第八話 三竦み その3
視聴覚室がもぬけの殻だった、と紳一郎が報告を受けていたのは、進軍の準備が整い終わった頃だった。
先だって襲撃されたときのような奇襲を避けたい、と紳一郎が言ったので、雪斗は居残りメンバーを大目に割いた編成を行った。
指示を出したのは、雪斗の隣にいる比奈子であり、雪斗はそれに従って声を出しただけである。
「お蘭ちゃんはどこかに移動したみたいね」
「みたいだな」
二年廊下の南北の階段を担当していたものの多くを、今回は攻撃部隊に組み込んでいた。
それは「いつまでも同じことをしていると飽きるから。それに慣れた頃が一番やらかしやすい」と言う比奈子の言葉によるものだった。
「とはいえ、三階の特別教室にいないなら、どこにいるんだろうな」
「二階だと理科準備室くらいかな」
改革主義者たちの行方が知れず、作戦を進めることが出来ないでいた。
「水原は一通り見て回ったと言ってたな」
「うん。だから、きっと何かがある。その何かは分からないけど」
「可能性は、いくつかあるよ」
斥候に休憩を指示した紳一郎が、こちらにやってきた。
「どういうことだ」
「一つは、向こうさんが動き回っているってこと。斥候を警戒しながらね。もう一つは、どこかに隠れている」
「どっちもあり得そう」
「うん。だから、こっちとしては斥候を出しながら進むしかないわけだね」
「追い詰める、ってことか」
「そうそう、一階から南北の階段を同時に進んでいけば、必ずどこかでチェックメイト、って具合さ」
紳一郎の作戦は、確かにその通りに行けば確実に改革主義を追い詰められると思った。
だが雪斗は、ふとした疑問を口にした。
「もし、渡り廊下とか、こっち側の校舎にいたらどうなる」
「それは考えられないかな。三階はレモンの連中がいるし、二階は僕たち。階段の警戒をしているんだから、渡り廊下にいればすぐに分かるよ」
「一階は?」
「一階は一年生の領域で、一年はほぼレモンのメンバーだって向こうも知ってるでしょ。としたら、それは選べない選択肢だろうね」
「ふむ」
たしかに、紳一郎の言う通りだと思った。それなら、その通りに動くべきだろう。
「空城の計、という策がある」
剛三がそう言った。
「そして、駆虎呑老の計という策がある」
お蘭はそれを聞いていた。
「そして麻婆食全の策というものがある」
「いや、それはない」
輝が即座に否定する。
「なんだと。麻婆食わせるぞ」
「ケチャップたっぷりでよければな」
「さらに、埋伏の毒という策がある」
ふふん、とドヤ顔で策の名前を言うだけの剛三に、お蘭が尋ねる。
「結局、ゴウちゃんは三国志が好きってこと?」
「軍師気取りのなんちゃって知識だろ」
全滅したケチャップ派は自由主義者たちと袂を分かち、改革主義者に合流していた。
迎え入れさせてやってもいいぞと言い放った輝を、蘭は笑顔で迎え入れると答えた。
改革主義者はそうして人数を増やしたが、独自に行動するマヨネーズ派だけは別だった。すでにどこに行ったのかも分からない。
「お前らは、どうしてそうやって麻婆をさげすむのだ。豆腐だろうと茄子だろうと白米だろうとから揚げだろうと、何にでも合う究極のタレを」
「ゴウちゃん、麻婆の話はしてないのよ。お姉ちゃんの話を聞いてちょうだい」
「いいや聞かん。そういって麻婆を取り上げようと言うのだろう」
「お蘭、こいつにそんな話は通じんよ」
話が通じないのはワダヤミちゃんも同じなんだけどね、と蘭は思ったがそれは言葉として吐き出さずに飲み込んだ。
「ワダヤミちゃん、みんなで仲良くから揚げを食べるのって、難しいのかな?」
「無理だな。から揚げに何をかけるのか、というのはだな。
カレーを甘口にするか辛口にするか、蜂蜜を入れるかチョコを入れるかリンゴを入れるか納豆を入れるかチーズを入れるか、そういった宗教じみた主義主張のぶつかり合いだ。
ああ、わかりにくかったら目玉焼きでもいいぞ」
嬉々として解説する輝だったが、お蘭の聞きたかったのはそういう話ではなかった。
「もちろん、カレーにも麻婆は合うぞ」
「「いや、それはない」」
剛三の発言に、蘭と輝の否定が重なる。
「お前ら、麻婆を食い足りないようだな。新しいものを作ってくる」
またもや、剛三は麻婆を作りに視聴覚室を出ていった。
「あの麻婆バカは放っておくとしてだ、お蘭。戦うのか」
「うん。だってこんなの悲しいよ。みんなで食べるのが一番美味しい食べ方だって、分かってもらわなくちゃ」
決意した蘭の目を見た輝は、いいだろう、と短く答えた。
「我がままを言う子は、お姉ちゃんがお仕置きです。私一人が悲しい思いをすることで、それが出来るなら……」
「お蘭はちんまいんだから、そんなもん背負ったら地面に埋もれるぞ」
「お姉ちゃんをちんまいとか言うのはダメですよ」
「はいはい、お姉ちゃんお姉ちゃん」
「もー!」
手をばたつかせる蘭の頭に手を乗せ、輝は言葉を選ぶ。
「……俺に任せておけ」
輝の目が怪しく光るのを見て、蘭は「また悪巧みを考えてる」と思った。