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通学路

 土曜日は午前授業だ。帰宅部の大半は学校帰りにどこかへ遊びに行くのだろう。

 帰宅部員の中でも、特に真面目で熱心に部活動をする僕は、遊びたい相手もいなければ、放課後にやりたいこともない。

 そのまま帰って地元の駅についた。構内を出ると暑くも寒くもなく、ただ太陽が少し眩しいだけだ。

 今週と来週の土曜日は親がいないため、ファミリーマートで昼食を買った。そのまま普通にしばらく歩いて、家の前で止まった時だ。

 後ろから、日常が崩れ去る音が聞こえた。

「こんにちは」

 静かな声がはっきりと鼓膜と骨を振るわせ、さっきまで何もなかった背後に、人の気配がゾワゾワと現れる。

 この声、教室で聞いたことがあった。

 北崎のグループにいるオオバヤシが、僕と同じ駅を使っている。当然、一度も話したことはないが、こっちならまだ現実的だ。でも、この声はオオバヤシの方ではない。

 まさかとは思いつつ、後ろを振り向く。

 白いブラウス、薄いベージュのカーディガン、校則ギリギリのスカート、後ろにいる人物は鞄を両手で持っている。ふわっと風が過ぎ去り、長い黒髪がなびいた。僕の背が男子にしては少し低いというのもあるが、こうして見るとあまり身長が変わらない。

 北崎だ。

 ニコニコと立っているその眼差しが、僕に真っ直ぐ向けられている。

 見た目は学校にいる時と全く変わらないはずだ。それなのに、どこか得体の知れない雰囲気を放っていた。落ちてしまったら二度と戻れない、深い湖のように思える。そんな北崎の周りを、水を飲みに来たかのように硝子羽のアゲハは優雅に飛ぶ。

「なんで、こんなところにいるんだよ」

 これが自分から北崎に、初めて発した言葉だった。北崎は長いまつ毛の大きな目で僕をしっかり見て、妙に落ち着いた声で答える。

「いきなりだけどね、どうしても聞いてみたいことがあったの。学校だと二人で話すタイミングなかったから、後つけちゃった。ごめんね」

 フフっと北崎は笑った。掴みどころがなく、教室で笑顔を振り撒いた時とはまるで別人だ。でもどういう理由か、その姿が可愛いと思ってしまった。北崎に対して初めて良い印象を抱いたが、すぐに埋もれてしまうことになる。

「何だよ、聞いてみたいことって」

 近くにいると吸い込まれそうな気がして、僕は一歩後ずさった。

「二年生になってから、私のこと……というか私の周りをよく見てるよね? もしかして……なんか見えてるの?」

 蝶だ。硝子羽のアゲハのことを聞かれた。

 心臓がバクバクして、暑くないのに変な汗が出てくる。僕は蝶の方に視線を向けた。やはり、これは幻ではない。陽の光が透き通る羽をパタパタさせて、確かにそこに存在している。

 もはや自分の意思とは関係なく、視線は北崎の顔に吸い寄せられた。この目はまるで全てを見透かしているようだ。誤魔化せる気が全く気がしない。

「蝶、蝶が見えるんだよ。北崎の周りを飛んでる」

 北崎は目をキラキラと輝かせ、一歩近づいて来た。

「すごーい。やっぱり見えてるんだ。周りは誰も見えてないのに」

 北崎も……見えているのか……?

 それならアレがなんなのか、聞けるチャンスでもある。聞くべきか。……いや、聞くしかない。

 勇気を振り絞って声を出そうとしたが、その前に北崎が独り言のように言った。

「本当に綺麗だよね。私も綺麗な蝶になれると良いな」

「はぁ? どういうことだよ」

 硝子羽のアゲハについて聞くはずが、あまりにも非現実的なことを言われたので、思わず聞き返してしまった。

 北崎の口角はうれしそうに上がる。

「私、人間を辞めて蝶になるの」

 その大きな目は真剣そのものだ。真剣すぎて光すら感じない。冗談を言っている人間の目つきではないのだ。

 目がイッてる。狂っている。こいつは頭がおかしい。怖い。自分を守らなければと、本能が強い言葉を口にする。

「もう、いいよ。馬鹿にすんなよ。北崎なんかと話すことなんて何もないし、お願いだから帰ってくれ」

 北崎はしょんぼりとアスファルトに呟く。

「馬鹿にしてないし。……もしかして信じてない?」

「信じられるわけないだろ。頭おかしいんじゃないのか?」

 北崎は顔を上げた。

 暴言を吐いたので怒られるかと思ったが、笑っているので大丈夫なようだ。それでも、なんで笑っているのかわからなくて、これはこれで気味が悪い。

「それなら私が蝶になる証拠、見せてあげる。それが終わったら帰るから、部屋に入れてよ」

 こいつ、話が全く通じない。今すぐ目の前から消えて欲しい。人とは極力関わりたくないが、ここまで強く思ったのは初めてだ。

 硝子羽のアゲハは僕達を気にせず、青空の下をゆっくり飛ぶ。今はこの蝶の美しさに、汗を凍らせるような寒気を感じる。蝶について聞きたい気持ちはとっくに失せていた。

 これだけ強く言っても帰らない相手にどうしたら良いか。何か方法はないかと色々考える。すぐに、あることを思い出した。

「北崎、彼氏いるよね。彼氏いる女子を部屋に入れることなんて出来ないよ」

 言ってから思った。相手の倫理観に訴えるようなやり方が、常識が破綻したこの異常者に通用するとは思えない。これではダメだ。

 他の方法を考える前に、北崎はうんうんと頷いた。

「あぁ、レンヤくんのことね。そういうことなら、仕方ないか。今日はこのくらいで。またね、修治」

 今までのやりとりは何だったのか。こっちが拍子抜けするくらい、北崎はあっけなく帰って行ったのだ。

 せっかく帰ってくれたのに僕は動けず、遠くへ歩く北崎を茫然と見ていた。

 いきなり自分の名前を呼ばれてびっくりしたからか。いや、違う。北崎に対して何かが引っ掛かっている。その何かが、恐怖で一刻も早く家に入りたい自分を引き留めている。

 結局、北崎の姿が見えなくなるまで見送ってしまった。

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