35.【驚愕】天才軍師・諸葛亮、未来人の正体を一瞬で受け入れる
廠は、緊張していた。
(やべえ、生の孔明だ…誰だ、扇子なんか持たせて描いたやつは…)
目の前にいる諸葛亮は、すらりとした細身の長身の男で、剣を佩いていた。
諸葛亮は、世に伝わる白衣の文士ではなかった。
墨色の外套は膝上で切られ、灰青の戦袍には汗と土の跡が沈んでいる。
肩には薄い革当て。袖口は細く絞られ、剣は飾りではなく実用の重みを帯びていた。
(それに…超イケメンじゃねーか…)
紅陽に連れられて、入った幕舎で改めて向き合って、そう思った。
「貴方は、誰なのです?」
「え?」
突然、諸葛亮が廠の顔を見て、聞いてきた。
「顔は陛下と瓜二つ。身体つきは、まあ、陛下がもし鍛えたなら、それくらいにはなるでしょう」
紅陽は黙って、聞いていた。
「貴方は、劉禅陛下なのですか?」
(どうしよう…なんて答えれば…)
幕舎の中は、外の風よりも静かだった。
諸葛亮の視線だけが鋭く、こちらを射抜いてくる。
「……私は」
喉がひりつき、言葉が出ない。
否定すればいいだけのはずなのに、孔明の前では、それすら簡単ではなかった。
紅陽が、わずかに身じろぎした。
助け舟を出すべきか迷っているのが、横目でも分かる。
諸葛亮は一歩、こちらへ踏み込んだ。
戦袍の布がかすかに鳴り、剣の鞘が革帯に触れて低く音を立てる。
「答えられない理由があるのですね」
声は静かだったが、逃げ場を与えない。廠は息を呑んだ。
「陛下では、ありません」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。
孔明は目を細めた。
疑いを深めたのか、あるいは別の可能性を探っているのか、読み取れない。
「では、何者なのです。陛下と同じ顔を持ち、陛下ではない、とは?」
紅陽がそこで口を開いた。
「孔明様。廠は、必要あって、ここにおります。
今は、それ以上をお伝えできません」
諸葛亮の視線が紅陽へ移り、再び廠へ戻る。
その目は、すでにただの疑問ではなく、計算を始めていた。
(やばい……この人、本気で見抜こうとしてる)
廠の背中に、冷たい汗が伝った。
(言うしかないな)
「紅陽、もういいよ、全部話す」
「…陛下」
「嘘つく必要もないだろう。それに天下に名だたる諸葛亮孔明は騙せない」
そのやりとりを諸葛亮は黙って見ていた。
「実は…」
廠は話を切り出した。
廠は、あの時、織達に話をしたことを語り始めた。
未来、日本、三国志、そして、入れ替わり。
諸葛亮は、廠がしゃべっている間、ずっと沈黙していた。
(……絶対、理解されてないよな。いや、理解される方がおかしいけど)
「——よろしい」
諸葛亮が、ようやく口を開いた。
その声は驚くほど静かで、しかし幕舎の空気を一瞬で支配した。
廠は思わず背筋を伸ばした。
「石川裕介殿。 貴方の話は、常識では到底測れぬものです」
孔明はゆっくりと裕介に歩み寄る。
「しかし、今の蜀が目指している国のありようは、貴方の国のありようと同じです」
天皇制のことを言っているのだろう。
政や軍事は、皇帝とは別のものが行い、皇帝は秩序の中心としてある。
裕介は目を瞬いた。
「……信じるのか?」
孔明は首を横に振った。
「否定する材料も、意味も無いということです」
その言い方があまりに孔明らしくて、廠は怖くなった。
「紅陽殿、この事を知っているのは?」
「私と、張皇后と、その侍女の三名のみです」
「そうですか」
(どきどきしてきた…)
「…では、私も他言は決していたしません」
諸葛亮は、廠を見てそう言った。
「私は、先帝より受け継いだ遺志があります」
「…織に聞いて知っている」
「それならば、話が早い」
諸葛亮は、立ち上がった。
「そのためなら、たとえ何が起きようとも、どれほどの犠牲を払おうとも、私は前に進むしかありません」
「……」
「その覚悟で、私は生きています」
「諸葛、亮……さん」
「孔明とお呼びください、陛下」
「孔明……」
「貴方の話が真実であろうと、そうでなかろうと、今の蜀には貴方が必要なのでしょう」
「孔明様……」
紅陽も立ち上がった。
廠も、なぜかつられるように立ち上がった。
「ところで、“廠”という呼び名は?」
「織がつけてくれたんだ。だから、織たちの前だったり、こういう時は廠って名乗ってる」
「なるほど……廠」
「だから、孔明も廠って呼んでくれればいい」
「……廠」
何度かつぶやいた後、諸葛亮は言った。
「分かりました、廠様。ですが普段は、これまで通り陛下とお呼びします」
「まあ、それでいいよ」
「それと、今後はこのようなお忍びではなく、ご親征としてご出陣ください」
「うえ、あれ面倒くさいって聞いたけど」
「貴方は帝なのです。儀礼をやるのも、やらないのも貴方次第」
「え、変えていいの?」
「国の決め事で、帝が変えられないものなどございません」
「あ、まあ、そうだよね」
「それと、今後はこのような軽率な行動はお控えください。今日の貴方は近衛兵の一人に紛れていましたが、万が一のことがあれば、皆に多大な迷惑がかかります」
「……そ、そうだな……うん、気をつける」
「後は、気になったことはその都度確認させていただきます」
「分かった」
廠は紅陽と共に幕舎を出た。
残された諸葛亮は腕を組む。
――まあ、劉禅陛下がどうであろうと、全体には大きな影響は無い。
命さえあれば、それでいい。
撤退の準備が進む陣中へと歩き出した。




