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三国志の端っこで生きています  作者: 水原伊織


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疑惑の抱擁

織は湯殿の縁に立ち、しばらく湯面を見つめていた。

湯気が薄衣の裾を揺らし、布の色をわずかに深くする。

かすみがそっと近づき、織の肩にかかった薄衣を受け取る。

布が離れる瞬間、湯気が織の肌に触れる。


織は片足を湯の縁に寄せ、足先で湯をそっと探る。

熱が肌に触れた瞬間、わずかに眉が緩む。


そのまま、足をゆっくりと湯へ沈める。

湯面が静かに揺れ、皇后の影が波の中で揺らいだ。


「失礼いたします」

織はもう片方の足も湯へ入れ、身体を滑らせるように湯へ沈んでいく。


「織」

「陛下が湯にお入りとは、いつもと違われますね」


「そうなのか?」

「はい」


「織は、湯は嫌いか?」

「いえ、どちらといえば、好きです」

「良かった。俺、温泉、好きなんだよなあ」



本当に別人。

織は、そうとしか考えられなかった。

交わり、言葉の使い方、嗜好、そして思想。

やはり、あの鷹狩りから昏倒して帰ってきた日から何もかも変わった。

しかし、仮にそうだとしたら、本物の劉禅は一体どこに。

目の前にいる劉禅は、いったい誰なのか。



「織?」

「…いえ、少し考え事を」


「近くにきてくれ」

「はい」


劉禅の隣で、共に並んで湯につかる。

劉禅が手を伸ばしてくる。


「織…」


「…のぼせてしまいませんか?」

「その時は、誰か助けてくれるさ」

抱き締められる。



こんな風に扱われたことは無かった。

本当に愛されているように思えてくる。

しかし、そんなことがありうるのか。

人間が変わることなど。



唇を重ねてくる。

何故だか、顔つきも変わっているように思えてしまう。

誰の、何の陰謀なのかが分からない、分からないが。

こうやって素直に求めてこられると、劉禅に対する情が湧いてくる。


「織…終わったんだろ?」

「終わった、とは?」


「あの、あれだ、月の」

「…はい、もちろん」


「じゃあ、行こうか」

そう言って、織の手を引っ張るようにして、湯から出る。


かすみが、気配を察して、浴室に入ってくる。

二人の身体を拭くためだ。

裕介は、かすみから布を渡すように言うと、自分で身体を拭き始めた。

「陛下」

「かすみは、織を」

「はい」

身体を拭き終わり、浴室の外に出る。

脱衣所になっているところに着る服が一式用意されていた。


(でも、本当に着づらいんだよなあ、この服)


着るのに手間取っていると、かすみと織が手伝ってくれる。

これでも、簡略化された服らしい。

着替えが終わると、織の手を引いて、寝室へ向かう。




寝台のそばまで来ると、織の手がそっと離れた。

皇帝の衣の裾がわずかに触れ、布同士が静かに擦れる音だけが部屋に落ちた。

「織…」

劉禅は、寝台に並んで座った織の肩を抱き寄せてくる。


「陛下…」

「織」


「はい」

「聞いてもいいか」


「なんなりと」

「男は、俺が初めてか」


「……え」

「言いたくないか」


「いえ」

「聞きたい」


「覚えておられませんか」

「何を」


「私は……あの夜、陛下のもとで、初めてを迎えました」

「そうか」


劉禅は、黙り込んだ。

織は、その横顔を覗く。

切なさがにじみ出ていた。


「陛下…どうなされましたか?」

「いや、なんでもない」


寝台に横になると、劉禅が肌を重ねてくる。


織は、やはり、疑惑をぬぐえずにいた。


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