武人の残り火
部屋の外に出た紅陽は、廊下の薄暗がりでひとつ息を吐いた。
その表情は、先ほどまでの忠誠一色の顔とは少し違っていた。
(陛下の記憶が曖昧か)
紅陽は静かに目を閉じる。
(ならば今こそ、宮中を蝕む宦官どもを、黄皓を排除する好機かもしれぬ)
紅陽は、劉禅を守るために剣を振るってきた。
だが、守るだけでは足りないと、ずっと思っていた。
黄皓を中心とする宦官達が劉禅に取り入り、
宮中の権力を欲しいがままにしていた。
政務を取り仕切る蔣琬は、内政だけで精一杯で宮中や後宮のことまでは手が回らない。
それに、劉禅に諫言できるのは、今となっては諸葛亮だけだった。
諸葛亮が北伐のため、ずっと遠征に出ている隙を狙った形だった。
紅陽率いる近衛兵の規模が小さくなった。
かつて宮中に数百名はいた近衛兵たちは、危険ではない、という理由で、宦官達の手によって、日ごとに縮小されていく。
その分が、毎日の遊興費に使われていくのだ。
じわじわと腐り始めていく宮中。
なんとかしなければ、と思っている最中なのだ。
(陛下は宦官の甘言で狂わされている)
だが。
今の陛下は、記憶が曖昧だ。政治の細部も、宮中の力関係も、誰を信じ、誰を疑うべきかも分からない。
(今から私が導けばよい)
紅陽は拳を握りしめた。
紅陽は、近衛兵ではなく、いつか将軍として戦場に立ちたいという願いをずっと持っていた。
そのために来る日も来る日も、鍛錬に明け暮れたのだ。
近衛兵長になったのは、成り行きだった。
元々は、張飛将軍の麾下にいた。
かつての劉備軍が荊州から益州を制圧した後、蜀を建国した。
その後で、漢中を制圧し、漢中と荊州からの同時攻撃で洛陽まで攻め滅ぼすつもりだった。
だが、呉軍と身内の裏切りにあい荊州にいた関羽が討ち取られた。
怒りに狂った、劉備と張飛は、荊州から一気に呉にいる孫権を討ち果たそうとしていた。
その際、張皇后と劉備の息子である劉禅を娶わせた。
紅陽は、張飛将軍に、娘を頼めるのは、お前しかいないと言われて、共に宮殿入りしたのだ。
劉禅は、優しくはあったが、暗愚だった。
それに、張皇后のようなはっきりとした物言いを嫌い、今では遠ざけているのだ。
ここから機転を利かせれば、戦場に出るのも夢ではない。
それに、張皇后には、かすみをつけている。
何かあっても宦官ごときでは太刀打ちできないはずだ。
紅陽はゆっくりと目を開け、劉禅のいる部屋の方へ視線を向けた。




