夢
――どれだけの時間が経ったのかはわからない。気がついた時には夢の世界にいた。そう、これは夢だ。夢でないとありえない。
寝ているのは自分のベッドだ。机、椅子、本棚、備え付けのタンス、部屋の風景も変わらない。だけど、身体は痺れているし、さっきまであったものが見当たらないのだ。
……僕の腕と足がない。
肩から下、股関節から下、全てが無くなっている。痛みは全くないが、痺れのせいで体の感覚もない。首だけはどうにか動かせる。助けを呼ぼうにも声が出せず、全身から嫌な汗が吹き出した。
パニックになりながら、首だけを一生懸命動かして、どうにか夢から醒めようともがく。するとそれは、何の前触れもなく現れた。
嫌な音が壁から、カサカサカサ。
消毒液の匂いが鼻にツンと。
空気が重くなり、苦味がしそうだ。嫌なものが現れたことを肌でも感じた。
そんなもの、見たくはない。だが、見ない方が怖い。首をゆっくり動かすしかなかった。
なんだよ。これ……。
たくさんの色がぐちゃぐちゃに混ざったように全身が黒い、長い足が生えた蜘蛛だ。二匹も壁に張り付いており、さらにその大きさが普通ではない。人の顔くらい、つまり北崎の周りを飛んでいる硝子羽のアゲハと同じだ。
黒い蜘蛛は二匹とも、とてつもない速さで巨大な体を動かし、壁をつたって天井までやってきた。自分の身体のどの位置になるかはわからないが、ベッドの延長線上にいることはわかる。
気持ち悪すぎる。何とかして逃げなきゃ。
それなのに身体がさらに痺れて首も動かなくなり、瞬きさえもできなくなった。
二匹の黒い蜘蛛からポタリ、またポタリ、液体が涙のように僕の腹部に落ちる。制服に染み込んで皮膚にまで届き、ヒリヒリと感じる熱のせいで、すぐに身体に悪いものだとわかった。
消毒液の匂いがさらに濃くなり、強い吐き気がしてくる。もちろん、今の僕は吐くことすら出来ない。
一匹の黒い蜘蛛が、ガタガタ揺れる。
ぐらりぐらり、もう一匹の黒い蜘蛛も揺れる。
最悪の予感がした。そして、それがもう防げないこともわかった。
やめろやめろやめろやめろ!
次の瞬間だ。二匹の黒い蜘蛛が、手足がなくなった僕の胴体に落下してきたのだ。
短い足のような口で僕をかじるわけでもなく、糸を出すわけでもない。二匹とも光がない八つの目で僕を見つめる。
それは、凍り付いたかのように淡々としたものだった。
中年男性の声が黒い蜘蛛から聞こえ、鼓膜から脳へと無理やり捩じ込まれていく。
「おまえはいくら頑張っても『 』にはなれないんだよ。俺から言うことはもう何もない。思い出でも作って自分のために生きろ」
さらに、もう一匹は中年女性の優しすぎる声だ。まるで死者への憐れみのように聞こえる。
「今までごめんね。これからはもう自由だから、いっぱい楽しんでね」




