第九話 自由主義の戦い その2
「警備がいるね。手ぶらに見えたから、どこの奴らかは分からないけど」
「視聴覚室前にもいる。しょう油っぽい容器を持ってたぜ」
佳乃はその報告を受けると、顎に手を当てて数秒ほど考え込んだ。
「それじゃ、春歌は五人ほど連れて、階段を制圧して。下から増えるようなら、無理せず撤退」
「オーケイ」
「春歌が戻り次第、ああ警備がそれ以上いなかったときね、その時は全員で廊下を制圧して、視聴覚室になだれ込む」
春歌は黙って頷いた。
「もし階段の警備が増えたときは、先にそっちを制圧。廊下は戦端を開かないようにギリギリの位置で停止」
「じゃ、メンツを選ぶよ」
「よろしく」
春歌は自分で突撃するつもりだったので、選ぶ手間を惜しんで正面から順番に五人を選ぶことにした。
「あんたとあんたとあんたとあんたとあんた」
偶然にも男子三人、女子二人とバランスが良かった。
その五人は、指名されると驚いた表情をしたが、それでも指名を喜んで受け入れてくれた。
「行ってくる」
春歌を先頭に、五人は止まることなく階段室へと飛び込んだ。
春歌が踊場まで一気に飛び降りると、驚いた警備の三人が動きを止める。その体を引っ張るように登り階段側へ振り回すと、そこに頭上からレモンの雨が乱れ飛ぶ。 それを春歌は確認もせず、次の相手へと向かう。
左手で腕を取り、右腕で首を抑え込む。そのまま壁まで押し込む。壁と腕に首を挟まれ、一瞬動きを止めたその男を、春歌は再び登り階段側へと送りつける。
女生徒は両手を挙げて降参の意を示したので、そのまま近づいた。
「降参を受け入れるよ」
「あ、ありがとう」
上げた両手に両手を合わせて引き寄せると、くるっと体を入れ替え、押した。
バランスを崩して登り階段側へと下がったその女子生徒に、レモン爆弾が投下された。あっと言う間にべたつく果汁に塗れ、目と鼻と口とを刺激され、悶絶する。
「あー、ごめん。わたし以外が受け入れなかったみたい」
もちろん、それは予定通りではあるのだが、そんなことは言わないでおく。
下り階段の前に立って見下ろしてみるが、警備の増える気配はなかった。
どうやら、この三人だけが警備をしていたとみてよさそうだった。
「襲撃だー!」
廊下からその声が聞こえてきたのは、剛三の作った麻婆でから揚げを食している最中だった。
「奇襲か」
廊下のざわめき、奇襲の報告をきちんと受け取ったのは輝だけだった。
「麻婆もなかなか悪くないねー。でもソースに比べると二段階くらい下かなぁ」
「お蘭、それは勘違いだ。どうやら麻婆を食い足りないようだな。まだまだあるから、腹からあふれるほど食え」
「お前ら、奇襲を受けてるぞ」
「ソースは和食にも合う調味料なのよ。ゴウちゃんも試してみてよ」
「廊下の奴らにも麻婆を食わせてやらねば拗ねてしまうかもしれんな」
「いや、聞けよ」
どこまでもマイペースな二人に、輝は物理的に頭を抱えたくなった。現実問題としては、から揚げを食べたために油がべっとりとした手であるため、それが出来ないでいた。
「ケチャップ派は出陣だ! 懲りない奴らを赤く染め上げ、ケチャップ最高と言わせてやれ!」
「「「おー!」」」
輝は蘭と剛三を置いて、愛用の一リットルケチャップ容器を片手に、廊下へと飛び出していった。
「ふん、和田は麻婆を一口も食わなかったな。あとでたっぷり食わせて麻婆最高と言わせねば」
「ダメだよ、食べたいものを食べたいだけ食べるのが幸せなんだから。無理に食べさせたら不幸になっちゃうよ」
「麻婆が目の前にあることの何が不幸か」
大皿に積み上げられたから揚げを食べながら、二人はかみ合わない会話を続けた。
戦いの先手は自由主義側が取った状態で、その戦闘は始まった。
自由主義が誇る特攻隊長、紅蜂と呼ばれ恐れられた春歌が飛び込み、陣形を乱したところに、レモン爆弾がゲリラ豪雨並の滝を作り出す。
しかし、敵もそれだけでは倒せない。しょう油を構えた者たちがこちらの突入してきて、混戦になる。こうなってはレモン果汁もなかなか打ち出せない。
「くらえ! 赤紙だって回避するしょう油の塩分アタック!」
「ぎゃあああああ!」
「塩分過多で太り過ぎろ!」
「いやあああああ!」
しょうゆ派が、その少数を生かした作戦でこちらの戦力を削っていく。
しかし、その攻撃が強力でも、相手は少数だった。一人ずつ混戦から弾きだし、そこにレモンを食らわせる。
佳乃は中盤で指示を出しながら、前衛を少しずつ前進させる。
「後衛も、隙間を見つけたらすぐに埋めて! どんどん進まないと勝てないわよ!」
一人ずつ片付けていけば、やがて戦場はレモン派閥で染まる。
最前線で孤軍奮闘する春歌に、早く追い付かなくては。さすがの春歌でも、多数が相手では分が悪いだろう。
焦りつつ、冷静に冷静に、と脳内に警告を響かせ、佳乃は次々と指示を出していく。
「わきゃあっ!」
春歌の悲鳴が聞こえてきたのは、そんなときだった。