序章
「馬鹿だな~この作者」と呆れながらも、読んでくれた人の肩が少し軽くなったなら嬉しいです^^;
神に祈る。
それは困ったことが起きたときや、何かを願うときに人がする行為だ。
信心深い人にとって、それは嘆かわしいことなのかもしれない。
神様は困ったときに仕送りをしてくれる親でもなければ、高価な贈り物をねだる恋人でもないと。
しかし、まだ神に祈るだけマシというものだろう。
悪魔に願い、堕天使に祈ることに比べれば――。
「お願いします、お願いします! どうか悪魔よ、我が呼びかけが聞こえているならば、我が願いを叶えたまえ! デビデヒテビール!」
汚らしくものが散らばった部屋の中で、一人の少年が悪魔を呼び出そうとしていた。
少年の名前は、可沙良木みく。高校一年生。
といっても、いまは春休み中で、もうすぐ高校二年生になる。
女の子みたいでまぎらわしい名前だが、それ以上にまぎらわしいのは彼の外見だ。
ボブベースのショートヘアは、ふんわりと柔らかな金髪。くっきりとした目鼻立ちに、琥珀色の大きな瞳。涼やかな声を発するは、桜の花びらを思わせる形よい唇。小柄な身体の線は細く、美白のもち肌は化粧品いらず。
まるで美少女好きの神様が、趣味にはしりまくったような容姿なのだ。
だが、思わず抱きしめたくなるような可憐な姿とは裏腹に、その中身には電流が流れる有刺鉄線、あるいは百万ボルトのスタンガンといった言葉がよく似合う。
つまりは、触るな危険である。そう呼ばれていることを本人も知っていて、すっかりその気にもなっているのだが、クラスメイトたちから魔王様と怖れられているほどだ。
しかしそんな彼にも、悩みの一つや二つがあったのである。その悩みを解決するためにこそ、いま悪魔を召喚しようとしているのだ。
図書室で借りた黒魔術の本を参考に、ノートにマジックで描いた魔法陣を使用して。
「くそっ! また失敗だ。分厚くて重いくせに、この役立たずの本め!」
その容姿にふさわしい声で、その容姿にふさわしくない言葉を吐くと、みくは黒魔術の本を壁に向かって投げつけた。
「べつに悪魔じゃなくたっていいんだぞ。魔王様と呼ばれる僕には、きっとすごい堕天使が守護天使としてついてるに決まってるんだから。どっちでもいいから出さないと、どうなっても知らないからな」
わけのわからない理屈と脅しを口にして本をにらみつけると、それらしく胡坐をかきながら背を伸ばして目をつむり、今度は堕天使に向けて祈り始める。
「我を守護せし堕天使よ! 我が祈りが聞こえているならば、我が祈りを聞き届けたまえ! エンジェルシェルシェルエンジエール!」
だが、やはり何も起こらないし、起こる気配もない。ついでに言うと希望もなかった。
三学期の終わりに本を借りてから約一週間、真夜中に召喚の儀式を行なっては失敗することを、すでに三百回はしているからだ。何度となく投げられることになった本のページはつぶれてしまっているし、大声を出し続けてきた喉は奥のほうがじんじんと痛い。
魔王様と呼ばれる自分なら、必ずや悪魔や堕天使を呼び出すことができる。そんな妙な自信を持っていたのだが、さすがに、あきらめるしかなさそうだった。
「はあ…………」
深いふかいため息をつくと、みくはがっくりと肩を落とした。悪魔や堕天使がダメだというのなら、あとは神様くらいしか残っていない。
「でも、そんなのが出てきたら殴っちゃいそうだしな」
物騒かつ罰当たりな言葉をさらりと言うと、みくは顔をしかめた。
神様に愛されているに違いないだのなんだのと、幼いときから容姿について言われてきた彼は、神と呼ばれる存在が大嫌いなのである。
それというのも、友達の多くが高校生らしい顔つきになって声も低くなっているのに、自分は少し背が伸びたこと以外、ほとんど中学時代と変わらないまま。そんな自分がとんでもなく子供に思えてしまうし、みじめな存在に感じられてくるからだ。そうしたのが神様だというのなら、いくら恨んでも恨みたりないし、一発でいいからいれてやりたくなる。
道往く女子大生やOL、他校の生徒から、かわいいかわいいと褒めそやされても、ペットショップで売られている子犬かなにかに自分がなったようにしか感じられないし、まったく嬉しくはないのだ。男である以上、小動物を見るような目でかわいいと称賛されるのではなく、目を潤わせながらかっこいいと言われたいからである。
しかも中一の夏休みに、欲しいものを買わせるためにとはいえ、ナンパしてきた高校生の男と付き合ったことがある。女の子のフリをし続け、結局、二週間少し付き合った。
その結果できたのは、彼女いない歴十六年、彼氏いない歴三年という情けない記録。そのことを考えるだけで、日中はイライラしてしまうし、夜は悶々として眠れない。
彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい彼女が欲しい――じつに、そんな感じなのだ。
むろん、みくも健全な男子である。異性と付き合ってみたいというピュアな動機や、情けない記録を塗り替えたいという思いだけで、彼女が欲しいわけでも恋愛したいわけでもない。付き合い始めて一カ月経ったら的なことをいろいろと妄想してしまうし、そういう話をクラスメイトがしているのを聞くと、うらやましくなるどころか聞くのが途中でつらくなってくる。
やむをえず鉄拳をとばして話をやめさせても、自分に彼女ができるわけではないし、できそうな気配も一向にない。あるとすれば、このまま自分は一生、彼女ができないのではないかという不安だけだ。
