81.英雄、眠りにつく
洛陽に戻ってきた。
医官たちは首を振った。
「命に別状はありません。ただ……目を覚まさないのです」
曹叡は歯を食いしばった。
紅陽は廠の枕元に座り、静かに言った。
「陛下…」
張凱は周囲を見渡し、低く呟いた。
「今、陛下が倒れたと知れたら……国が揺れる」
その言葉に、織が前へ出た。
「陛下の状態は、一旦内密にしましょう。“療養中”とだけ伝えます。
漢が、人類が勝利したという事実だけを、まずは広めるべきです」
曹叡は黙って頷いた。
戦いは終わったが、国はまだ脆い。
織は続けた。
「呉の生き残りは帰順の意を示しています…皆でこの国を復興しなければなりません」
曹叡は廠の手を握り、静かに言った。
「劉禅。お前が守った国だ。お前が戻るまで、必ず守り抜く」
廠の胸は規則正しく上下している。
だが、その意識は深い闇の中へ沈んだままだった。
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廠は、洛陽の宮殿の寝台へと移された。
織はその傍らに座り、廠の手をそっと握っていた。
――温かい。
確かに、生きている。
かすみと紅陽も、静かに見守っていた。
「陛下は……生きておられます」
紅陽が低く言う。
かすみは涙をこらえながら、織に向き直った。
「皇后様……」
織は廠の手を包み込み、ゆっくりと頷いた。
「いつか、目覚める日まで……待ちましょう」
かすみも、強く頷いた。
「はい」
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織は、廠の寝台のそばからしばらくは、動かなかった。
廠の手は温かい。
確かに生きている。
だが、目を覚ます気配はない。
(……この国を、今は私が守らねばならない)
織は静かに息を整えた。
皇后として、指示を文官たちへ出す。
「陛下の容体は、当面のあいだ内密とします。
“療養中”とだけ伝えよ。国を揺らすわけにはいきません」
文官たちは深く頷いた。
織は続ける。
「河北四州の統治は、曹叡殿に任せます。
涼州は馬岱殿、雍州は魏延殿。
荊州は関優殿に。
益州は蔣琬殿に引き続き任せましょう。
揚州は…呉の生き残りの武将たちに、そのまま治めさせます。そういう勅命を発令します」
宮殿の外では、戦の終わりを告げる鐘が鳴っていた。
だが、織の胸の中には、まだ終わらぬ緊張が残っていた。
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夜の洛陽は、驚くほど静かだった。
廟の灯火だけが、宮殿の回廊を淡く照らしている。
織はひとり、廠の寝台のそばに座っていた。
廠の手は、まだ温かい。
「…前にもこんなこと、無かった?」
織は小さく笑った。
声に出さなければ、胸が押しつぶされそうだった。
「誰より前に立って、誰より傷ついて…そして、誰にも心配をかけまいとする」
廠の胸は規則正しく上下している。
だが、その瞳は閉じたままだ。
織はそっと廠の手を握り直した。
廠の指が、わずかに動いた気がした。
だが、それは風の揺らぎかもしれない。
「廠…あなたが築いた“人類の国”を、私は守ります。あなたが戻るその日まで」
織は目を閉じ、深く息を吸った。
「……本当は、怖いよ…」
初めて口にした弱さだった。
「あなたが目を覚まさなかったら…私は、どうすればいいの?ねえ」
返事はない。
廠は静かに眠り続けている。
織は涙を拭い、もう一度廠の手を握った。
「だから…必ず戻ってきて。あなたがいない国など、私は望みません」
外では、夜風が庭の木々を揺らしていた。
その音だけが、織の独白を聞いていた。




