さえない魔法使いの弟子・1
「きゃああああああっ!」
扉を開けた瞬間、カルナリスは思いっきり悲鳴を上げた。
なんだこれは。
なんだこの、あり得ない状況は。
目の前には、彼女の想像を絶する光景が広がっている。
「うわわああああ?」
彼女の悲鳴に驚いて、その部屋の住人も負けず劣らずの大声で叫び返した。ゴミだめに埋もれ、部屋と同じくらいぼろくて汚い灰色のローブに包まれた、ぼさぼさ頭、無精ひげの男が振り向き、カルナリスを認めるとほっと息を吐く。
「な、何だルナ。驚かさないでくれ」
さすが年の功と言うべきか、先に正気を取り戻したのはこの部屋の住人、声だけは若々しいキーアだった。
「何だ? 何だと言いたいのはこっちです! 何ですか、これはっ!?」
小さい体を怒りに震わせて、カルナリスは叫んでいた。綺麗な琥珀色の瞳が、怒りに燃えている。
「これって? え?」
彼女が何に怒っているか、全く分からないというように、キーアは辺りをきょろきょろ見渡す。
彼には本当に分からなかった。見渡す彼の部屋は、いつものようにぐちゃぐちゃで汚い。積み重なっていた本は乱れに乱れ、魔術の研究に使った機材があちこちに転がっていて、足の踏み場もない。
でもそれは、いつものこと。
「今朝、私は片づけて出て行ったはずですがっ?」
早朝も早朝。陽も昇らぬうちに飛び起きたカルナリスは、いつもの惨状にめまいを起こした。昨晩遅くまで魔術研究書を読みふけっていた彼女の師匠、師匠とは言ってもとりあえずの臨時師匠なのだが、キーアが何も片づけずに、しかも半分寝ぼけた状態で寝室に戻っていったため、辺りをけ散らかし、部屋は乱れに乱れていたのだ。
それを、半泣きで片づけた。
何とか見られる状態まで片づけた後、いつ目覚めるか分からない師匠のために、すぐ食べられるようにご飯の準備をして、魔法使いの塔、「理の塔」へと出て行ったのだ。
カルナリスはセントラル・フィールドにある「理の塔」で、正式な魔法使いになるべく勉学に励む学生である。ただ今4年生で14才。本来正式な「師匠」を得るのは5学年になってからだったが、一応自称「師匠」がいて、塔近くにある彼の家、と言うか小屋で生活している。
塔に入った生徒は、塔備え付けの寮に入るのが原則であったが、ただ一人、彼女は例外であった。
一応、寮に入るには入ったのである。
が、入寮早々に部屋を破壊した。
カルナリスに覚えはない。だが、間違いなく彼女がやった、らしい。どうも彼女は、自身の魔力を押さえることができない体質のようだった。寮に入るまで、何とか無事でいたのは、ただただ彼女の養い親である理の塔の長が側にいたからである。
3度ほど部屋を変更し、その全ての部屋を破壊し、彼女は寮を追い出された。ついでに、借金も抱えた。
彼女の破壊活動はすさまじく、幸いにして怪我人は出なかったものの、復旧にはそれなりの費用がかかったのである。魔術師の塔とは言っても、簡単に直せる物ではなかったらしい。魔法には、それなりの準備がいる。魔石やら魔道具やら呪符やらその他諸々。もちろん魔法の種類や規模によって、何を用いるかが異なってくるわけだが、まあ、それらもただではない。そして、どれも高価だ。
1度目は何とか許された。しかし3度も続けてとなると、さすがに塔長も甘い顔をしてはくれなかった。カルナリスが、彼の養い子であることも原因の一つだったかもしれない。
養い子だから、甘やかされている、カルナリスがそういう目で見られることを、彼はおそらく嫌ったのだろう。だから、彼は彼女にきっちり請求書を贈った。
金6,753,566ギール。
彼女が一生をかけても払いきれるか、と言う金額である。こんなお金があったら、派手に遊ばなければ、一生生活していける。
3度目の破壊活動で、運悪く、彼女の隣の部屋にあった魔石が反応し、被害が拡大したことがこの巨額を生み出した原因でもあった。返済のためには、正規の魔法使いとなり、塔のために無料奉仕を続けるしかない。そして、それでも追いつかない可能性が高かった。
彼女がこの巨額の借金を返すためには、塔一番の大魔法使いを目指すしかないだろう。しかしそもそも寮を追い出された彼女にとって、その道は真冬の雪山を登るより厳しく、大嵐の後の大海原を自力で渡るかの如くに困難だ。
塔を追い出されなかっただけでも幸いだった。
そして、多額の借金をこさえた彼女は、寮を放り出され、キーアの元へと放り込まれたのである。借金返済行為の一環として。
学生でもない、教師でもない、しかし塔の一員で、怪しげな研究に明け暮れているキーアの助手兼弟子、と言うか、生活能力ほぼ0に等しい彼の面倒を見るために。
カルナリスは4年間、キーアの元で、彼の面倒を見ながら勉学に励んでいた。
借金がいくらまで減ったのか、彼女は知らない。