55.『俺、天才じゃない?』――軍事の常識を壊す皇帝の奇策に、姜維と紅陽も思わず納得
「……落ちないよね、これ」
廠は馬上で腕を組み、長安の城壁を見上げながらぽつりと漏らした。
春の陽光を受けて白く輝くその壁。
紅陽は隣で静かに息を吐いた。
「……正攻法では、時間がかかりますね」
遠くでは魏延の怒号が響いていた。
南西の丘陵を押さえたものの、城壁に近づくたびに魏軍の弓兵が雨のように矢を放ち、魏延軍は前に出られずにいた。
北側では馬岱が冷静に指示を飛ばしている。
「退くな、盾を上げろ! 投石器を前へ――いや、まだだ、距離が足りん!」
包囲は完成している。
だが、長安の城壁は想像以上に堅固だった。
廠は顎に手を当て、しばらく黙って城壁を眺めていた。
「姜維」
「はい」
姜維が馬を寄せる。
その顔には焦りはないが、状況の厳しさを理解している目だった。
「城壁そのものは落ちる気配がない。魏延も馬岱も、攻めあぐねている」
姜維は頷いた。
「長安は、かつての秦の都。城壁は厚く、高く、堅牢です。正面からの攻城は、どうしても時間がかかります」
廠はため息をついた。
「……いや、分かってたけどさ。実物を見ると、思った以上にデカいな、これ」
紅陽が苦笑する。
「陛下、率直すぎます」
「だって本当にデカいんだよ。あれ、どうやって建てたんだよ……」
姜維は少し考え、地図を広げた。
「陛下。正面突破が難しいなら、別の手を考えるべきです」
「別の手か…」
廠は、地図を見ながら、とっさに思いついた。
「このまま迂回してさ、南陽あたりまで進んで、洛陽を直接攻めようぜ」
「…何ですと?」
「魏延と馬岱にはこのまま、長安を攻めてもらっている間に、俺と紅陽、姜維の騎馬隊で、一気に迂回してさ」
姜維は地図の洛陽と長安を結ぶ線を指でなぞりながら、低く呟いた。
「……南陽郡を経由して洛陽へ。魏の本拠を突けば、長安の守備は必ず揺らぎます。兵站線は伸びますが……」
廠が身を乗り出す。
「でも、長安より洛陽の方が落としやすいだろ?魏の連中も、まさか蜀が“首都”を狙うとは思ってない」
紅陽も地図を見て、静かに頷いた。
「奇策ではありますが、理には適っています。長安を攻め続ければ、魏は兵を集めざるを得ません。その隙に洛陽を突けば……」
姜維はついに決断したように顔を上げた。
「……陛下。この策、成功すれば魏の心臓を一撃で貫けます」
廠は満足げに笑った。
「だろ? 俺、天才じゃない?」
紅陽が小声で呟く。
「……思いつきにしては、妙に鋭いのが困りますね」
廠は地図をぱたんと閉じ、すぐさま近衛の伝令を呼びつけた。
「魏延と馬岱に伝えろ。一度、本陣に戻れってな。急ぎだ」
伝令は馬を返し、砂煙を上げて駆けていく。
紅陽が横目で廠を見る。
「陛下、もうお決めになったのですね」
「決めたよ。長安は“囮”にする。俺たちは――洛陽を獲る」
姜維は深く頷いた。
その目には、半年の膠着を破る光が宿っていた。
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しばらくして、魏延と馬岱が本陣に戻ってきた。
魏延は相変わらず苛立ちを隠さず、馬岱は冷静に状況を見極めている。
「陛下、お呼びですか」
「長安の攻めはどうだ?」
廠の問いに、魏延は鼻を鳴らした。
「あの城壁、やはり堅牢です。何かの一押しでもあれば」
「その“一押し”を作るのが、今回の作戦だ」
廠は地図を広げ、洛陽までの迂回路を指で示した。
「魏延、お前を総大将に据える。馬岱は副将だ。二人で長安を攻め続けてくれ。派手に、盛大にな」
魏延は目を見開いた。
「……陛下、何かをなされるおつもりか」
「俺と紅陽、それに姜維の騎馬隊で、洛陽へ向かう」
馬岱が息を呑む。
「洛陽…魏の本拠を、直接……!」
姜維が静かに言葉を添える。
「長安を攻め続ければ、魏は兵を動かせません。我らの動きに気づいて、長安から兵を出せば、それこそ魏延将軍率いる蜀軍本隊で殲滅できます」
魏延はしばらく黙っていたが、やがて口角を上げた。
「つまり、私はここで暴れてればいいと、そういうことですかな」
廠が笑う。
「そういうこと。お前が派手にやればやるほど、洛陽は手薄になる」
馬岱も深く頷いた。
「陛下の策、承知しました。我らは長安を押さえ、魏を釘付けにいたします」




