第七話 第三陣営 その1
雪斗と春歌を挟む形で対峙する原理主義者と自由主義者も、身動きが取れなかった。
本来なら、すぐにでも戦闘行動を開始するところであるが、友軍を間に挟んでしまったことで、それに躊躇いが生まれ、攻撃を指示できないでいた。
そして、想定していないこの遭遇戦は、出来れば避けたいところであった。
「やあ、チバカノちゃん。もしよければ、お互いに目当ての人物を引き上げて改めて、というのはどうだろうか?」
「そう、つまり田辺君はここで戦いたくはない、と」
「いやー別に戦っても、いいんだけどね?」
と、紳一郎が言うと、後ろに控えた精兵が胡椒爆弾の投擲体勢を取る。
「ふうん。じゃあなんでそんなことを言うのかしらね」
「それはまぁ、お互いに目的の達成を第一に考えよう、ってただそれだけさ」
「お互いに、目的は殲滅ではないの?」
「いいや? 少なくとも、こちらはそんな野蛮なことは考えていないよ。ただ、レモンをかけない、と言わせたいだけさ」
「そうなの。こっちには、そんな甘言で改宗するような根性なしなんていないのよね」
「お互いの主張を、どうにか共存させられたら最高なんだけど」
「面白いことを言うわね。敵同士、戦場で出会って、戦わずに済む選択をしようだなんて」
自由主義者たちも、レモン爆弾を構える。
「ただまぁ、考えてあげなくもないけどね」
紳一郎の提案はとても魅力的だったが、安易にそれに乗って情勢を知られたくなかった。
数で勝っている側が、実は不利な状況であることを、彼らに知られるのはまずい、と佳乃は考えていた。
であれば、最大限の譲歩をした、と見せるのが得策であった。
「聞こうか」
「レモンをかけてから揚げを食べる、そう約束してくれるかしら。共存を考えるのなら、選択肢として認める、ということなんでしょう?」
「ぐっ……」
なんてことだ!
暴走した悪友を助けに来ただけで、そんな悪魔のような提案を受けることになるとは、紳一郎にとって想定外の最悪の事態だった。
すでにマヨネーズをかけるという悪行が待っているというのに、さらにレモンまでかけるだなんて、承服しきれない。
「そ、それは……」
さらに、これに応じるということは、彼らを認める、ということだ。
この争いの意義が揺らぐ。
たとえどんな犠牲を払おうとも、から揚げにレモンをかけることだけは認められない!
「断る!」
そう言い放ったのは雪斗だった。
「たとえこの場で倒れようと、レモンをかけることだけは、断じて認めるわけにはいかないぜ」
一歩でも動けばレモン果汁を一身に浴びることになるが、それでも雪斗はそれだけは譲らなかった。
「いい覚悟ね。せっかく田辺君が助けに来てくれたと言うのに」
「それはお互い様って奴じゃないかな。春歌ちゃんがどうなってもいいのかい」
紳一郎は、雪斗が傾けた天秤を平らに戻す。
「そっちにとっても目的が達成できないのは痛いよね」
胡椒爆弾に晒され、保健室へ搬送された生徒が多いことを紳一郎は知っていた。それを臭わせはするが、言わないことで精神的なプレッシャーを掛ける。
イヤな汗が背中をとめどなく流れ、シャツがピタリと張り付いて気持ち悪いが、そんなことはおくびにも出せない。
「……」
佳乃は返答できなかった。
この交渉相手がどこまで知っているのか、読み切れなかった。
ガラガラ、と家庭科室のドアが開いたのはまさにその瞬間であった。
「なんだお前ら、邪魔だぞ。それとも何か、から揚げを食べるためにオレのお手製麻婆を待っていたのか」
闖入者は、剛三だった。
家庭科室で比奈子にダメにされた麻婆を完食し、作り直し終わったところである。
「この香辛料の匂いが堪らないだろう。いいぞ、大目に作ってあるからお前らにも食わせてやらんこともない」
たった二言で、この場を支配する空気を作り替えた。
「ふはははは、仕方のない欠食児童どもだ。ぎゃーぎゃー言ってる暇があったら、麻婆食え、麻婆」
「……戸田君」
あきれ果てた紳一郎は、戸田に近づいて肩を叩く。
「今は、そういう状況じゃないんだ。空気を呼んで欲しい」
「知るか。空気などオレに合わせればいいだろう」
「……」
その厚かましい発言に、もはや紳一郎は彼に掛ける言葉を持たなかった。
無言のままズボンのポケットからボールペンを取り出すと、剛三の持つ皿の上に水風船を近づけブスリと刺した。
もわもわ、と水風船の破裂に合わせて詰められた胡椒が宙に舞い散る。
「ぎゃあああああああ!? ま、またかお前ら!」
麻婆が、再び胡椒に塗れる。
「こ、こんな麻婆は出来そこないだ……誰にも食べされるわけには……」
廊下に頽れる剛三。
「お、覚えてろ田辺! 麻婆二回分の恨みはまとめて返してやる!」
「え、いや、二回分ってどういうこと!?」
あふれ出る涙を拭きもせず、皿を抱えたまま疾走する剛三。向かってきた剛三に、自由主義者たちも道を開ける。
しばらく廊下を走った剛三は、視聴覚室の扉を開けて叫んだ。
「うわーん、お蘭~」
「蘭お姉ちゃんですよー」
視聴覚室内でのやりとりが廊下に漏れ出た。
と、ぴしゃん、と音を立てて視聴覚室の扉が閉まった。