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THE LAST TEEN KISS-シュメタリングの夜明け-  作者: 野良猫
第二章 君は蜜よりも甘く
14/22

2006/5/26 川沿い

 先生に授業でわからないところを聞きにいく。そんな嘘をついて、朝早く家を出ていた。本当は始発で行きたかったが、この時間が限界だ。

 電車はいつもより空いているが、人が少なくて軽くなっても、スピードは上がらない。一刻も速く、目的の場所に着きたいので苛立っていく。

 学校がある駅の一つ前にやっと着いた。今はここが降りる駅だ。駅員がいる改札まで、人にぶつからないように走った。

「すみません、このあたりに川はありますか?」

 駅員は怪訝な表情を浮かべていたが、今の僕には関係ない。

「それなら、JRの方にありますけど……」

 Suicaをタッチして走り去った。建物が繋がっているので、屋根の下をひたすら走る。

 JRの看板が見えて右に曲がると改札に着いた。駅員に具体的な場所を聞き、階段を駆け降りる。

 駅から出て言われた通りに右に進むと、橋が見えてきた。橋まで走り、コンクリートで囲まれた大きくも小さくもない川を見下ろす。

 左側にある別の橋の下に、人影が見えた。すぐに横断歩道を渡る。

 自分でも驚くほど大きな声が出た。

「北崎! やめろ!」

 彼女が僕の方を向いた。手に何かを持っているように見える。

 壁に梯子のような突起物があったので、そこまで走った。鞄を道路に置いてフェンスを乗り越え、迷わず川まで降りて、北崎の元に駆け寄る。

 ベージュのカーディガンでいつもの制服姿だが、やはり刃が剥き出しになったメスを持っていた。鞄は地面に横たわっている。

 僕は走った疲れが一気に来て、息を切らした。

「良かった……間に合った」

 魔法のiらんどの日記に『私、北崎奈々美は蝶になることを諦めて、明日の朝に全てを終わらせます』と書いてあったのだ。続けて、どこで終わらせるかも書いてあった。

 北崎はただ僕を見ていた。悲しみも絶望も何も感じず、本当に僕が写っているのか不安になるほどだ。

 口角だけは上がったので、見ていてくれていることはすぐにわかった。

「修治、来てくれたんだね」

 夢中でここまで来たが、光がない虚な瞳を見て冷静になってしまった。

 僕はここにいるべきではなかったかもしれない。自分を満たすために遊園地でやってしまった行為が、北崎の羽化の邪魔になったかもしれないからだ。

「ごめん。色々あってホームページ見ちゃった。蝶になれないって、僕のせいだよね」

 だが、北崎は俯いて首を横に振った。

「違うよ。修治は悪くない」

「僕のせいじゃない?」

「うん。修治さ、観覧車終わってからずっと辛そうだったよね。私といても、やっぱり嫌なのかなぁとか色々考えちゃった。そしたら、不思議なんだけど蝶になれない気がしてきてね……」

 やはり僕のせいではないか。北崎を苦しめていたなんて、この川に溶け込んで消えてしまいたい。

「あの日は楽しかったよ。楽しかったから辛かった」

 僕の話を聞きながら北崎は何度も頷く。

 どんな思いで聞いているのだろうか。こんな話を聞かされても気持ち悪いかもしれない。でも、自分の正直な気持ちを話すしかなかった。

「僕はずっと、何をやっても楽しくない人生を生きてきた、空っぽな人間だ。でも、北崎と一緒にいるとすごく満たされて、本当に楽しくてさ。だけど、満たすために北崎を利用しているだけの自分が、醜く思えてきたんだ。そんな僕が北崎と関わる資格なんてないと思えてね。でも、僕は……」

 ここまで言うつもりはなかった。ここで言うような話ではない。それくらいのことはわかる。わかってはいるのだ。

「僕は、北崎のことが好きだ」

 言ってしまった。もう言葉は戻せない。心臓が痛いほど脈を打つ。

 少しの沈黙の後だ。

 彼女は突然しゃがみ込み、地面に置いてある、自分の鞄を開けた。そこから筆箱を出して、メスにカバーをつけてしまったのだ。

 立ち上がった北崎は先ほどまでと違い、ニコニコと僕を見つめている。

「そっか。それなら良いこと教えてあげる。私の周りを飛んでいた蝶ね、修治とまた同じクラスになれたのがうれしくて、私から飛び出しちゃったんだよ。絶対にそうなの」

「え?」

 硝子羽のアゲハが、うれしくて飛び出した?

