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三国志の端っこで生きています  作者: 水原伊織


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27/81

正体不明の新兵。皇帝が泥の中で見つけた『生きる意味』

夜。

調練を終えた新兵たちは、薄暗い宿舎に戻ってきていた。


粗末な木造の建物で、壁の隙間からは冷たい風が入り込む。

床には藁が敷かれているだけで、寝台などはない。


廠はその藁の上に腰を下ろし、痛む脇腹をそっと押さえた。

昼間の組手で受けた膝の跡が、まだ残っている。


「……痛むか?」


声がして顔を上げると、姜延が水桶を抱えて立っていた。

灯りは油皿ひとつだけで、彼の表情は半分影に沈んでいる。


名を、姜延きょうえんと言った。

その男も、蜀軍の新兵募集中の立札を見て、働き口として入隊を選んだのだと、話した。


「ああ」


廠は苦笑しながら答えた。


姜延は桶を置き、廠の前にしゃがむと、布を水に浸して差し出した。


「冷やせ。放っておくと腫れる」


廠は受け取り、脇腹に当てた。

冷たさが皮膚を刺し、思わず息が漏れる。


「ありがとう」


姜延は肩をすくめた。


「礼を言われるほどのことじゃないさ」

その言い方は淡々としていた。


廠は少し迷ってから、口を開く。


「姜延はどうして兵になろうと思ったんだ?」


姜延はしばらく黙っていた。

油皿の火が揺れ、彼の影が壁に伸びる。


「言っただろう? 金のためだ」


それだけ言うと、彼は藁の上にどさりと座り込んだ。

疲労が全身から滲み出ている。


「他の仕事もあっただろう?」


廠が聞く。


「一番手っ取り早く金を稼ぐにはこれしかない。

 お前は?」


姜延が逆に尋ねてきた。


「俺は、強くなりたかっただけだ」


姜延は廠をじっと見た。


「お前こそ強くなりたいなら、他にもいろいろあっただろう?」


その言葉に、廠は思わず笑ってしまった。


「確かに」

「お前、名は?」


廠は一瞬、言葉を失った。


「……廠……」

「しょう?」


「劉廠だ」


「劉姓か……持つものは大体があれだろ。

 どっかの偉い人の末裔なんだろ?」


廠は一瞬、息を止めた。

灯りの揺れが、姜延の横顔を照らす。


悪気はまったくない。

ただの世間話だ。


「……まあ、そういう家も多いらしいな」


曖昧に返すと、姜延は、へえ、とだけ言って肩をすくめた。


「俺の村にもいたよ。 劉って名の家。先祖がどっかの将軍だとか言ってたけど、結局は普通の農家だったな」


廠は苦笑した。


「お前はどうなんだ?」

姜延が、まっすぐに廠を見る。


その視線は鋭いが、探るような悪意はない。

ただ、同じ宿舎で寝る仲間としての興味だけだ。


廠は少しだけ目を伏せた。


「……俺も、普通の家だよ」


姜延はそれ以上追及しなかった。

ただ「そうか」と言って、藁に背を預けた。


「まあ、どこの家の出でも関係ない。ここじゃ、生きるか死ぬかだ」


そう言って、姜延は、藁の上に横になった。


廠のいる宿舎には姜延と自分しかいなかった。

四人で使う予定だったが、調練で二人は死んだらしい。


姜延の寝息は浅く、疲労がそのまま音になっているようだった。


姜延が寝静まったのを確認すると、

廠は宿舎をそっと出た。


---


痛む脇腹を押さえながら、闇の中を少しだけ歩く。

背丈ほどある草の向こうから声がした。


「陛下、いかがですか?」

「紅陽」


姿は見えない。

声だけだ。


「……俺は、侮っていたよ、この調練を」

「……おわかりになられましたか」


「十分すぎるほどにな」

「ならば、結構です。

 このまま、宮殿へ戻りましょう」


「いや、紅陽、続けさせてくれ」

「……本気ですか?」


「ああ、逃げたくはない」


「……まいりましたな……

 張皇后とかすみに、なんと言えばいいですか?」


「あと一日だけ踏ん張る、と伝えてくれ」

「……かしこまりました」


紅陽の気配が消えた。


廠は、闇の中、来た道を引き返した。


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