だが、それもこれもかわいらしい見た目や女の子のような声のせいであって、そこさえ解決すればすべてうまくいく。ならば悪魔の力でもなんでも借りて、大人っぽくてかっこいい容姿と魅力的な低音ボイスを手に入れてしまえばいい。そう考えたのだった。
モテない最大の原因は日頃の言動にあるのだが、本人はまったく気がついていない。自分はツンデレな魔王様だから何を言ってもいいし、どんなことをしても許されるのだと、身勝手かつ傍迷惑な思いこみを持っているからである。
「ええ――い! 悪魔でも堕天使でもいい、魔王様の声が聞こえんのか!」
どうしてもあきらめきれず、やけになったみくは立ちあがると、天井を見上げながら叫んだ。この声よ、天まで届けとばかりに。
「僕の願いを叶えた暁には、この世界の半分をやるぞ!」
嘘である。というか、無理である。クラスメイトたちから魔王様と陰で呼ばれていようと、所詮はただの高校生。そんな権力は持っていないし、そんな権利も持っていない。
とはいえ自分の部屋で叫ぶぐらいの自由は当然持っているし、みくの部屋は防音してあるので大声に強い。小学校低学年のころ、ピアノを習い始めた彼のために、近所に気兼ねなく練習できるようにと両親が改装してくれたからだ。
その習い事は結局一年間も続かなかったのだが、いまもピアノは部屋の片隅に置かれている。いつか女の子を部屋に呼んだとき、あったほうがいいだろうと判断したみくが、売りに出そうとする両親を引き止めたのだ。
なお、現在の時刻は草木も眠る丑三つ時であり、現代の時刻に直すと午前三時を過ぎている。いくら好きに叫ぶ自由があって部屋が防音してあるにしても、常識があるなら大声を出すべきではないだろう。にもかかわらず、
「ああ――もうっ!」
いらだちをぶちまけるかのように、みくは絶叫した。
もはや昼間でも出していいレベルを超えているが、みくに常識がないというわけではない。それを平気で無視できる性格というだけだ。
そんな迷惑な人間は他にいないらしく、雑然とした部屋の中に静寂が戻る。
そして、悪魔も堕天使も一向に出てこないのは、魔王様と呼ばれる僕に怖れをなしているからなのかもしれない、まったく情けない奴らだと、みくがため息をつきながら肩を落としたそのとき、ひとりでにピアノの蓋が開いた。
ジャン♪ ジャン♪ ジャン♪
鍵盤が沈んで、軽快な音を鳴らしていく。
そのことをみくが不審に思う間もなく、今度は壁際でハの字につぶれていた本が浮かびあがり、バラバラという音をたてながら部屋中にページをまき散らした。軽やかなピアノの音色も、ずっと鳴り響いたままである。
適当な和音をくり返すピアノと、空中を舞う何百枚もの紙に、だんだんとみくの顔は怒りに染まっていった。
「掃除すんのやだかんな!」
状況に似つかわしくない、しかしよく考えれば当然でもある台詞を叫ぶと、みくは何者かの姿を探すように部屋を見まわした。これはどう考えても、悪魔か堕天使の仕業に違いない。ならば姿を消しているだけで、この部屋のどこかにいるはずだ。
「出てこい! せめて掃除ぐらいはして帰れ!」
もとから汚い部屋とはいえ、さすがに本のページが部屋中に散らばっていては、いつ足元がすべって転ぶかわからない。拾って片づけるしかないが、自分が散らかしたわけでもないのに、そんな面倒なことはしたくないのだ。
「赤ん坊でもあるまいし、ちょっと紙を散らばらしたくらいで、そんなわめくな。らしい演出をしてやっただけだ」
「……そうよ。自分だって意味不明な呪文唱えたり、魔王様だとか叫んだりしていたくせに。はっきり言って、迷惑なのよね」
突如、ドスのきいた低い声とかわいらしい声が、部屋の中に響いた。
声の出所がわからずに、みくが油断なく四方に目を向けていると、ピアノの前に二つの闇が音もなく現れた。二つの闇は徐々に勢いを増しながら渦を巻いていき、さながら漆黒の竜巻といった様相に姿を変えると、本のページなどをその身に巻きこみながら、激しい雷光とともに無数の火花を散らし始める。
クラスメイトたちから魔王様と怖れられるみくも、その異常な光景には油断なく構えながら、何かが起こるのをただ待つしかない。と、その瞬間、
「――――っ!」
まばゆいばかりの閃光とともに闇が四散し、みくは両腕で顔を覆った。
一瞬、その光の凄まじさに火傷を覚悟する。だが熱はまったく感じなかったし、どこにも火傷はしていない。安堵しながら、みくは両腕を下ろした。
すると、翼を生やした存在が二人、みくの目の前にいた。
「初めましてだな。まあ、貴様の声はうるさく聞こえていたが」
低い声のほうは鴉のような黒い翼を生やし、ゆったりとウェーブのかかった漆黒の髪を太腿のあたりまで無造作に伸ばしている。艶のある浅黒い肌をしていて、エメラルド色の瞳はまさに宝石のようだ。
「本当よね。ストレスで肌が荒れちゃったらどうするのよ」
かわいい声のほうは色こそ白いが蝙蝠のような翼を生やし、膝下まで伸ばした純白の髪をつけ根と毛先とでくくって、ふんわりと十二束にしている。瞳の色は輝かんばかりの黄金色で、絹のようにきめ細かい白い肌は、みくといい勝負だ。
二人とも衣服は一切身に着けておらず、身体のラインにそって流れる髪の毛と背中から腰をとおって前方で重ねられた翼の先端だけが、うまい具合に身体を隠している。
みくはただ呆然と――いや、食い入るように彼女たちの姿を見つめるのであった。