プロローグ:3日前の明崎
「――あ、キリオ君?」
「だああああああ!!」
『うわっ』
「もしもーし、聞こえますかー?」
『……何か断末魔みたいなの聞こえるんだけど』
「それな、オモロいことなってん! 見て見て」
その生徒はテレビ電話にしたスマホを――不良Aの股間から取り上げると、片腕で上手に相手の両足を抑えながら、文字通り真後ろで尻に敷いた不良Aの頭を嬉しげに映した。
「見える? 俺逆エビ固めできてん!」
「アアーッ、ギブギブギブッ!!」
あちこち飛び跳ねた茶色っぽい髪に、いつも周囲を惹きつけてやまない琥珀色の瞳。全体的に整った顔立ちの人懐っこそうな彼は、ここ波江高校どころか他校でも有名過ぎるお茶目な関西人、明崎である。
そんな彼は現在、放課後の三階渡り廊下のど真ん中で、電話をしながら不良Aに逆エビ固めを決めていた。叫び声は言うまでもなく床をバンバン叩く不良Aのものである。
「俺キリオ君がやってるの一回見ただけやで? 一回でこの再現率! やっば、俺天才過ぎる」
『……あのー、僕を待たせて一体何してんの?』
「んにゃー、冷たい態度取らんといてよー。写メ撮りに来てー」
『さっさとこっち来い馬鹿。――プツッ』
「わ、ブチられた。……あーあ。キリオ君怒らせたー。なぁ? ほら、こんなことしたらあかんねんで。君襲ってこやんかったら、今頃ちゃんと生徒会室着いとったもん」
それを言うならさっさと俺を解放してくれぇっ! というのが不良Aの言い分だろうが、悪いのはいきなり襲ってきた不良Aである。
明崎はただ廊下を歩いて生徒会室に向かっていたのだ。そこへ不良Aが後ろから奇襲を仕掛けて来たものだから、お望み通り喧嘩を買ってやったのである。
案外弱かった。ファイトタイムおよそ十五秒後には、不良Aは廊下で屍と化していた。そこでなんとなく思いついた逆エビ固めを決めてみたら本当にできたのでつい面白くなってしまい、今に至る。
しかもここは壁が両面ガラス張りだから、向こうの渡り廊下からもモロ見えである。
「記念写真撮ろうっと」
スマホを操作してカメラモードに切り替えた明崎は、そこでハッと閃いた。
「あ、ちょっと待って! 自撮り棒ある!」
明崎はどこからか携帯型自撮り棒を取り出して、スマホを取り付ける。
「いけるいける」
何やええもん持っとるや〜ん、と言いながらニョキニョキと棒を伸ばしていく明崎は実に楽しそうだ。
「せやな、取り敢えずズボンのチャック全開にしてまおうか! ええやんええやん、オモロい! 不良君が変態っぽくってオモロいわ〜」
下で泣き喚く声が聞こえるが、まるで聞く耳を持たない。
不良Aをがっちり押さえ込んだまま、満面の笑みで自撮り棒を掲げた。
「はい、チーズ」
ワンッ!
犬の鳴き声が間抜けに廊下で響いた。
「だっは! ……イイ一枚が撮れましたー」
明崎は大きく肩を揺らして笑う。スマホの画面には見事な逆エビ固めを決めた明崎が、いい笑顔で写っていた。不良はズボンのチャック全開で、パンツが丸見えである。
「ほんじゃあこっち向いてー。はーい、視線はこっち〜。……どしたん? ずっとこうしてたいの?」
「う……うぇええ……ぐすっ」
続いてスマホを真正面から構えられた不良Aは、泣きベソを掻いてレンズを見た。
ワンッ!
間抜けなシャッター音のせいで、不良Aがより一層惨めになった。
「かっわいい〜、何コレ、そんな可愛い顔でベソ掻いとったん? めっちゃオモロイ。永久保存や」
写真を確認して茶化すだけ茶化すと、約束通り明崎は不良Aを解放した。不良Aは身体が自由になった途端、恥も外聞もなく転げるようにして廊下の彼方に逃げて行った。
……一件落着っと。
それが見えなくなるまで見送って、「さて……」と明崎も歩き出した。
「どっち壁紙にしよっかなぁ〜……」
逆エビ固めを決めた自分の勇姿か、不良君の可愛い泣き顔か。中々迷う選択肢である。
スマホを弄りながら明崎は四階に上がり、廊下を抜けて。生徒会室までやって来た。
壁紙はやはりパンツ全開なのが面白いので、逆エビ固めに決めた。
「お待たせ〜キリオく〜ん……あら?」
ガラッと引き戸を開けて、明崎は拍子抜けした声を上げた。すっきりと片付いている生徒会室には、コの字に机が配置されていて、パソコンやファイルが整然と並べられている。
明崎を呼び出した二人の人物は、入り口に近い机のそばで事務用椅子に座っていた。
「お、来たか」
「伊里塚君やん! どしたん、珍しい」
「明崎遅い〜……」
はぁ〜、とため息を吐いた麗人・霧ヶ原 楠臣。明崎を生徒会室に呼んだのは彼である。
我が波江高校において・容姿端麗・頭脳明晰と謳われる生徒会副会長で、火災保険よろしく生徒たちから安心と信頼の実績で絶大な人気を集めている。明崎の友人だ。
あまり加工を施していない黒髪と、秀麗な顔、すらりとした細身の身体。正にリアル王子様にふさわしい容姿だ。
ちなみに明崎は霧ヶ原を略してキリオ君と呼んでいる。
そしてもう一人。
「俺が霧ヶ原に呼ばせたんだ」
「何で?」
「転校生来るから」
「えっ、いつ!?」
「三日後」
「やった」
さらりと重要告知をしてくれたのは教師の伊里塚 剛志。二十九歳。
うねる髪を短い一本結びにまとめた気怠げな雰囲気の男で、明崎たちと一番よく関わっているのは担任よりも彼である(どこかのクラスで副担任をしているらしい)。
少し鋭い目をしているのに、いつも怠そうにしているからセクシーに見えて、生徒からは「大人な魅力……」と評判である。
一八三センチの長身で明崎たちよりも背が高い。