第十二話 決着 その1
このままでは負けるという思いが比奈子の心の大半を占めていた。
戦線はすでに押し込まれており、けっこうな数の敵を倒しはしたが、それと同じくらいに犠牲を出してしまっている。
人数に負ける以上、同数の被害量ではこちらの分が悪い。
さらには、恨みを持たれてしまった映美に押し倒され、全身をレモン果汁塗れにされてしまった。その上、体中をまさぐられ、レモン果汁を練り込まれた。
女の子に目覚めそうだ、と言っていた意味を、理解させられてしまった。
ギリギリのところで助け出されたが、もしそのままの状態だったら、と思うと今でも体が震えだす。
こんな時に支えにしたい男は、はるか向こうで元恋人との一騎打ちを続けているはずだ。人の壁に遮られ、その姿は見えない。
前線は、渡り廊下の外れ近くまで後退している。
「耐えなさい! ここで折れたら、レモンをかけることになる! それでいいの!?」
比奈子の檄に、原理主義者は少しだけ持ち直すが、それでも押され続けている。
この状況を変えるべき何かが、必要だった。
「この戦い、マヨラーが乗っ取る!」
本山優一は背後に数十名の手下を控えさせて、廊下の一端に突如として出現した。
自由主義者の背後に現れた突然の乱入者たちは、ぴっしりと整列して陣形を整え、優一の指示を待っているようにも見えた。
そして、優一が静かに指令を下すと、彼らは一斉に構えた獲物での攻撃を開始する。
白い帯が廊下を駆け巡り、一瞬で廊下を白く染め上げる。粘度の高いマヨネーズが動きを封じてくる。
自由主義者たちは、マヨネーズ派の出現と開始された攻撃に、一気に大混乱となった。
マヨネーズ派の最前面に立つ優一が、両手に構えたマヨネーズ容器を縦横無尽に振り回す。目を守った者に迫り、マスクを引っぺがすと、口内へ射出口を突き刺して、容器を絞る。
白い液体に呼吸を奪われた者が、もがきながら倒れる。
「ふははははは! マヨネーズに溺れよ!」
優一に従うマヨラーが、廊下の東側を塞いだ。
「これは、チャンス!?」
比奈子はマヨネーズ派の出現を好機と見て、すぐさま前線を押し上げる指令を出そうとした。
だが、それは悲鳴によって遮られてしまった。
背後から聞こえてきた悲鳴は、マヨネーズ派によってあげられたことが、すぐに分かった、
クラスメイトの清水智子が、大きなマヨネーズ容器を抱えて立っていた。階段室の前に、それに従うマヨネーズを持った者たちが並んでいた。
「はぁい、那波っち」
「清水さん?」
「ええそうよ、清水さんよ」
「いえ、そういうことを聞いているのではなく」
「分かってるよ」
まともに会話をする気がないのか、智子は白々しい返答をしてくる。
「動かないでね。動いたら潰しちゃうんだからね」
笑顔の脅迫に、比奈子は指示を出せずにいた。
「高く買ってくれる方の味方になってあげる」
優一の隣に立つ先生が、そう言った。
「先生ね、武田先生と仲良くなりたいのよね。協力してくれないかな?」
自由主義者たちをかき分け、前線で両陣営に挟まれる位置まで歩きながら、そう言った。
それは、英語教師の山下宏美だった。タイトなミニスカートから伸びた黒いストッキングが、男子に人気だと聞いたことがある。
「山下先生……」
「ふふ。マヨネーズ好きは、みんな先生の仲間よ。だから、どちらかの味方をする、って言ったらみんな先生の言うことを聞いてくれるの」
比奈子は、前線に現れたこの教師を胡乱げな目で見るしかなかった。
「武田先生相手に、そんなの通じるわけがないでしょ」
「あら、千葉さん。そういうことを言ってるんじゃないの」
先生が「やっておしまい」と一言上げると、すぐさま自由主義者の後方から悲鳴が上がった。
「先生ね、冗談で言っているわけじゃないの」
「くっ、この行き遅れ……」
つい言葉に出してしまった佳乃の一言に、またもや後方から悲鳴が上がる。会話をしているだけで、戦力が削られていく。
比奈子は無言を貫くことで、被害を出さないようにしていた。少しでも気に障ることを言えば、容赦なく襲われるだろう。
「わ、分かったから! とりあえず何とかするから味方になってください!」
「ホントにぃ? どうやってぇ?」
「……せ、説得……とか?」
「出来るの?」
「……で、出来るんじゃないかな……」
弱気な佳乃に、先生が何度も何度も押し込む。
「……那波さんはどう?」
問われて、比奈子は返答に窮した。
あの若い女性との合コン好きの担任教師に、アラサー女教師とお付き合いさせるなど、どう考えて無理だ。
返答も出来ずにいると、諦めたのか、話題を切り上げてしまう。
「そう、あなたも出来ないと言うのね。残念だわ」
先生がそう言うと、比奈子の背後から悲鳴が上がる。マヨネーズが、原理主義の一人に絡みつき、そのまま倒れた。
場が、完全に支配されていた。
大人が出てくるなんて卑怯だ、などと言おうものなら、瞬く間に全滅させられそうな気がする。
介入するのではなく、利用しようとしている。
どちらの陣営からも協力するという声が上がってこないことにしびれを切らしたのか、ついにはこれ以上を求めることを止めた。