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三国志の端っこで生きています  作者: 水原伊織


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仮面の下の素顔

皇后の居室で、かすみが織に着せるために衣服を選んでいた。


「皇后様。こちらはいかがでしょうか?」


かすみが織の背後に回り、帯を結ぶ。

かすみが帯を結び終えると、部屋の空気がわずかに変わった。


織は鏡の前に立つ。


「張皇后。よく、お似合いです」


かすみの声は控えめで、しかし確信があった。

織は、ようやく視線を上げ、鏡の中の自分と目を合わせる。

淡い藤色は、光を吸い込みながら、ところどころ銀の糸を返している。

華やかさよりも、静けさのほうが先に立つ色だ。


「そうね」


言葉は小さく、けれど否定ではなかった。

鏡の中の織は、肩の線がいつもより柔らかく見えた。

深衣の斜めの重なりが、彼女の輪郭をひとつの流れにまとめている。


かすみが背後で、余った帯の端を整える。

その指先が触れるたび、布がわずかに鳴った。

皇后の居室は静かで、衣擦れの音だけが、二人の間を満たしていく。


織は鏡越しに、かすみの姿をちらりと見た。

その一瞬の視線の揺れが、深衣の淡い色よりもずっと繊細だった。


「……行きましょうか」

そう言ったとき、織の声には皇后としての重さと、

ひとりの女性としてのかすかな緊張が、

静かに重なっていた。





「クズ…ですか?」

「ああ」


紅陽は、言葉を返せずにいた。

返す言葉を探すように口を開きかけて、閉じた。

言葉を慎重に選ぶ。


「陛下は、以前より、その、お心が荒れておられました」

「荒れてた、か」


裕介は天井を見上げた。


(荒れてたってレベルじゃねえだろ。自分の妻に鎧着せて仮面つけさせるって、どんな精神状態だよ……)


紅陽は続けた。


「張皇后は、強い方です。武にも通じ、気丈でございます」

「そうなのか」

「とはいえ、陛下が直接お言葉を賜った以上」


言葉を濁す紅陽の横顔は無表情だった。


「従わざるを得ません」


この世界では、きっと皇帝の言葉は重い。

勅命、というやつだ。

従わなければ、死罪。


「俺、どうすればいいんだろうな」


紅陽は少し驚いたように目を瞬かせた。


「どう、とは」

「あんなのひどすぎる。だが俺がやったことなんだろ?」

「…」

「でも俺は覚えてない。でも、覚えてないからって、なかったことにはできないし……」


言いながら、自分でも何を言っているのか分からなくなる。


「陛下。今の陛下は、以前の陛下とは違います」

「違う、か」

「先ほどの謝罪。以前の陛下が口にされることは、決してありませんでした」


紅陽は続ける。


「張皇后は陛下の言葉に傷つきながらも、陛下をお守りしようとされていました」


裕介は、さっきの仮面越しの視線を思い出した。

冷たくも見えたが、どこか、諦めのような影があった。


俺、いや、劉禅の影響か。

胸が締めつけられる。


扉の外に気配がした。


「陛下、入ってもよろしいでしょうか」

声がする。かすみの声だ。

裕介がうなずくと、紅陽が声をかけた。


扉が開く。

扉の向こうで、衣擦れがひとつ、かすかに鳴った。

紅陽が姿勢を正す。

かすみが扉を押し開けた。


淡い藤色の布が、廊下の灯りを受けて揺れた。

その後ろから、ゆっくりと織が姿を現す。


鎧の重さはない。

仮面もない。

ただ、静かに落ちる布の線と、彼女自身の輪郭だけがそこにあった。


織は一歩、部屋に入る。

深衣の裾が床をかすめ、銀糸がわずかに光を返す。

髪はゆるくまとめられ、頬の線がそのまま見える。


裕介は息を呑んだ。


(美しい…なんて、美しい…こんな美しいのに劉禅、あいつバカだな)


織は立ち止まり、深く頭を下げた。


「陛下。お召しにより、参りました」


声は先ほどよりも柔らかい。

けれど、その奥にある緊張は隠しきれない。


劉禅である裕介は思わずつぶやく。


「美しい」

「陛下」


織はわずかに目を伏せた。


「…この美しさに気が付かなかったとは」


かすみと紅陽が、目を見合わせる。


「二度と忘れぬように、頭に刻みたい。名前を紙に書いてくれないか?」


「はい。…かすみ」

「直ちに」


かすみは扉を開けて出ていく。


沈黙が流れる。


かすみが、筆と紙を持ってきた。


「では、陛下。失礼します」


織が紙に書き始める。

張彩。字は織。


「すまない、この字はなんと読むのだ?」

「しき、と申します」

「しき、か」


織と目を合わせる。


(やべえ…超絶美人…しかも、身体つきもなんかこう…)


織は、父親と母親に似て、武芸の腕も確かだった。

しかし、織の場合には、それでいて、腰に曲線もあり、胸も豊かだ。

実に女らしい身体つきをしていた。


かすみが後ろで静かに控えている。

紅陽は息を殺して見守っていた。


裕介は、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。


劉禅と、俺は違う。

俺は、俺だ。劉禅ではない。


織と見つめ合った。


藤色の衣が、彼女の呼吸に合わせてわずかに揺れる。


裕介は、織の姿に見とれていた。


「織」

「はい」

「俺は頭を打った」

「存じ上げております」

「記憶もあいまいだ」

「はい」

「しかし、誰を信じるべきかはわかるつもりだ」


織は、まっすぐに劉禅である裕介の顔を見た。


「俺に、今の状況を説明してくれ」

「かしこまりました」

「そして、織」

「はい」

「俺と一緒にいてくれ。今までの事、許せとは言わぬ」

「陛下」

「だが、今日、一目見て好きになった」


織が、うつむいたと思ったら、抱きついてきた。


(決まった…これ、決まった…ていうか、このまま、いけるんじゃね?!

…エッチな事できるんじゃね?!…やべええええ)


「陛下、織は大変うれしゅうございます」


織の涙を見た瞬間、裕介の中に、なにかが灯り、そして何かが変わった気がした。

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