62.華容道を焼く復讐の炎。関優の刃が宿敵・陸遜を打ち砕く
新城近くの野営地。
夜風が帳の幕を揺らし、十万の兵の気配が静かに広がっていた。
廠は全軍の主だった将たちを集め、地図の前に立った。
灯火が彼の横顔を照らし、その影が大きく揺れる。
「……陸遜は、俺たちの力を知らない」
その一言に、場の空気が張りつめた。
「麦城での敗北は、あいつにとって誤算だ。だからこそ、次は正面からぶつかってくるはずだ」
将たちは互いに顔を見合わせ、やがて力強く頷いた。
紅陽が静かに言う。
「陸遜は、正面決戦を選ぶ、確かにあり得ます」
廠は頷き、関優と紅陽を見た。
「正面からお前たち二人は相対してくれ」
関優は驚きに目を見開いた。
「正面を?」
「そうだ。十万の軍勢の顔は、お前たちだ」
紅陽は静かに頭を下げた。
「陛下のご期待、必ずや応えてみせます」
関優も拳を握りしめる。
廠は満足げに頷いた。
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関優が問う。
「では、陛下は…どうされるのですか?」
廠は地図の南東を指差した。
そこには、江陵へ続く細い山道、華容道が描かれている。
「俺は、紅仁とともに陸遜の背後に回る」
「背後……?」
「そうだ。陸遜が正面に全力を注げば、背後は手薄になる。そこを突いて─華容道に火をつける」
将たちが一斉に息を呑んだ。
「か、華容道を…焼く…!?」
「それでは、呉軍の退路が…!」
廠は静かに言った。
「退路を断つ。陸遜を、逃がさないためにな」
その声音は、これまでの柔らかい廠とは違う。
皇帝としての覚悟と、父の仇を討つ者の決意が宿っていた。
紅陽が慎重に問う。
「しかし…陛下自ら背後に回るのは危険では…」
廠は笑った。
「危険じゃない戦なんて、どこにもないさ」
関優が息を呑む。
「陛下…!」
廠は関優の肩に手を置いた。
「お前は正面で勝て。俺は背後で勝つ。どちらが欠けても、この戦は終わらない」
その言葉に、関優は深く頷いた。
廠は満足げに微笑んだ。
「よし。陸遜の策を、陸遜に返すだけじゃない。今度は俺たちの策で勝つ」
帳内の空気が一気に熱を帯びた。
十万の軍勢が、いままさに決戦へ向けて動き出す。
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江陵南方の広大な原野。
朝霧が薄く漂う中、呉軍の赤い旗が一斉に翻った。
陸遜は高台に立ち、整然と並ぶ自軍を見下ろした。
中央には精鋭歩兵。
左右には騎兵。
後方には弓兵と火矢隊。
まるで巨大な刃を研ぎ澄ませたような布陣。
「来るがいい」
陸遜の声は静かだったが、その静けさこそが呉軍全体を引き締めていた。
「今日こそ、荊州の地に新たな秩序を刻む」
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一方、南原の北側。
蜀軍十万の旗が風に揺れ、地平線を覆うように広がっていた。
関優は馬上で深く息を吸い、青龍偃月刀を背に負ったまま前を見据える。
紅陽が隣で静かに言う。
「…陸遜は、正面から来る。こちらが退いたことで、勝てると思っている」
関優は頷いた。
「なら、正面で叩き返すだけだけです」
関優は刀の柄に手を置き、前へ進んだ。
「全軍─前へ!」
十万の兵が一斉に動き、地響きが原野を揺らした。
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その頃、廠と紅仁はわずかな近衛兵だけを連れ、南東の山道へと馬を走らせていた。
険しい山道を抜けると、江陵へ続く細い一本道─華容道が姿を現す。
紅仁が息を整えながら言う。
「陛下……本当に、ここを焼くのですか?」
廠は迷いなく頷いた。
「陸遜は正面に全力を注ぐ。なら、背後は必ず手薄になる。 ここを焼けば呉軍は退けない」
紅仁は震える声で言う。
「退路を断つということは陸遜を、生かして帰さないということ……」
