79.目覚め――二つの記憶の狭間で
廠は、白い天井を見つめていた。
呼吸の音がやけに大きい。
さっきまで、血と炎と咆哮の中にいたはずだった。
曹叡が隣で叫んでいた。
紅陽が槍を振るっていた。
“核”が、世界を喰らうと告げていた。
――なのに。
目の前にあるのは、消毒液の匂いと、規則正しく点滅する機械の光だけだった。
「……ここは……」
声がかすれる。
喉が焼けるように痛い。
だが、確かに生きている。
病室の扉が開き、白衣の医師が入ってきた。
「ああ、目が覚めましたか。石川さん、事故のあと三日間、意識が戻らなかったんですよ」
事故?
三日間?
廠の心臓が、ゆっくりと、しかし確実に冷えていく。
(……本当に……戻ってきたのか?)
確かめる。
止まれ。
時間が止まった。
医師の動きが、空気の揺れが、すべてが静止する。
戦場で使っていたあの力が、確かにそこにあった。
「……夢じゃない……」
廠は震える指で、止まった空気に触れた。
冷たく、重く、あの戦場と同じ質感。
では、あの戦いは何だったのか。
それとも、まだ“これから起こる”のか。
動け。
時間を動かすと、医師が何事もなかったように言葉を続けた。
「ご家族の方が、ずっと心配していましたよ。呼びますね」
家族。
その言葉に、廠の胸がざわつく。
(曹叡は? 紅陽は? 関優は? 張凱は?)
彼らは、この世界に存在するのか。
それとも、あの戦場だけの存在なのか。
扉の向こうで足音が止まった。
廠は、無意識に息を呑んだ。
胸の奥で、二つの記憶がぶつかり合う。
“石川裕介”としての人生と、劉禅いや、廠として戦い続けた日々が、
まるで同じ器に無理やり流し込まれたように混ざり合っていく。
(……俺は……どっちなんだ……)
扉が開いた。
「裕介!」
駆け寄ってきたのは、現代の母だった。
泣きそうな顔で、しかし必死に笑おうとしている。
その姿を見た瞬間、胸の奥に温かいものが広がる。
懐かしい。
確かに“自分の母”だ。
「……母さん……」
声が震えた。
母はその震えを誤解したのか、優しく手を握ってくる。
「大丈夫よ。もう心配いらないからね」
その言葉に、廠は目を伏せた。
(……心配いらない? いや……違う。あれ、は終わっていないはずだ)
あの戦場で見た“核”の目。
世界を喰らうと告げた声。
あれは夢ではない。
時間を止める力が、何よりの証拠だ。
母が席を外し、医師と話し始める。
廠はゆっくりと上体を起こし、窓の外を見た。
青い空。
平和な街並み。
人々の生活音。
だが、胸の奥に不気味な違和感が残っている。
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母は、廠の顔を覗き込みながら、何度もまばたきを繰り返していた。
「……裕介、本当に大丈夫なの? さっきから、なんだか……」
心配を隠しきれない声だった。
廠は返事をしようとしたが、喉の奥で言葉が絡まる。
(……どう説明すればいい……?
三国時代で戦ってきたなんて、言えるわけがない)
医師が母の肩に手を置き、落ち着いた声で言った。
「事故の衝撃で、少し記憶があいまいになっている可能性があります。
念のため、検査をしておきましょう」
母は不安げに頷き、廠の手を握った。
「裕介、怖がらなくていいからね。すぐ終わるから」
廠は小さく頷いた。
だが胸の奥では、別の恐怖が渦巻いていた。
(……記憶が曖昧なのは“事故”のせいじゃない。
二つの世界の記憶が混ざっているからだ)
検査は淡々と進んだ。
CT、MRI、反射テスト、認知テスト。
どれも、廠にとっては“戦場の静寂”よりも落ち着かない時間だった。
やがて、医師が結果を持って戻ってきた。
「石川さん。検査結果は……問題ありません。脳にも異常は見られませんでした」
母は胸を撫で下ろし、涙ぐんだ。
「よかった……本当によかった……」
だが廠は、医師の言葉に逆に背筋が冷えた。
(……異常がない? じゃあ、この記憶の混濁は……“本当に起きたこと”だというのか)
医師は続けた。
「ただ、事故のショックで一時的に混乱している可能性はあります。
しばらくは安静にして、ゆっくり休んでください」
母は何度も頷き、廠の肩をさすった。
「裕介、今日はもう何も考えなくていいからね。
家に帰れるようになったら、またみんなで……」
その言葉を聞いた瞬間、廠の胸に鋭い痛みが走った。
“みんなで”。
その言葉が、戦場で散っていった仲間たちの顔を呼び起こす。
曹叡。
紅陽。
関優。
張凱。
母が席を外し、医師と話し始めた。
病室に静けさが戻る。
廠はゆっくりと目を閉じた。




