第九話 自由主義の戦い その1
下がった士気は高めるしかない。
佳乃には、それしか考え付かなかった。
「カノ」
と、佳乃の名を呼んで横に並んだのは春歌だった。
「とりあえず、宮本君たちを叩くには、今のままじゃヤバい」
「人数で押すのが一番確実だが、今はあいつらも警戒しているし、何より田辺と宮本がいる」
すっかり参謀のポジションを確立した晋が、佳乃の言葉を継ぐ。
「うん、多少の人数差は押しのけてくるだろうし、何より士気が高い」
「そっかなぁ。行けそうな気もするけど」
「春歌は能天気すぎ。ここで負けるってことは、レモンが完全に否定された学生生活を送ることになるんだよ。運動部としてはそれは認められない」
「練習後の蜂蜜漬けは、俺たちの生命線だ。から揚げをきっかけに、どんな弾圧が行われるか考えるだけで、身が震えるな」
「いや、レモンてそんな危ないものみたいなモノじゃないよね」
春歌は運動部の所属ではないからそう思うのだろう、と佳乃は考えた。
得てして過剰な運動量になりやすい高校の運動部は、その後のケアも含めて部活動と言える。元は選手として、今はマネージャーとしてグラウンドに立つ佳乃は、それを高いレベルで認識している。
たかがレモン、されどレモン、なのである。
「まぁ、重要なのは、規模はともかくとして、勝ったと理解できる状況を作ること。勝てる、と思わせること。それが士気を高めるのに必要なの」
「だから、お蘭ちゃん叩くんだね」
「恨みはないけどねー」
「士気を高めるための犠牲さ」
「仲間になってくれればね」
「断られた以上は仕方ない。敵対を選ぶ以上は向こうも分かった上での返答だ」
仲間になるか、これ以上の敵対をしないか。その二択を突き付けた佳乃への返答は、どちらもノー、というものだった。
これは、蘭と優一、その両者に送っている。
マヨラーを集めた優一とその他の有象無象を集めた蘭たちは、元々はひとつの陣営として成り立っていた。
マヨラーは独自に行動をし始めたし、蘭の元に集まった中からケチャップ信奉者を引き抜いて原理主義に当てたのは佳乃である。
その上で突き付けたのは、もはや大国が小国をなぶるようであったが、それでも大陣営を率いる立場としてはやむを得なかったと思っている。
「マヨラーは何だか裏がありそうだし、ケチャップはもう全滅したし。残ってるのはお蘭たちだけなのよね」
「選択を与えて断った以上、仕方あるまい」
「何でもいいよ、暴れたい」
「状況は作ったから、もうちょっとだけ待ってなさい」
そう、もう後戻りできないところまで来た。
「じゃあ井出君、あとはお願いね」
そう晋に指示する佳乃を横目で見ながら、春歌は柔軟体操を行っていた。
それほど大暴れ出来そうな相手がいるわけではないが、もしかすると雪斗が来るかもしれない。
そう思うと、春歌の心が躍り出す。心臓が高いビートを刻みだす。
逸る気持ちを抑えつつ、まずはしっかりと佳乃をサポートして、この戦いを制する。そう春歌は考えていた。
「春歌、行くわよ」
「オーライ」
先頭に立つ佳乃に並び立つ。先陣は自分で切るつもりだった。
「それにしても、カノが先頭に立つんだね」
「そりゃあね。運動部が多い以上、指示を出す人間が先頭に立つのと立たないのとじゃ、効果が違うわ」
この辺りが運動部的な考え方なのだろうか、と春歌は思う。高校生活は大人しくしているつもりで、運動部に入ることを選ばなかった。
やがて到着した三階の北階段は、とても静かだった。
お互いに牽制しあっているようで、散発的に攻撃が行われているだけのようだ。
春歌が顔を出してみると、二階から顔を覗かせているのは、クラスメートの夏帆だった。
階段室に飛び出て、踊ってみる。警告のつもりか、胡椒爆弾が一発だけ飛んできた。
ぱっと飛び退ると、春歌のいたあたりが舞い散る胡椒の煙が沸き立っていた。
「うーん、ナイスコントロール」
これ以上は止めておこうと、春歌は廊下へと戻った。
「見られてる?」
「ガン見されてる」
「そう。じゃあ、援護してもらいながらさっさと抜けてしまいましょう」
そう言った佳乃が、近くの男子生徒に声を掛ける。
その男子がすぐさま指示を出し、階段に武装した一部隊が展開する。
「攻撃開始!」
数少なくなってきたレモン爆弾が、投下された。
レモン爆弾を受けた生徒の悲鳴が聞こえてくる。
と、こちら陣営にも胡椒が降り注いだ。
こちらにも悲鳴が上がる。
「今のうちよ」
佳乃が全体前進を発令して、渡り廊下へと進んでいく。春歌はその横に並びながら後方を見やると、目くらましはうまくいったようで、こちらが渡り廊下を渡ったことは、どうやら気付かれなかったようだ。
体を低くして、渡り廊下の窓から姿を隠す。立ったまま移動しては、二年の廊下から見えてしまう。
急がずゆっくり速足で、渡り廊下を超えていく。
東校舎の北階段の手前まで進んで、佳乃が全体停止を命令する。
だが春歌は止まらずに、北階段まで歩き続けた。
壁に背を預けて、気配をうかがう。右手にレモン爆弾を構える。
向かいの壁には、隣のクラスの男子が同じように壁を背に、レモン爆弾の投擲を準備している。
無言で頷き合って、一歩進む。
身を屈める。
そっと階段室のほうへ顔を出すと、見覚えのない男女が数人、上下を警戒するように哨戒していた。
迷わず顔を引っ込めると、向かい側でも同じような顔をした男と目が合う。
二人はいったん佳乃の元へと戻った。