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催眠術師アカサは懐かれる

作者: 珠子
掲載日:2026/03/23

アカサは激怒した


どこかの小説のようなワンシーン。アカサは笑顔のまま怒っていた-ー-婚約者であるカッサノに…。


元はといえば、私が悪い。だって本から学んだだけの催眠術が想像以上にうまくかかり、調子に乗って婚約者の本音を聞いてしまったからー-ー。


アカサは昔から本の虫だった。貧乏貴族まっしぐら、田舎の領地を細々と経営する男爵の父と畑で様々な作物を作り令嬢だった面影はどこへやら…日に焼けて健康そのものの母の間に末っ子として生まれた。誰に似たのか脳筋の長兄、しっかりものの美人な姉、これまたトンビが鷹を産んだ切れ者の次兄、そこに何の特徴も見当たらない平凡な私。目だけは母ゆずりのエメラルドグリーンだが、髪の毛は茶色だし、めがねを(魔術具なので伊達だが)かけているのでいわゆる地味っ子である。


こんな一家だが家族仲だけは良いのが取り柄といえよう。我が領地ローゼンタールはオースマン帝国の国王オスマーニ3世が統治する、広大な領土の東端にある土地だけは無駄に広い緑豊かな、ど田舎である。


貧乏貴族とはいえ食べ物には困らず、贅沢をしなければ本を買う余裕もあり、社交に出ることもなく(美麗な姉や次兄がもっぱら担当)時間も余りあるため私アカサは小さな我が家の図書室に入り浸っていた。


「さあ~覚悟なさい!」

今日はめずらしく図書室の外にいた。そして普通の令嬢ならば悲鳴のひとつもあげるネズミと対峙している。アカサは朝から農作業着に着替え、どこからか1匹のネズミを捕まえてきたのである。さらに何やらブツブツと呪文らしきものを唱えると…突然ネズミがスヤスヤと眠ってしまった。


「ん~~やったわ!」

近くにいる侍女のマリアが呆れた目を向けてくるが…私はそれどころではないのである。


「成功よ!本の通りにやったら本当に眠ってしまったわ!」

「はいはい、それはようございました。」

侍女の反応は通常運転である。私はその反応を華麗にスルーして次のページの呪文を唱えると…ネズミは何事もなかったかのように動きだし、逃げてしまった。


淑女らしからぬにやけ顔をさらしながら、これまたマナー講師のお説教間違いなしのガッツポーズを決めてアカサは自室に戻ってきた。


「まずは催眠術師への第1歩ね…」


アカサが『術』と書かれた古びた本を見つけたのはほんの偶然だった。自宅の図書室の本はあらかた読みつくし、新たなる本を仕入れるため領内の本屋に来たときのことである。


「おじさん、おすすめの本ない?」


「何じゃ、またファーミー家の嬢ちゃんかい。先週没落した貴族家の図書室整理を任されたからほれ、その隅っこの山はまだ誰も手をつけておらぬよ。」


「やった!ナイスタイミングね!」

没落本なんて何のその。アカサは縁起を担がないタイプの人間である。本に罪はないので早速、その山を漁り始めた。


アカサの知識欲は無限である。恋愛小説から法律書まで1度読んだ本の内容はすべて頭に入っている…引きこもりでなければ気付かれたであろう稀有な才能も、ど田舎の領地では誰も、本人さえも気付かないのである。


「うわっ、これ何の本?」

アカサはホコリまみれの百科事典のような、『術』の文字が浮かぶ本を見つけた。


「昔は名の知れた貴族じゃったらしいぞ。何で有名だったかは…ま、ワシには関係ないがね。」


「それなら、大昔の魔術でも書いてあるかもね~?これにするわ。いくら?」

アカサはさっさとお金を支払うと重い書物を抱えて令嬢としてのぎりぎりの早足で帰ってきた。


そして、先ほどのシーンに戻る。

この国にはわずかだが魔術使いが存在する。もちろん帝国が抱え込み、その存在は厳重に秘匿されているので中央に近い貴族はともかくとして、アカサは魔術なんぞ見たことがない。そのかわり、一般市民でも便利な生活が送れるように魔術道具が発達している。


アカサが手に入れたその本を開くと1ページ目にこう書かれていた。


『これは魔術にあらず、医術である。』


「医術?ふむふむ…なるほど、この術は心を病んだ人や記憶喪失の人にかけて、半分眠った状態で心や記憶の奥底にある真実を語ってもらう術ね…」


その日は夕食も忘れ、夜遅くまでアカサの部屋の明かりが消えることはなかった。

そして翌日、動物実験を経てアカサの催眠術師人生が…はからずもスタートしたのであった。


次にアカサのとった行動は…もちろん、人間相手の実験、いや、れっきとした訓練である。


しかし、引きこもりのアカサに付き合ってくれる貴重な人は侍女のマリアと…一応?婚約者の?カッサノくらいだろうか。


こんな残念令嬢のアカサの婚約者とは…。


子どもたちの中でも特に地味なアカサだが、腐っても末っ子、父母やら兄姉やらにやたらと可愛がられている。アカサの将来を心配した父マルトンがアカサわずか4歳の時に、領地の南に接するナンタール領フルール子爵の長男カッサノ7歳と婚約を整えてしまったのである。


一応隣の領地どうし、年に数回は交流して当たり障りのない良好な関係を築いてきた。会って話すことは領地の特産品を何にするかや、商売の話がほとんどだがアカサは真剣に領地の将来を考えて、この交流に臨んでいた。