廠は静かに答えた。
「父上を討った男だ。 ここで終わらせる」
その目には、これまで見せたことのない鋭さが宿っていた。
「紅仁、火薬を運べ。合図は正面の戦が最も激しくなった時だ」
紅仁は深く頷いた。
「…承知しました、陛下」
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江陵南原。
ついに両軍が射程に入る。
「弓隊──構え!」
関優が刀を抜く。
「盾兵、前へ!」
紅陽が方天戟を構える。
「全軍、突撃!!」
十万の蜀軍が雄叫びを上げ、呉軍の中央へと雪崩れ込む。
陸遜は冷静に指示を飛ばす。
「中央、耐えよ! 左右の騎兵、回り込め!」
戦場が渦を巻くように動き始めたその瞬間、南東の空に、黒い煙が立ち上った。
陸遜の目が鋭く細まる。
「…何だ?」
次の瞬間、華容道の方角から炎が噴き上がった。
蜀軍の兵が叫ぶ。
「陛下だ!陛下が─華容道を焼いた!!」
呉軍の後方から悲鳴が上がる。
「退路が…! 退路が燃えている!!」
陸遜は初めて、扇を握る手を震わせた。
「…背後を…断たれた…?」
十万の軍勢が一斉に吠え、
正面の激突と背後の火攻めが、まるで巨大な罠が閉じるように同時に始まった。
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紅陽の騎馬隊。
蜀軍の赤い牙と呼ばれていた。
縦列のまま、まるで一本の槍のように呉軍の中央へ突き刺さる。
矢の雨が降り注ぐが、紅陽はすべてを方天戟で叩き落とした。
敵の先鋒がぶつかった瞬間、紅陽の隊は左右に一気に拡散し、呉軍の列を切り裂く。
悲鳴と怒号が渦巻く中、紅陽は視界の奥に、陸遜の旗を捉えた。
「…見つけた」
方天戟を構え、再び縦列へ。
「行くぞ!!」
赤い牙が、陸遜の本陣へ一直線に走り出した。
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高台の陸遜は、迫り来る紅陽の隊を見て目を細めた。
「……あれが、蜀軍の牙か」
扇を閉じ、馬を前へ進める。
「来い。受けて立つ」
陸遜は自ら前に出た。
名将としての矜持が、彼を戦場の中心へ押し出す。
紅陽と陸遜の距離が一気に縮まる。
方天戟が唸りを上げ、陸遜の剣がそれを受け止めたが、いなしきれない。
紅陽の圧力は、それを遥かに上回っていた。
陸遜は悟った。
正面では勝てない。
「退くぞ!! 本陣、後退!!」
呉軍が一斉に後退を始める。
だが退いた先には、青龍偃月刀を構えた関優が立っていた。
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陸遜の目が大きく見開かれる。
「お前は」
関優は静かに言った。
「我が名は、関優。お前を討つ」
青龍偃月刀が、朝日を受けて青く光る。
陸遜は剣を構えた。
「来い……!」
関優が馬を蹴り、青龍偃月刀を振り下ろす。
陸遜は受け止めようとしたが、その一撃は、陸遜の力を完全に上回っていた。
「ぐっ……!」
陸遜の剣が折れ、彼の身体が馬上から弾き飛ばされる。
地面に叩きつけられた陸遜は、血を吐きながら空を見上げた。
「見事…だ…」
関優は刀を下ろし、静かに言った。
「これで終わりだ」
陸遜は目を閉じた。
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その瞬間、呉軍全体に絶望が走る。
「陸遜殿が……倒れた……!」
「もう戦えぬ……!」
「退路も……燃えている……!」
「降伏だ……降伏するしかない!!」
次々と武器が地面に落ちる音が響く。
呉軍は、正面の圧力と背後の火攻めに挟まれ、完全に戦意を失った。
関優が馬上から叫ぶ。
「武器を捨てろ!これ以上、無駄に死ぬな!!」
呉軍は一斉に膝をつき、
旗を倒し、全軍が降伏した。
紅陽が深く息を吐く。
遠く、華容道の炎が空を赤く染めていた。




