2006/6/15 呼び出し
テスト返却期間が終わり、今日からいつも通りの授業だ。奈々美は日常の仮面をつけてクラスメイト過ごしている。僕は誰とも関わらずに一人でいた。
二人の関係はこんなに変わったのに、学校では面白いくらい変わっていない。強いて変わったことをあげるとすれば、学校での奈々美の口数がさらに減ったことくらいだ。
そんな平凡な日の昼休みだった。
奈々美はグループ同士で席をくっつけてご飯を食べている。彼女が食べ終えると、一緒にいた一人に「ちょっと来てほしい」と言われて、後ろのドアから教室を出たのだ。
すると入れ違うように、別のクラスの男子が前のドアから入ってきた。
レンヤだ。
彼が通り過ぎると、オオバヤシをはじめとする奈々美のグループの人達が一斉に席を立つ。レンヤに引き連れられるように歩き始め、僕の前で止まる。
レンヤは眉間に皺を寄せて、小さく唸るように言う。
「ちょっと話したいことがある。来いよ」
一体、何に怒っているのだろうか。レンヤに興味がないので、全くわからない。断っても面倒そうなので、ついていくことにした。
教室を出て上の階に行って、レンヤと奈々美のグループに誘導されるままに空き教室へと入った。机も椅子も、掲示物すらなく、まるで僕の部屋のように殺風景だ。
オオバヤシがドアを閉めると、レンヤは僕を睨みつけた。
「おまえさ、なーちゃんとどういう関係なんだよ」
「なんで、そんなこと聞くの?」
元カレとはいっても今は奈々美と関係ない人間に、いきなりそんなことを聞かれる意味がわからない。
レンヤに不機嫌さが増して、全身から滲み出ている。
「連休明けにおまえの最寄駅に、なーちゃんがいるところを見た奴がいるんだよ」
「それが?」
「この日、なーちゃんから急に別れようって言われたんだよ!」
そんなこと僕に言われても、なんて答えればいいのかわからない。黙っていると、オオバヤシが話し始めた。
「見たの私。あの時のなーちゃん、なんかいつもと雰囲気違くてニヤニヤ笑って、怖くて話しかけられなかった……なーちゃんと何かあったんだよね?」
なるほど。オオバヤシと僕は同じ駅だから、見られていたのか。
それにしても奈々美のことが怖いとは、オオバヤシは何もわかっていない。きっと他の奴らも同じようなものだろう。あの日あったことを言っても理解できるわけがないし、そもそもあれは二人だけの時間だから誰かが知る必要もない。
思い出を嘘で守るしかなかった。
「連休明けだよね。みんな何か勘違いしてるよ。あの日は奈々美どころか誰にも会ってないから」
レンヤとオオバヤシ達は目を見開いた。おそらく驚いている表情だと思うが、一体どうしたのだろうか。
まるで独り言のようにレンヤが言った。
「友達も……彼氏だったオレにさえ、名前じゃなくてなーちゃんって呼んでって言ってたのに……」
しまった。そんなこと考えたこともなかった。確かに奈々美のことを名前で呼ぶクラスメイトはいない。
レンヤの目が潤んだ。涙が溢れる前に腕で拭い、僕に近づく。拳が届くくらいの距離になると、ドスが効いた声で殴るように怒鳴った。
「おまえがオレから、なーちゃん奪ったんだろ! 中間テストが終わった日もファミレスに一緒にいるところ見た奴がいるんだよ!」
レンヤに触発されたオオバヤシも同じような声で言う。
「レンヤと別れてからなーちゃん、どんどんおかしくなったの! 私達と遊んでくれなくなったし……mixiやめたしメールも返してくれないし……時々なんか目つきがこわくなったし! なーちゃんを返せ!」
すると、せきを切ったように他の女子も文句を言ってきた。
ああ、うるさい。なんなんだこいつらは。奈々美の友達でも何でもないくせに。まぁ、そのうち疲れて黙るだろう。もう言わせておけばいい。
黙っていると、レンヤが胸ぐらを掴んできた。僕の目に憎しみを注ぎ込む。
「舐めてんのか? 何か言えよ殺すぞ!」
殺されるのは嫌なので、何か言おうと思った。でも、こいつに言って伝わりそうな言葉が思いつかない。
とりあえず睨んであげると、レンヤは目を逸らした。その時だ。
ガラッ。
乱暴な音を立て、空き教室の扉が開く。
そこにはこの僕ですら見たこともない、鬼のような形相の奈々美がいたのだ。日常の仮面は跡形もなく消えてしまっている。
「汚い手で修治に触るな!」
こんな声も出せるのかと感心してしまうほど、雷鳴のような声が空き教室に響いた。
何が起きたかわからない様子で、レンヤはオロオロと僕の胸ぐらから手を離す。
奈々美はゆっくり歩いて僕の隣に立ってくれた。
レンヤだけではなく女子達も事態が飲み込めないようだ。それでもオオバヤシだけは細々とした声で言った。
「なーちゃん、ちょっと落ち着いて。どうしちゃったの? なーちゃんらしくないよ」
他の女子も同調して色々言い始める。こいつらは奈々美のことを何もわかってないのに、何を言っているのだろうか。呆れてしまう。
日常の仮面を捨てた奈々美は容赦しない。
「黙れ!」
一瞬にして沈黙がやってきた。だがすぐに、女子のうち何人かがシクシク泣き出す。
今度はレンヤは狼狽えながら声を出した。
「こんな奴のどこが良いんだよ。勉強できるだけの暗くてキモい奴だろ?」
その一言で、奈々美の怒りはついに限界を超えてしまったのだ。
「修治も私も、おまえらみたいな底辺這いつくばってる蛆虫共とは違うんだよ! 私が好きなのは修治だけなの! 修治以外、好きになったことなんてない! 扇動されてる蛆虫なんて、好きになるわけないでしょ! おまえらみたいなキモい蛆虫なんて、ずっと大嫌いだったんだから!」
ついにオオバヤシまでもが泣き出してしまった。レンヤは完全に怯えている。
だが、それは突然起きてしまった。
全身の力が抜けたように、奈々美が膝から崩れ落ちたのだ。
とっさに身体を支える。
「奈々美、大丈夫か?」
奈々美は、こいつらが知らない本当の顔で僕を見て、こいつらが知らない本当の声で、優しく言った。
「硝子の羽の蝶がね、ここを教えてくれたの。私は大丈夫……」
僕が大好きな微笑みをニッコリと見せて、ゆっくりと目を閉じる。
奈々美の体内で何かが激しく蠢いた。
あぁ、もうすぐ羽化するのだろう。
意識を失った奈々美を、レンヤとオオバヤシ達はただ呆然と見ていた。
「おい、蛆虫共。奈々美が倒れたんだから、早く先生呼んでこいよ」
レンヤとオオバヤシ達は逃げるように空き教室から出ていったのだ。
しばらくして、サイレンが校舎にまで聞こえてきた。