 何を言っているのだろうか。一年の頃は全く話したことがないし、北崎のことを嫌っていた。それなのに、また同じクラスになれてうれしかったとは、どういうことだろうか。

 言っていることがわからないが、話が通じないとは思わなかった。あの時と違い、北崎のことを知ったからだろう。

 たが、次に言われたことの意味も理解できなかった。

「修治のこと、一年の頃からずっとずっと気になってたからね。レンヤくんに押されて折れちゃったから、説得力ないかもだけど」

 奈々美は申し訳なさそうに笑った。

 何も答えられず、川の流れる音だけが聞こえる。

 気になっていた……? 気なるとはなんだ? レンヤの話をしたから、つまりそういうことなのだろうけど……。

「蝶が見える前の話だよね。僕のことなんか気なる理由なんてないと思うけど」

 その声は喜びを隠せないほど無邪気だった。

「自分でもなんで気になってるか、わからなかったの。でも言葉にしてもらって、今やっとわかったよ。修治の空っぽなところが、ずっと好きだったの。だって、空っぽだった修治が、私で満たされるのが、すごくうれしいんだもん」

 北崎は川の流れよりも穏やかに、優しい声で微笑みかけた。

「最初から気になってなきゃ、わざわざ自分から話しかけないよ? だからこれからも、私でいっぱいになって? まだまだ私も満足してないよ?」

 僕自身も気が付かなかった虚無感に、生まれてからずっと苦しめられていた。でも、北崎は言葉にはできなくても、僕より先に気付いてくれていた。それだけではなく、受け入れている。僕の嫌いな僕を、北崎は好きになってくれたのだ。

 僕も北崎の気持ちに応えたい。応えなければならい。

「ありがとう。僕、北崎のために何でもするよ」

「本当? それなら……」

 ニヤニヤと笑うが、何かいつもの北崎と違う気がする。少し恥ずかしそうだ。普段は大胆な彼女だが、こんな顔は初めて見た。何を頼まれるのだろうか。

「私のこと、奈々美って呼んでほしいな」

 何だそんなことか。別に大したことではなかった。

「わかったよ、奈々美」

 あまりにも自然に言えた。まるで最初からそう呼んでいたかのようだ。たった一回だけで、今まで名字だったことが間違いだったような気さえしてくる。

 全てが解決だ。

 安心で余裕が出てきたのか、周りの景色が見えてきた。川の上を通る道は、まばらだが人が歩いている。だが、誰もが僕達に見向きもしない。他人などそんなものだろう。自分の予定が一番だし、僕達にだってこれから学校がある。

「そろそろ、僕達も学校行こうよ。今なら間に合うよ」

「うん。今日は来てくれてありがとう、修治」

 遊園地で終わらせようと思っていた関係は、また新しい朝を迎えたのだ。

 ……そうだ。肝心なことを忘れていた。

「ところで観覧車に乗ったけど、蝶になって行きたい場所わかった?」

 奈々美はハッとして考える素振りを見せた。すぐに何かを思いついたようだ。

「修治がいないと羽化できないのはわかった!」

 ああ、行きたい場所は何にもわからなかったのか。それなのに、何だこの自信満々の顔は。

 二人同時、緩む顔。

 二人同時、吹き出す声。

 いつぶりだろうか。もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。僕が笑っているのだ。

 驚いたのは僕だけではなかった。

「修治が笑った顔、初めて見た」

 奈々美に見てもらったことがうれしかった。でも、改めて指摘されると、何だが恥ずかしい。僕だけがこんな思いをするのは不公平ではないか。

「僕にも見せてよ。まだ見てない奈々美の顔」

 奈々美は笑いながら「えー」と少し不満そうに言った。僕と同じで恥ずかしいのだろう。

 彼女は一瞬だけ目を伏せると、訴えるように僕を見つめる。

「そうだね。まだ、話してないことがあるからね。修治にはいつか聞いてもらいたいし」

 奈々美の笑顔が痛みを我慢しているように見えた。

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