52.【無双】『俺とやろうぜ』伝説の英雄の息子を木刀一本でわからせる、最強の劉禅
漢中から、この山奥の集落までは、馬でも五日はかかる。
人の足なら十日を見ておかねばならない。
それほどの距離と険しさが、彼らを追う官軍の手を遠ざけているのだろう。
廠は、集落の入口に差し掛かった時にそう思った。
紅陽が傍らにいる。
騎馬隊は、山のふもとで野営をするように指示してきた。
「本当にいるのかな?」
「かすみからも情報が入っています。間違いないでしょう」
「結構な人数がいそうじゃない?」
集落の入口付近には、すでに数十人の民が、地べたに座っている。
近づいた廠に気が付くと、みな一斉に立ち上がり、集落の中へと逃げるように走り去った。
「…おい、どこに行く?」
「陛下、あれを」
紅陽が指さした先から、二つの影がゆっくりと姿を現した。
ひとりは、背の高い男だった。
粗末な皮鎧をまとい、腰には使い込まれた大刀。
歩みは静かだが、周囲の気配を常に探るような鋭さがある。
もうひとりは、張凱だった。
大柄な体に似合わず、どこか若さの残る表情。
だが、その目には、山で生き抜いてきた者だけが持つ警戒の色が宿っていた。
二人は廠たちの前で足を止めた。
「……止まれ」
関優が低く言う。
その声は、山の空気に馴染んだ静かな威圧を帯びていた。
紅陽が一歩前に出ようとしたが、廠が手で制した。
「お前がこの集落を束ねている者か?」
廠の問いに、関優はしばらく答えなかった。
ただ、廠の姿をじっと見つめる。
その視線は、敵か味方か、あるいは“奪う者”か“奪われる者”かを見極めるためのものだった。
やがて、関優は静かに口を開いた。
「俺は、関優という。ここにいる者たちを守るために、山に身を置いている」
張凱が廠を見て、眉をひそめた。
「お前……ただの旅人には見えねえな」
紅陽がわずかに身構える。
だが廠は、穏やかな声で返した。
「旅人じゃあないな。だが、敵ってわけでもない」
関優の目が細くなる。
「ならば、何者だ」
廠はゆっくりと懐から符を取り出した。
蜀の皇帝が持つ、正統の証。
紅陽が小声で言う。
「陛下……」
関優と張凱の表情が、一瞬だけ揺れた。
「……まさか」
張凱が息を呑む。
廠は静かに頷いた。
「劉禅だ。…賊まがいのことをしている集団がこの山にいると聞いて、漢中からはるばる来た」
山風が吹き抜け、焚き火の煙が揺れた。
関優は、しばらく言葉を失っていた。
張凱は、驚きと戸惑いの入り混じった目で廠を見つめる。
そして関優は、深く息を吸い、静かに言った。
「…賊まがいではない」
続けて、張凱が言った。
「なぜ、陛下自らこのような山奥へ?」
廠は一歩、彼らに近づいた。
「織から聞いたんだよ、弟がいるってな」
「姉上?!…姉上は元気なのか?」
「ああ、お前が生きていると聞いて、心配してた。だから、様子を見に来たってわけさ」
「そ、そんな…でも…」
「で、聞くが、なんで織を訪ねてこなかったんだ?」
「…それは」
張凱を制して、関優が口を開いた。
「我らは、宮殿には行ったが、そんな奴らは知らんと言って追い返したのは、ほかならぬ貴方だ」
廠は、頭をかいた。
「あ~、そういうことだったのか…」
紅陽が傍らで、相槌を打った。
「黄皓の仕業でしょう」
「全く…どうしようもないな…」
「して、陛下」
関優が言った。
「張凱の様子を見に来て、そして、いかがなされます?」
「そうだな…織には、元気でしたって、言っておくか」
「え?」
「会えたならいいや、じゃ」
廠は、紅陽と共に、振り返った。
「お、お待ちください」
張凱がすがるように言った。
