第七話 第三陣営 その3
戻ってみれば、厭戦の雰囲気がまとわりついてきた。
佳乃は、あまりよくない傾向だと直感的に理解した。二年四組の仲間たちの士気は高いが、巻き込まれた者たち、特に一年生の士気は低く見えた。むしろ、脱走のタイミングを見計らっているようにすら見える。
顔を見合わせ、二年生の位置を確認し、お前がお前が、と促しあう。そんな様子が見て取れた。
数にモノを言わせた戦略は、確かに有効だった。レモンを認めない奴らに、何度も打撃を与えてきた。
その方針は間違っていなかったが、今後もその方針を貫くかは、考え直さないといけないとは思う。
「いてっ、いてっ、もうちょっと優しく……」
「だまらっしゃい」
顔のいたるところを赤く腫らした春歌が治療行為を受けて、悲鳴を上げながら文句を言う。
佳乃はそれを一喝。
「だいたい、不良は卒業したんでしょう。それなのに、喜んで飛んで行ってさ」
「あー、いや、まぁ、それはね、ちべたっ」
保健室から持ってこさせた氷嚢を春歌の顔に押し当てる佳乃。
「ほら、自分で抑えて」
氷嚢を春歌に持たせると、佳乃は春歌の制服を脱がせに掛かる。セーラー服を持ち上げてみれば、打ち身の跡がそこかしこに残っていた。
「ちょっと、どんなセクハラよ」
「治療よ。患者は大人しくされるがままでいなさい」
「恥ずかしいんだけど」
「スカートでキックしてパンツ見放題やってたでしょう」
「それは……だって、ケンカだし……」
「だってもヘチマもありません」
強く言われて、春歌は黙ってしまった。
佳乃が見たところ、春歌に大きなケガはなかった。数日以内に痛み出す個所は出てくるだろうが、今すぐどうにかしないといけない、というものはなかった。
「まったく。で、宮本君が不良時代のライバルだったのね」
「そー! それよ」
雪斗のことを言われて、春歌は思い出したようにまくしたててきた。
「なんなのよ、あいつ。レッドウルフだったなんて、先に言ってくれれば」
「喜んで殴りかかった?」
「フルボッコだね」
「じゃあ言えないでしょう」
「それを言うのが、カレシってもんじゃないのかな」
「ないわー」
「えー」
「あんただって隠してたんでしょ」
「まぁ、そりゃあ、黒歴史みたいなもんだし……」
「それを一方的に非難するのはダメでしょう」
「うぐっ……」
佳乃の言い分に、春歌はまったく反論できなかった。何を言っても返され、そして詰め寄られてしまう。
「で、宮本君がレッドウルフだったと知って、どうしたいの?」
「ちゃんと、決着を付けたい」
「それだけ?」
「うん。これだけは他の奴には譲れない」
「誰も取らんがな」
「いやいや。くっそー、委員長に持ってかれたからな。奪い返すところからか」
「やっぱり未練タラタラ?」
「そりゃそうよ。わたしの獲物だもの」
「いや、男と女として、的な意味で」
「それはどうだろうか」
春歌の考えていることが、佳乃には見えていたが、それについては言及しなかった。
感情的になって別れることになったが、ずっとライバルだった相手だと知って、取り戻したくなった。ようは嫉妬だ。
恋愛とは許すことと認めることだ、と言ってもきっとこの子には理解できないだろう。中学生みたいな恋愛をしている春歌には。
佳乃は、きっと今も自宅でゴロゴロしながら一日中ゲームをしているであろう恋人に思いを馳せた。
優一は電話をきると、一人静かにほくそ笑んだ。
原理主義の田辺紳一郎から、何度も何度もマヨネーズ派に仲間になって欲しいと連絡が来ている。
自由主義の千葉佳乃からは、決着を付けるために大人しくしているか、自分たちに従って行動するようにとも連絡を受けている。
さらに、改革主義の沼田蘭からさえも、一緒に行動しようと持ちかけられている。
どう考えてもお母さん気質で争いを好まないちんまい少女でさえ、戦いに参加したというのだから、驚きを隠せない。
マヨネーズ派が、この戦争の鍵となる、そういった評価を受けているようにも感じていた。
予定通りに進んでいて、それがとても嬉しかった。
「予定通り?」
そう問われて、優一は笑顔でイエスと答えた。
英語教科室にいるのは、英語教諭の山下宏美と優一の二人だけだった。
運び込まれた患者たちは、すでに放り出した。
開け放たれたカーテンの向こうから差し込む明るい光が、英語室を白く染め上げている。
「そう。もっと高く吊り上げなさい」
「任せてください」
報告という名目で、優一は直接この部屋へとやってきた。
「ふふふ、どこが、一番高く買ってくれるかしらね」
本部として使っている家庭科室に戻ろうとする優一の背に、宏美はひとり言を投げかけた。