華々しき囚人
ハッピーエンドにはなりませんのでご注意下さい
幼馴染みの化粧姿を、初めて見た。
普段童顔だ何だと言われているのが嘘の様な、大人びて楚々とした姿。小柄な身長に合わせたのであろう可憐なドレスも、どこか余所行き顔でしとやかに見える。
顔に貼り付けられた表情も控え目で大人しく、深窓の令嬢然としていた。
牛歩の如く遅々とした歩みで人垣の間を通り抜け、長い時間を掛けた後に王座の前のの陛、その数間先へたどり着くと、文句の付けようも無い完璧な所作で皇王に向けて礼をした。
「ふむ、久しいな」
「は。ルートベル・リシュタイン・フォン・クアイツ、只今参上仕りました」
皇王の声を受けて顔を上げぬまま幼馴染みの返した堅苦しい返答に、潜めた嘲笑がそこかしこでさざめいた。
無礼な笑い等知らぬ存ぜぬを装って、皇王は鷹揚に微笑んだ。
「今宵は、そなたと我が馬鹿息子の婚約披露式だ。そなたとの繋がりが馬鹿息子かと思うと情け無くも申し訳無いが、いずれ我が身内となる身、そう肩身を張って身構えるものでは無い」
「勿体無きお言葉にございます」
「うむ。では面を上げて、未来の娘の顔を良く見させてくれるか」
「はっ、御前に見える光栄、有難く存じます」
おもむろに上げられた面は美しいが、視線は足下二間程先に落とされ、返るのはやはり、堅苦しい答え。
ますます深まる嘲りの空気に、皇王は微笑みを苦笑に転じて、俺の方を向いた。
「フェリムト」
「はい」
頷いて、幼馴染みの許へ歩みを進める。
歩み寄る俺を後目に、皇王である父親は婚約披露式に列席した貴族達へ語り掛ける。
「皆も知っての通り、ルートベル嬢は位こそ候爵だが我が姉上、マリアベル皇女の愛娘にして正当な皇位継承権保持者。リシュタイン家の末姫ながら自身の功績により若くしてクアイツ領の領主に任ぜられた、才媛の姫君である。誠、我が馬鹿息子、第三皇子フェリムトには勿体無い女性だが、このたび、余の熱心な申し出を受けて馬鹿息子との婚約に応じてくれた。今日は、皆にそれを大々的に伝えて約束を反故にされない様にするために開いた、婚約披露式だ」
目の前に来た俺に癖で礼を取ろうとした幼馴染みを、手を掴んでとめる。
間近で見た、見慣れたはずの幼馴染みの見慣れぬ顔に、言葉を失った。
「ベ、」
「ルートベル、こちらへ」
一拍遅れて呼び掛けようとした俺の声は、皇王の言葉で掻き消えた。
そのまま会話も無く、無言で手を引いて陛へと先導する。
陛の上で立ち止まると、侍女の用意して居た指輪を幼馴染みの指へはめる。指輪をはめる為に、わざわざ指を露出したデザインの手袋。関節につっかかりかけながらも、婚約披露式の為だけに用意された指輪は幼馴染みの左薬指に納まった。
幼馴染みの指を飾る所有印に浸る間も無く、ただ笑みを貼り付けただけの無感情な顔をした幼馴染みは手を引き、綺麗に束ねられた髪から造花を一本引き抜いた。
銀の花弁の真ん中に金剛石を抱いた、美しい造花。
幼馴染みがそっと、俺の胸元に花を刺す。
建国神話の建国皇王夫妻が行ったと言う婚約の誓いに則した、婚約の儀式。元は道端に生えていた生花だったそれが、時を経て枯れぬ貴石の造花に変わった。
愛し合う二人ならば微笑みを交わす場面だろうか。
仮面の様な笑みを除けばにこりともしない幼馴染みと視線を交わし、揃って皇王へ向き直る。
「−…」
片足を引き、逆足を折り、深々と頭を下げた、淑女の礼、文句の付け様も無いカーテシー。長く保つには辛い姿勢で在るはずなのに、幼馴染みの身体は微動だにしない。
けれど。
すぐ横で跪いて居たから、わかってしまった。
深く伏せられて、人々から隠された、その表情。
カーテシーは元々、豪奢なドレスの為に跪けない女性が、跪こうとする意志を示す為の姿勢だ。
最早形骸化したその由来を、今、この上なく実感して居る。
