第九話 自由主義の戦い その3
「片付けたよ」
春歌がそう報告してくるのを聞いて、佳乃はしっかりと頷いた。
「さすがの手際だね、惚れ惚れする」
「よしてよ。なんだか照れる」
続けて、春歌と一緒に階段を制圧した五人にも同じように声を掛け、その上で階段の防衛を指示する。
もとより、この五人が階段を守りきれることは想定していない。ただ、何かあった時の警戒、連絡要員として残していくに過ぎないが、それでも五人は喜んで引き受けてくれた。
佳乃はその準備を終えると、振り向いて全軍を見やる。
口元に人差し指を立てながら、ゆるく指示を出す。
「それじゃあ、決戦と行こうか。大丈夫、向こうは少数。一対一になったりしないようにだけ気を付けて」
おー、という喝采は聞こえてこない。代わりに、多数の腕が振り上げられた。
士気は上々のようだ。やはり、勝てる試合、勝てる状況というのは簡単に士気があげられる。
ただ、油断しないようにだけ、気を配る必要はあるが、それは自分で行えばいいこと。多数対多数なら、一人一人が気を付けるよりも、気にした一人の指揮官がいればよい。
「春歌、先陣を」
「あいよ」
廊下の端まで進むと、一歩手前で一時停止する。
こちらを向く春歌に、親指を立てた右腕を伸ばす。
はっきりと頷いた春歌が、廊下に飛び出した。
敵陣を単独で走り抜けた春歌は、視聴覚室の前まで来ていた。
このまま中に突入しようとも思ったが、まだ残っているしょう油の連中と挟み撃ちをくらってしまうかもしれない。
その懸念が、春歌の単独突入をためらわせた。
くるりと反転して、反対側からしょう油の戦力を削っていく。
しょう油の容器が振るわれると、粘度のほぼない漆黒の液体が、刃のように廊下を切り裂く。持前の俊敏さで、それをギリギリで躱していく。
しょう油はただの液体ではない。塩分をたっぷりと含んだ、恐るべき兵器だ。
刃から跳ねて飛び散るしょう油が、真っ白なセーラー服に黒い斑点を描いていく。
「しょう油は落ちないんだかんね!?」
蹴りで一人、また一人と倒していく。だが、その一人一人が手を放したしょう油容器を別の者が拾うことで、二刀流となる。そのため敵は減っても、いつまで経っても攻撃は緩まなかった。
「まずいなぁ」
春歌は独り言ちる。
しょう油派と対峙しながら、春歌は呼吸を整える。
ケンカなら一人倒せば、それで一人分減る。だが、今回は減らない。
それが春歌にはもどかしく、だが楽しくもあった。
「しゃーない、ここはなんとか踏ん張らないと」
突っ込んできた二刀流のしょう油使いへハイキックを決め、吹き飛ばす。両手でしょう油を振るう者の前でかがみこみ、足払いで蹴倒す。
少しづつ、少しづつ戦況を獲得しつつあった。
と、その時。
「死ねやボケ!」
いつの間にか開いていた視聴覚室の扉から、武装した十数名が飛び出してきた。
手に持つそれは、粘度が高く、赤い、ケチャップ。
廊下の全域を染め上げる猛攻が、春歌へと襲い掛かる。
しょう油派もろとも、ケチャップの波が廊下を埋める生徒に叩きつけられる。
「わきゃあっ!」
春歌は、ケチャップの大嵐に巻き込まれ、全身を真っ赤に染め上げられてしまった。