……ずるい」
急にカルナリスの上に影がおり、同時に降ってきた声に、カルナリスは飛び上がる寸前で押し止められた。
「危ないなあ、ルナ。
ぶつかるじゃないか」
「驚かす師匠が悪いんですよっ!
もう、何がずるいんですか?」
ゆっくりと起きあがるカルナリスを覗き込むようにして、いつの間にやってきたのか、彼女の自称師匠のキーアが立っていた。
「ずるいって、これだよ、これ」
そう言うと、キーアは自身の薄汚れた灰色のローブの裾で、乱暴にカルナリスの口元をぬぐう。
「うわああ、何すんですか師匠、き、汚いっ」
「汚いのはルナもだろうが。っていうかお子様?」
べっとりと赤い果汁の付いたローブを見せて、キーアはにやりと笑う。
「お、お子様あ? 師匠にだけは言われたくないっ!」
がばっと両膝を抱き込むようにして、カルナリスは俯いた。
「ルーナ?」
「知りません!」
「ルナ、ルーナ?」
キーアがつんつん、と肩を突っつくが、カルナリスは一向に顔を上げようとしない。
「お子様だなんてお子様だなんてあんまりだ。一人じゃご飯も作れない、後片づけもろくに出来やしない、トイレに行っても手を洗わない失格人間のくせに」
「ちょっとルーナッ」
手は洗うって、と呟くキーアの声はカルナリスに届かない。
「そんな人にお子様って言われた。お子様だって。
じゃあお子様に面倒みてもらっている人って何者? 師匠じゃない。絶対師匠なんかじゃないもん。ちょーお子様ってことじゃない」
「あー、ごめん、ルナ」
どっと疲れに襲われたキーアは、カルナリスの横にしゃがみ込むと、諦めたように謝罪の言葉を口にした。
「はい」
俯いたまま、カルナリスはキーアの前にみずみずしいマーナの実を差し出す。
「しょうがないから許してあげます」
「うん。ありがと」
カルナリスが顔を上げ、キーアの顔を覗き込むと、にこりと笑った。
やっぱりまだまだお子様なんだよなあ、と心の中で呟きながら、キーアはマーナにかぶりつく。
じわっと広がる果汁。
カルナリスが丹誠込めて育てた実は、甘くて美味しかった。
「随分摘めたね」
籠を抱えてキーアの小屋に向かって歩き出したカルナリスの背に、キーアは声をかけた。
「そうですね、これ、塔長と、ディオス先生とマルクト先生に差し入れしても良いですか?」
カルナリスは足を止め、全く手伝おうとする様子のないキーアを振り返って尋ねる。
畑の世話をしているのは、ほぼ99%カルナリスだったが、畑の所有者はキーアなのだ。彼女の一存で収穫物を配るわけにはいかない。
しかし、こんなに一杯の実を、キーアとカルナリスだけで食べられるはずもなく、いつも収穫の時には塔長に差し入れをしていた。塔長はマーナの実に目がない。
「ディオスとマルクトに?」
重い腰を上げながら、キーアが呟く。
静かな声に微かに不愉快そうな響きが混じっていることに、鈍いカルナリスは気付かなかった。
「はい、ディオス先生にはすっごくお世話になったし、マルクト先生にはこれからお世話になるわけだし」
にっこりと笑顔を向ければ、長い前髪に隠れたキーアの顔は、盛大に顰められた。
「……売れば?」
「え? そ、それは、売る……」
ドキドキと心臓が早鐘を打ち出し、カルナリスは挙動不審にもきょろきょろと頭を動かした。
売る、と言う言葉は、どうにも魅力的すぎた。
「で、でも、塔長は楽しみにしてらっしゃるし……」
「塔長にだけあげればいい」
その言葉は、まるで悪魔の誘惑のように、カルナリスに響く。
こんな些細な収穫だ。小さい畑だ。売ったってたいした収入にはならない。
しかし確実に金に換わる。
「あー。いや、そんなわけにはっ!」
「売り上げ全部、カルナリスのお小遣いで良いけど」
ずっきゅーん、とカルナリスの心臓を直撃する言葉に、カルナリスは籠を抱きかかえたまま蹲った。
「う、売ろう、かな……?」
「うん」
えへへ、と笑うカルナリスに、キーアは大きく頷いた。
マーナの実は、ジャムにするとすごく美味しい。
カルナリスは真剣な顔で、巨大な鍋に向かってマーナの実を煮込んでいた。
たくさん作って、一つはキーアに、一つは塔長に、後は売るつもりだ。
ディオスとマルクトにあげるのは諦めた。お小遣い独り占めの誘惑には勝てない。
「楽しそうだね」
「はい!」
鼻歌を歌いながら鍋に向かうカルナリスを、キーアはじっと見つめる。
「マルクトのとこはどう?」
「楽しいです!」
「ふ~ん」
ぐつぐつ煮える鍋を、カルナリスはうっとりと眺めている。
「マルクト先生は、すっごく優しいですし、丁寧に色々教えて下さるからわかりやすいし。なんか良いですよね~、師匠って感じがして」
「ほー」
「それにね、何か可愛いんですよ! すぐ照れちゃうし、真っ赤になっちゃって、からかいがいがあるっていうか。あ、でも、もちろん私はからかったりなんかしないですよ? なごみ系ですよねえ。良いなあ、普通の授業でもマルクト先生みたいな先生だったら楽しいのに」
振り返って満面の笑顔を見せるカルナリスに、キーアは不機嫌そうに眉を寄せた。もちろん、長い前髪に隠されているせいで、カルナリスには見えなかったけれど。
「そんなにマルクトが良いんだあ?」
「はいっ!」
「……ディオスより?」
露骨に不機嫌そうな声も、カルナリスは気付かず、真剣に考え込む。
「えー、あーどうかなあ? あそこはあそこで、儲け話がごろごろで良いんですよねえ。マルクト先生のとこだと、なかなか内職が進まないし」
「……それが基準なわけ?」
呆れたような物言いに、カルナリスは不思議そうに首をかしげる。
「え? ほかに何が?」
真剣にわからない様子のカルナリスに、キーアは脱力したように小さく溜息をついた。