跪く俺の横で、跪く事の出来ない自分に憤慨し、屈辱に打ち震える歪んだ顔。
指輪のはまった手は固く握り締められて居り、手袋に守られて居なければ、掌に深い爪痕が穿たれて居ただろう。きつく噛み締められた唇は、滲み出た血液で濡れた光を発して居る。
思わず目を奪われた俺に向けて、血濡れた唇から小声で叱咤が漏れた。
「殿下、宣誓を」
「っ、私、フェリムト・ジャスティン・エト・グリセドールは、ルートベル・リシュタイン・フォン・クアイツとの婚約を、ここに宣誓致します」
「私、ルートベル・リシュタイン・フォン・クアイツは、フェリムト・ジャスティン・エト・グリセドールとの婚約を、ここに宣誓致します」
血で染まる唇から零れる声は、屈辱に歪む表情が嘘の様に無感情だった。
「よろしい。余、エディソン・フレードリヒ・エト・グリセドールは皇王の名の下に、フェリムト・ジャスティン・エト・グリセドールとルートベル・リシュタイン・フォン・クアイツとの婚約を承認する。双方、面を上げよ」
皇王の声で顔を上げた幼馴染みを横目で窺えば、先の表情等露と感じさせぬすまし顔だった。
こう言う女だったと、強い歯がゆさを抱く。
侯爵令嬢として全ての感情を胸に秘め、何食わぬ顔で佇める、如何に後ろ指指されようと、陰口を叩かれようと、己の信念を貫き通せる、強い女だった。俺の幼馴染みは。
ドレスの前で重ねられた手は、相変わらず色を亡くす程握り締められて居るけれど。
「こちらへ」
手招く皇王に従い、立ち上がって歩み寄る。皇王は立ち上がり俺と幼馴染みを広間に向け、ぐるりと広間を見回した。
「ここに、二人の婚約が成った。今宵は是非とも、彼等の婚約を共に祝って欲しい」
朗々たる声に答える様に、盛大な拍手が響き渡った。
本心なんて、わかったものじゃないけれど。
拍手が収まるのを待って、皇王が告げる。
「では、宴を始めよう」
背を押す皇王に従って、幼馴染みの手を取り広間の中央へと進み出る。
図って演奏を開始された音楽に合わせて礼をし、歩み寄って踊り始める。
小柄な身長に反して広い肩幅、触れればわかる鍛え抜かれた身体に、剣を振り過ぎて硬くなった手。
いずれ国を継ぐ俺の兄、皇太子と並び立ち、軍人として支えるのだと目を輝かせて語る幼馴染みを、俺は憧れて応援したいと思って居た。
その為なら、この胸に在る恋心なんて、幾らでも押し潰したのに。
若くして頭角を現した才能、偉大な程の功績に伴って与えられた地位。
一見愛らしい少女にしか見えない彼女の台頭は、男社会でふんぞり返る腐った貴族共に受け入れられず、凄まじい嫉妬と反感、批判を買った。
その上に寄越された、他国の王族からの求婚。
皇王が選んだのは、剣を奪って飼い殺す道だった。
神に二物を与えられた幼馴染みは、皇子妃なり公爵夫人なりになっても、十二分に役立つ頭脳の持ち主だったから。
喩えそれが本人の望まぬ姿だとしても。他国に有能な人材を流出させるのは何としても抑えたかったのだ。
忠誠心厚い彼女は、大人しく皇王の意志を受け入れた。
軍人の地位を辞し、俺の妻になる事を。
そつなく踊る幼馴染みに向けられるのは嘲りの目。
彼女の才に脅かされていた男達からは、所詮男に逆らえぬ女と。
皇子妃の地位に嫉妬する女達からは、出来損ないの男女と。
どんな視線を向けられても、幼馴染みは黙ってひとり耐えるのだろう。
今迄も、そうだった様に。
良く出来た人形の様に微笑みを浮かべる幼馴染みの目は、二度と輝かない。
長年恋した相手を手に入れた俺は、一番欲しいものを手に入れられない。
輝かしい夢を追って駆け抜けて居た幼馴染みは国と言う牢獄に囚われ、俺の手から永遠に失われた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました