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三国志の端っこで生きています  作者: 水原伊織


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50.張凱と関優:語られざるもう一つの誓い

廠が漢中へ戻ったのは、夜半を少し過ぎた頃だった。

戦の匂いも、山の薬草の匂いも、まだ衣に残っている。


織の居室に入ると、灯りは落とされ、薄闇の中に織が立っていた。

その瞳が廠を見つけた瞬間、ふっと緩む。


「おかえりなさい」


廠は答えず、ただ織を抱き寄せた。

そのまま二人は寝室へと入り、互いの温もりを確かめ合うように、静かに身を重ねた。


やがて、息が落ち着き、寝台の上に並んで横たわる。

織は廠の胸に頬を寄せ、指先で衣の端をなぞりながら言った。

「……孔明殿のこと、聞いてるわ」

廠は目を閉じたまま、短く息を吐いた。

「そうか。すまない、心配をかけた」

「まあ、紅陽が一緒だったから大丈夫だとは思っていたけど」


織の声は静かだが、その奥にある感情は隠しきれない。

廠は織の髪を撫でながら答えた。

「孔明は……元莱の針で、なんとか持ち直した。まだ安心はできないが、峠は越えた」


織はほっと息をつき、廠の胸に顔を埋めた。


「よかった、本当に。あなたが間に合わなかったら、きっと後悔していたでしょうね」

「まだ、死ぬべき人じゃない気がするんだ」

「ねえ、廠の知っている世界では、もう孔明様は…」

「ああ、五丈原で、病死したんだ」

「そう…」

「やはり、俺が来たことで歴史は変わっている。それがいいことなのか、悪いことなのか、分からない」

「…私は」

「…織?」

「…私は、あなたが来てくれてよかった」

「…織」


織が廠に寄り添ってきた。

廠は織の温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。

外では風が吹き、漢中の夜が静かに流れていく。


その静けさの中で、廠はようやく深い眠りへと落ちていった。


----


廠が眠りに落ちてから、どれほどの時が経っただろう。

ふと、肩を揺らすような気配に目を開けると、織が静かにこちらを見つめていた。


「起こしたかしら」

「いや。どうしたんだ」


織は少し迷うように視線を伏せ、廠の胸元で指を組んだ。


「話しておきたいことがあるの。あなたが漢中に戻ってから、伝えようと思っていた」


廠は上体を起こし、織の言葉を待った。

その表情には、戦場とは違う種類の緊張が宿っている。


「私には、末の弟がいるの」

「弟?」

織は小さくうなずいた。

「父が亡くなる前に、側室に生まれた子よ。名は張凱ちょうがい

「張凱?」

「あなたが知っているには、張苞でしょう?そのさらに下の弟にあたる子」


廠は眉を寄せた。

張飛の血を引く者が、まだどこかに生きているという事実は、初耳だった。


「その弟が……どうした?」


織は一度深く息を吸い、言葉を続けた。


「朧が調べてくれたの。荊州と益州の境で、義賊まがいのことをしているらしいの。しかも相棒がいる。関羽様の息子、関優かんうだと」


廠は思わず息を呑んだ。

張飛の息子と、関羽の息子。

かつての義兄弟の血が、こんな形で再び交わっているとは。


「二人は、行き場を失った民を守りながら、役人や豪族の不正を暴いているらしいわ」

「…そうなのか」


織の声には、誇らしさと不安が入り混じっていた。


「でも、結局は賊まがいのことをしているだけ。魏や呉に利用される可能性だってある」


廠は静かに息を吐いた。

歴史が変わり始めたことで、思わぬところに影が伸びている。


「張凱には、小さい頃にしか会っていないの。私が宮殿に来た時には、父上と一緒に、荊州にいたから」

「…織のことは知っているのかな?」

「…多分、宮殿にいることくらいは聞いているのかもしれない」

「何故、その張凱は、織を頼ってこないんだろう?」

「それは、分からない…」

「義賊か…」

「それなりの勢力になっている。放置はできない…」

「織、張飛と関羽の子なら、俺が会わないわけにはいかない」