「本当に、俺を見に来ただけなのですか?」
「ああ、そうだよ。妻の頼みを聞いただけだ」
「…あの、姉上は今どちらへ?」
「漢中だよ。宮殿ごと引っ越した」
「そうなんですか…」
「何?来る?」
張凱が反応を見せる。
「え、あ、い、いや…ですが…」
「来ないの?」
「い、いやあ、その…」
「陛下」
関優が言った。
「この惨状をごらんになられて、なんとも思わないのですか?」
そこらじゅうに、民が地べたに座り込んでいる。
「皆、明日の食べ物も無く、山の恵みを分け合う暮らしを強いられております」
「知っているよ、だから、軍を派遣して保護しようとしているのに、賊まがいの連中が、民を囲っているって報告を受けている」
「保護?」
関優が聞き返し、張凱が目を丸くしている。
「で、その賊が、織の弟だっていうことで、見に来たんだ」
「…姉上が、俺を…?」
「まあ、なんだ、張…凱って言ったか?一緒に漢中へ帰るか?」
「しかし、ここの飢えた民が…」
「もう、迎えの兵は呼んでる、食べ物もある」
「え、そうなんですか?」
ほどなくして、近衛兵に率いられて輜重が届く。
輜重隊や近衛兵達は、ここから漢中へは徒歩だと十日前後でたどりつくと、民にそう説明しながら食べ物を配り始めた。
関優や集落の自警団らしき若者たちはあっけにとられていた。
張凱が、廠のところにやってきて言った。
「俺も、連れて行ってください」
「いいよ」
「待て」
関優がさえぎるように言った。
「張凱、呉へのかたき討ちは、どうする?」
「兄者、一度漢中に行ってから、考えよう。俺たちだけじゃ、どうにもならないって」
廠が、関優にも声をかける。
「お前、どうすんだ?」
「…俺は、俺は…」
「兄者…もう、漢中に行くしかねえって」
「…張凱、忘れたのか、俺たちの戦う理由を」
「忘れたわけじゃないさ、でも…」
廠がまた遮って言った。
「関…優?といったか?お前さ」
「…」
「そんなに強いの?」
「…何が、ですか?」
「戦いがってこと」
「…何が言いたいのです?」
「いやあ、そこまで言うからには、相当腕に自信があるのかなあって…」
「よろしければ、お見せいたしましょうか?近衛でも構いませんぞ」
紅陽が、前に出ようとするのを、廠が制する。
「いや、お前なんか、紅陽とやったら、一発だ」
「なんですと」
「俺とやろうぜ」
紅陽が口を挟む。
「私がやります。陛下は下がってください」
「いいから」
廠はおもむろに、履いていた剣を抜く。
木刀だった。
「いいでしょう」
関優が、剣を抜き放つ。
紅陽が、そこで告げた。
「本来なら、陛下に白刃を向けた時点で、重罪だが、今回は特別だ」
「まあまあ、いいって、紅陽」
「本当に行きますぞ、陛下」
「いつでもいいよー」
全く構えない。
手に木刀を持ったまま、突っ立っている。
舐められている。
そう感じた関優は、剣を持つ手を握りしめて、斬りかかった。
次の瞬間、空が見えた。
張凱が視界に入ってくる。
「兄者…大丈夫か?」
何が起きたかが、全く分からなかった。
ただ、これだけは言える。
負けた。
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廠は、久しぶりに使ってみた。
止まれ。
剣を振り上げた状態で、止まった関優。
その剣の握る手を木刀で思い切り叩く。
その後で、関優の身体を木刀で思い切り叩いた。
粗末だが、鎧は着ていたので、怪我はしないだろう。
その後、廠は自分の足で、関優の足を払うように蹴る。
動け。
関優は、地面に伏した。
張凱が慌てて駆け寄っていった。




