51.復讐か、それとも救済か。呉に全てを奪われた二人の遺児が、山中で『誓い』を立てる夜
益州の巴東郡と、荊州の上庸郡の境にあたる山間部。
そこに関優と張凱が率いる義賊たちの根城があった。
戦に出ては敵と刃を交え、あるいは豪族から金品を奪い返すのは、もっぱら彼らの軍団の役目である。
その一方で、行き場を失った者たちが次々と集まり、やがてそこは、ひとつの集落として形を成していった。
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山を下りる夜は、月が細かった。
雲が流れ、時折、月光が道を照らす。
関優は、尾根の陰から眼下を見下ろしていた。
谷あいに築かれた豪族・呉氏の館は、高い塀と見張り櫓を備え、いかにも「奪われるはずがない」と言わんばかりの構えをしている。
「相変わらず、金だけは余ってる顔だな」
張凱が、低く笑う。
その声に、義賊たちの間で小さな緊張が走った。
館の裏手。
山に最も近い場所は、警戒が薄い。
関優は手を上げ、合図を送る。
――今だ。
先行していた数名が、音もなく塀に取りつく。
縄が掛けられ、影がひとつ、またひとつと塀を越えていく。
見張り櫓の上で、兵が欠伸をした瞬間だった。
背後から伸びた腕が、口を塞ぐ。
短い呻き声。
そして、静寂。
合図と同時に、義賊たちは一気に館内へ雪崩れ込んだ。
「敵襲だ!」
叫び声が上がるころには、すでに遅い。
刃が閃き、松明が倒れ、闇と火が入り混じる。
関優は正面から踏み込み、立ちはだかる私兵を斬り伏せた。
豪族の兵は数こそ多いが、命を賭ける覚悟が違う。
「命までは取らん! 武器を捨てろ!」
張凱の声が、混乱の中に響く。
逃げ惑う使用人たちを、義賊たちは追わない。
狙うのは、蔵だけだ。
重い扉が破られ、中から金布、穀物、武具が運び出されていく。
それらは、すべて山へ運ばれることになる。
館の奥で、呉氏当主が震えながら膝をついていた。
関優は、彼を一瞥する。
「お前が溜め込んだものは、山に流れる。
民の命を削って得た金だ。覚えておけ」
返事はなかった。
ただ、恐怖に濁った目が、それを物語っていた。
やがて、義賊たちは火を残さず、闇の中へと消えた。
夜明け前、館には奪われた後の静けさだけが残される。
そしてその奪われた富は、
山の集落で、再び“人の命”として息を吹き返すことになる。
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「なあ、兄者」
「どうした、凱」
「俺たちさ、いつまで、こんなことしてればいいんだろうな…」
呉氏から奪った金品を、集落に運び込んだ後、居城としている館に戻ってから、張凱がそう言った。
「…嫌になったか?」
「違うんだ…関優兄、今さ、蜀の状況が変わっただろ?」
「…涼州と、雍州を奪り、今さらに長安に圧力をかけている状態だな」
「…劉禅陛下が自ら、戦に出たって聞いた」
「…知っている。頭をぶつけてから、まともになったということも噂でみんな知っている」
「…だろ?で、さ…その皇后様は、俺の腹違いの姉じゃないか、だから」
「だから、なんだ」
「今なら、取り合ってくれるはずだ」
「…以前、そういって押しかけて、宮殿の兵に帰されたのを忘れたか」
その言葉は責めではなく、現実を突きつけるための静かな釘だった。
張凱は唇を噛んだ。
「忘れてねえよ。でも、あの時とは違うはずだ」
「…それなら、お前だけで行け」
「兄者…」
「俺は、ここにいる者たちを見捨てるわけにはいかん」
「…みんな、連れて行けばいいじゃないか」
「連れていきたくても、大勢を連れていけるほどの資源が俺たちにはない」
この集落の人数は二百人を超えていた。
皆、肩を寄せ合い、明日の糧を求めて山に入り、わずかな恵みを分け合って生きている。
日が暮れれば、焚き火の周りに人が集まり、わずかな食料を分け合う。
湯気の立つ粥の匂いが漂い、子どもたちの笑い声が闇に溶けていく。
そのささやかな温もりこそが、彼らがようやく手にした「生き延びる場所」だった。
関優は、その全てを背負っていた。
「俺たちの名前にみな期待しているんだ」
「兄者……もう、俺はそれが嫌なんだよ」
張凱の声は、焚き火の残り火のように揺れていた。
関優が名を呼ぶと、張凱は唇を噛み、しばらく言葉を探すように沈黙した。
「張凱……」
「俺はさ……父上みたいに強くなんてなれねえんだ」
ぽつりと落ちた言葉は、長いあいだ胸の奥で燻っていたものが、ようやく空気に触れたようだった。
「張飛の息子だ、張苞の弟だ、みんなそう言う。でも俺はあの二人をよく知らねえ」
「張凱」
「あとで分かったさ、張苞兄は、母上と共に、呉の策略で暗殺され、父も陣中で、呉の間者に毒を盛られて死んだ」
関優は黙って聞いていた。
「姉上も、嫁いでいった。俺だけが、腹違いの張飛の子なんだ」
「そうだったのか」
「俺の母は、父が亡くなると、すぐに死んだんだ。それから、ずっとひとりきりさ」
「俺と会ったのもそういうときか」
「ああ、兄者がいなければ、野垂れ死んでた。だから、ここまでついてきた」
蠟燭の炎が静かに揺れる。
「だけど、俺は、戦なんて嫌なんだよ」
張凱は体格に恵まれ、武器を使うのもうまい。
必要なのは、戦う理由だ。
そう思った関優が、返すように言葉を続けた。
「関羽の息子だ、関平の弟だって、みんなそう言う」
張凱が頷く。
「父上も兄上も、呉の裏切りで死んだ。関興に関しては、呉の陸遜との戦で死んだ。幼かった俺だけが、逃げるように益州に転がり込んだ」
「そうだったよな」
「俺は、戦が好きとか嫌いとかじゃない。呉が許せん。お前の家族、そして俺の家族を奪った呉の連中だけは絶対に許さない」
「兄者」
「俺が戦う理由は、それだ。いつか大軍勢を率いて、必ず仇を討ち果たす」
関優は拳を握りしめる。
「そのためにも、力なき人々を救いながらも、兵を蓄える」
「…そのためにこういうことしてんのか、兄者」
「ここにいる人は、みなそうやって、乱世に何かを奪われて生きている」
「…」
「みんな、同じなんだ、凱。…一緒に戦おう」
「…分かったよ、もう泣き言なんて言わねえ」
張凱は、胡床に座りなおした。