漢中の夜風が、障子の隙間からそっと吹き込んだ。

その冷たさの中に、廠は新たな旅の気配を感じていた。


----


廠がそう呟いたとき、織はふと遠くを見るように目を伏せた。

「張凱と関優が、どうしてそんな道に入ったのか。朧が調べた話を聞く?」

「頼む」


織は小さくうなずき、静かに語り始めた。

「二人が義賊を始めたのは……三年前。

荊州の外れにある小さな集落が、役人と豪族に搾り取られていたのがきっかけだったらしいの」


廠は黙って耳を傾けた。


「張凱は、父上――張飛の名を継ぐには、あまりに幼くして荊州に残された。

守ってくれる者も少なく、張苞兄上が戦に出てからは、ほとんど一人同然だった」


織の声には、姉としての痛みが滲んでいた。


「そんな時に出会ったのが、関優。

関羽様、関平様が戦死して……関家もまた、散り散りになっていた。

関優は、父の名を背負うには若すぎた。

でも、父の剛直さと正義感だけは、誰よりも強く受け継いでいた」


廠は目を細めた。

張飛と関羽――かつて劉備を支えた二人の血が、こんな形で再び交わるとは。


「二人は、同じ集落で育ったの。

ある日、豪族の兵が村の娘を連れ去ろうとした。

張凱は止めようとして殴り倒され、関優は刀を抜いて立ちはだかった」


「……若いなりに、血が騒いだんだろうな」


「ええ。でも、その時に気づいたの。

“自分たちが名乗る名は、ただの名じゃない”って」


織は廠の手を握った。


「張飛の子、関羽の子――その名を聞いただけで、兵たちは怯んだ。

二人はそのまま娘を救い、村人たちに感謝された。

それが……始まりだった」


廠は静かに息を吐いた。


「そこから、義賊として名が広まったのか」

「ええ。

でも、二人は決して自分たちを“義賊”だなんて思っていない。

ただ、守るべきものを守っているだけ。

父上たちがそうしたように」


織の声は、どこか誇らしげでもあった。


「けれど……彼らは若い。

力もあるけれど、世の理には疎い。

このままでは、いずれ誰かに利用される。

だから……あなたに会ってほしいの」


廠は深くうなずいた。

「分かった。張飛と関羽の子なら、俺が導くべきだろう」

漢中の夜は、さらに深く静まり返っていた。


----


夜の帳が降りる頃、山の麓にある小さな谷間に、かすかな灯が揺れていた。

それは村でも砦でもない。

粗末な布張りの天幕と、焚き火を囲む十数名の若者たちが作る、即席の野営地だった。

その中心に、二つの影が立っている。


焚き火の赤い光に照らされ、張凱は腕を組んで立っていた。

張飛の血を引く者らしく、体格は若いながらも逞しく、肩幅も広い。

だが、父のような豪放さよりも、明るさを見せつつも、どこか影を帯びている。

「明日の標的は、本当にあの豪族でいいのか?」

低く落ち着いた声。

その声音には、若さよりも責任の重さが滲んでいた。

張凱は、義賊団の仲間たちから、若頭、と呼ばれている。

力があるからではない。

誰よりも冷静で、誰よりも仲間を守ろうとするからだ。

焚き火の向こうで、仲間の少年が言う。


「張凱兄、あの豪族は村の水利を奪ってる。やるなら今だ」


張凱は短くうなずいた。

「分かっている。奪うのは証文と金だけだ」

その言葉に、仲間たちは一斉に頷いた。


その隣で、焚き火に串をかざしている青年がいた。


「張凱、焦って突っ込むような真似はするなよ」


関優は、父・関羽を思わせる凛々しい眉を持つ青年だった。

張凱より少し年上で、義賊団の団長である。


「分かってるって。でもよ、困ってる奴がいたら助ける。それだけだろ?」

張凱は関優に投げて寄こされた串をかじりながら、焚き火越しに仲間たちを見渡した。

「俺たちがやらなきゃ、誰がやるんだよ」

その言葉に、若者たちは自然と背筋を伸ばした。

張凱の明るさと真っ直ぐさは、関優の静かな威厳とは対照的で、

二人が並ぶと、まるでかつての義兄弟、張飛と関羽の面影が重なる。


その夜、谷間を吹き抜ける風が、焚き火の火を揺らした。

まるで、これから訪れる変化を予感させるように。


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