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三国志の端っこで生きています  作者: 水原伊織


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47.【驚愕】死んだはずの猛将がなぜここに? 瀕死の孔明を救う鍵は、山奥に隠棲する『あの男』だった

戦線は膠着状態にあった。

姜維率いる蜀軍が長安の西に駐屯している状態は変わらないが、そこに向けて雍州や涼州から兵や兵糧が送られてくる。

魏延と馬岱の統治がようやく行き渡り始めた、ということなのだろう。


廠は、漢中の居室にいて、様々な報告を朧から受けていた。

居室の奥は、寝室になっていて、寝台が置かれている。


ここ、漢中が今や蜀の中心地となりつつあった。

だが、廠は宮殿の建造や城の建築などはしなかった。

かつで孔明が丞相府としていたところに少しだけ増築しただけだった。


その代わり、湯殿の数を増やした。

文官達は、帝の身辺の警護のことを心配していたが、廠は全く取り合わなかった。

近衛兵が、この漢中にいるのだ。

紅陽も、かすみも、廠の居室の隣に簡単な居を構えていた。


----


五丈原から、成都に帰還させた孔明が病に伏したと聞き、廠は紅陽率いる騎馬隊を伴って成都へ急いだ。


成都に戻ると、その足で孔明の館へ向かった。

扉が開き、黄夫人が姿を見せる。


「……お待ちしておりました、劉禅陛下」

「来るのが分かったのか」

「はい。夫は奥におります」


傍らには幼い子が立っていた。


「思遠……行きますよ」

「はい」


二人の後に続き、廠は奥の間へ向かった。

寝台に横たわる孔明が、廠の気配に気づいて目を開ける。


「……外してくれないか」


黄夫人と子は静かに部屋を出ていった。


「廠殿……よくぞ、司馬懿を討ち取ってくださいました」

「孔明……病だと聞いた」

「……ええ。ただの疲労だとは思うのですが、どうにも抜けません」



気が衰え、少しの労でも倒れる病。

漢中にいる織がそう言っていた。


「なにか、手は無いのか」

「……以前、成都の宮殿で、元莱げんらいという者に打っていただいた針が、よく効いたことを覚えております」

「元莱……」


腕の立つ針治療師がいるなど、聞いたことがない名だった。


「今はどこにいるのだ」

「成都の医者と薬草のやり取りをしているのは存じておりますが、所在までは……」


言い終える前に、孔明はふいに咳き込みはじめた。


「あ、もう無理するな、孔明」

「恐れ入ります」


孔明は寝台に横になった。


廠は孔明の寝所を出て、黄夫人にいとまを告げると、しばらく考えてから紅陽を見た。


「……探すしかないな。孔明をこのままにはできない」

「承知しました。すぐに馬を回させます」


紅陽は軽やかに踵を返し、廊下を駆けていった。

廠は深く息を吐き、成都の空気を胸に入れた。

戦場の匂いとは違う、湿り気を帯びた土と薬草の匂いが、どこか落ち着かせる。だが、心は落ち着かなかった。


程なくして、紅陽が戻ってきた。


「陛下、医者の居所に心当たりがある者を見つけました。城下の薬舗に勤める者です」

「案内させよう」


二人は馬に乗り、城下の薬舗へ向かった。成都の街は夕刻に差しかかり、行き交う人々の影が長く伸びていた。

薬舗の前に着くと、年配の薬師が驚いた顔で出迎えた。


「こ、これは陛下……何用でございましょう」

「元莱という針治療師を知っていると聞いた」


薬師は目を丸くし、すぐに頷いた。

「ええ、ええ、存じております。腕は確かで……ただ、あの者は成都には住んでおりませぬ」

「どこにいる」

「西の山中にある小さな集落で暮らしております。薬草を採りに、月に一度ほど下りてくるのですが……」


廠は紅陽と目を合わせた。

「そこへ案内できる者はいるか」

「はい。わたしの弟子が道を知っております。険しい山道ですが……」

「構わない。すぐに支度をさせてくれ」


薬師は慌てて奥へ走り、若い弟子を連れて戻ってきた。弟子はまだ二十にも満たぬ青年で、緊張した面持ちで頭を下げた。

「道案内を務めさせていただきます」

「頼む」


成都の西門を出ると、空気は一気に冷えた。山風が吹き下ろし、木々のざわめきが耳に届く。紅陽が馬を寄せて言った。

「陛下、山道は狭く、馬では途中までしか行けません。覚悟を」

「孔明のためだ。構わない」


青年の案内で、三人は山道へと入った。夕陽が山の端に沈みかけ、木々の影が濃くなる。道は細く、ところどころ崩れかけていたが、青年は慣れた足取りで進んでいく。


「この先に、元莱殿のいる集落があります。山の民が暮らす、静かなところです」

「どれほどかかる」

「あと一刻ほどで着きます」


廠は頷き、山の奥へと視線を向けた。

孔明の呼吸の弱さが脳裏に蘇る。

間に合わねばならない。

その思いだけが、足を前へと進ませた。

やがて、木々の隙間から、かすかな灯りが見え始めた。

山の中にひっそりと息づく、小さな集落の灯りだった。


山道の途中で、案内してくれた青年が足を止めた。

「集落はすぐそこです」

「分かった、ここからは紅陽と二人で行くから」


深く頭を下げると、青年は来た道を引き返していった。

山の静けさが戻り、風の音だけが耳に残る。

紅陽が周囲を見渡しながら言った。

「陛下、気をつけて進みましょう。人の気配はあります」


廠は頷き、灯りの方へ歩を進めた。


集落は十数戸ほどの小さなもので、山の斜面に寄り添うように建っていた。

家々の前には干した薬草が吊るされ、焚き火の煙が細く立ち上っている。人影がこちらに気づき、数人が警戒するように集まってきた。


その中から、一人の男が歩み出た。

簡素な衣をまとい、髭を蓄え、しかし背筋はまっすぐ伸びている。

その歩き方に、ただ者ではない気配があった。

「……旅のお方、ここは山の民の集落。何用で?」


男は穏やかに言ったが、目は鋭く廠と紅陽を観察していた。

廠が名乗ろうとした瞬間、男がふと目を細めた。

その瞳に、かすかな驚きが走る。

「……あなたは、もしや……」


廠は一歩前に出た。

「蜀帝・劉禅である。元莱という治療師を探している」


男は一瞬だけ沈黙し、すぐに表情を整えた。

「これは失礼。わたしは馬休ばきゅうと申します。この集落の者です」


紅陽が眉をひそめた。

馬休―そんな名は聞いたことがない。

だが、廠はその名乗りの裏に潜むものを感じ取っていた。


…この人、もしかして、馬超じゃないのか?


もちろん見たことも無いが、醸し出してくる雰囲気が相当な武人であったことがうかがえる。


男――馬休は、廠の顔をじっと見つめた。

その視線は、明らかに「劉禅ではない」と告げていた。


「…劉禅陛下。なにゆえ、こんな山中に」

「元莱というものを探している」

「ええ。おります。案内いたしましょう」


馬休は背を向け、歩き出した。


その背中には、かつて西涼の名将と恐れられた男の影が、確かに宿っていた。

紅陽が小声で囁く。


「陛下、あの者、ただ者ではありません」

「分かっている。だが、今は孔明が先だ」


廠は馬休の背中を追った。

その名が偽りであることを知りながら――

そして、その正体が「馬超」であることを、確信しながら。

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