「ねえ、カッサノ様。ナンタール領は少し気温の高い季節がありますから南国にしか育たないパパオという果物を育ててみたらいかがかしら?帝都では珍しがって高値で売れるかもしれないわ?」


「アカサは勉強家だね。僕には初めて聞く果物だからやってみるといいよ。それよりも今度帝都で開催の第1皇子立太子祝賀パーティーは、僕のパートナーとしてアカサも出席するからね。衣装は君の瞳のグリーンに合わせて仕立てたから準備をよろしくね。」


「まあ!忘れていたわ…帝都なら最新の本が手に入るわね…。いえ、衣装の手配をありがとうございます、カッサノ様。(本を買う)準備はお任せくださいね!」


「ああ、1週間後に馬車で迎えに行くからよろしくね。」


帝都から遠い田舎領地の貴族は、滅多なことでは領地を出ない。普段の登城も免除されるほどだが、今回は立太子の祝賀行事なので当然ながら例外である。各領地から1組は参加が義務付けられ、日本であれば参勤交代のような一族大移動となる。


アカサはひらめいた。


「そうだわ、どうせ帝都まで馬車で3日もかかるのですからカッサノ様に実験台になってもらいましょう!」


それからのアカサは早かった。さっさと令嬢らしさを保てるギリギリの準備を終えると、『術』の本を熟読し自在に操れるようになるまで練習を繰り返したのである。


そして出発当日、何とか維持している馬車にファーミー男爵家夫妻が乗り込んだ。


「みんな、私たち留守の間は作物のお世話よろしくね~」

「アカサは後から気をつけて来るんだよ、先に行って待ってるから。」


「「お任せください!(もちろんです!)」」


いつもとは別人のように美しく着飾った両親は、安い馬車と老馬で時間がかかるため早朝に出発した。肉体労働は長男マルコ、家政一切は長女マリサ、領政は次男アドルフに任せればファーミー家は安泰である。


「お兄様、お姉様、お土産買ってまいりますね!」


日の出から6時間後、迎えに来たフルール子爵家の良い馬車でアカサは出発した。


「カッサノ殿、アカサをよろしく頼む。」

長兄が父に代わり挨拶をする。


「もちろんです。私は成人していますし、帝都も初めてではありませんからご安心を。」

カッサノは19歳、昨年成人の儀を終えている。


ちなみにアカサは16歳になったばかり。領主となる男子は16歳で帝都の学院に入るが、女子は自由なので婚約者探しに通うくらいの感覚といえよう。カッサノはもちろん、跡取りなので在学中である。


「では、行って参ります!」


フルール家の馬車はさすが裕福な子爵家だけあって快適そのもの。初めての旅はスムーズに始まった。


「早速ですがカッサノ様、私先日手に入れた本でよく眠れる方法を学びましたの。よろしければ試してみません?」


「あぁ、最近忙しくてよく眠れてないんだ。お願いしようかな。」


「それでは私の指先を見ていてくださいね…ゆっくり…そうです…1、2、3…」


カッサノのまぶたがゆっくり下りてきた。

アカサは質問を開始する。


「カッサノ様、我がローゼンタール領のことをどう思っていますか?」


とりあえず、無難な質問をぶつけてみた。


「…ローゼンタール?何とも思ってないよ。ただナンタール領の北側にあるだけの冴えない土地だね。」


「???」


アカサは耳を疑った。今まで良好な関係を築いてきたつもりであるし、少なくともマイナスな感情は出て来ないと思っていた。


「…それでは、ファーミー家のことはどう思っていますか?」


「いくら領地が隣だからって爵位も下だし、田舎臭くて付き合いたくないね…親父が勝手に結んだ婚約なんか破棄するつもりだよ。」


「……それでは、いつ、どのような理由で破棄するつもりですか?」


「立太子パーティーの後半かな?領地の発展に役にも立たない婚約者は不要だからね。妻にするなら帝都にいるような洗練された美人がいいよ。」


「...なるほど。ちなみにすでにお相手がいらっしゃる?」


「もちろんさ、カメリアだよ。ゴールデン子爵家の。やっと帝都に戻って会える…。」


「………そうですか…、マリア?記録はOK?」


「はい、図らずも記録はバッチリでございます!」


そして冒頭に戻る。


アカサは激怒した--高温の白い炎の揺らめきのように、静かに、胸の内で轟々と…。


馬車が初日の宿に到着する寸前、アカサはカッサノの催眠を解いた。


「3、2、1…パチン!カッサノ様?ご気分はいかがですか?もうすぐ宿ですよ。」


「あぁ、久しぶりによく眠れたよ。ありがとう。今晩は君もゆっくり休むといいよ。」


程なく馬車は止まり、今晩の宿である梟の館に着いた。宿は初めてのアカサだが、清潔感があり、受付の横にいる屈強な用心棒も頼もしい。おかみさんも明るくて親切だ。これならカッサノ(すでに呼び捨て)を頼らなくても何とかなりそうで安堵した。


夕飯は各自部屋でとることにしたので、アカサはカッサノが部屋に入るのを見届けると自分もマリアと部屋に向かった。


部屋に入るとマリアが枕をパスしてきたので、顔に思い切り押し当てると


「○○✕▲△……!!!」(自主規制)


と、思い切り叫んだ。(罵った)

肩で息をするアカサにすかさずマリアがぬるめの紅茶を差し出す。


「ごくごくごくごく…は~~~~~っ…。ありがとう、さすがねマリア。」


「それにしても、想像遥か上を行くクズ男でしたね、あの男。」


「全くだわ…以前から領政に関心が薄いな〜とは思っていたけど、我が家族や領地を見下した挙げ句不貞まで働いて。いったい学院で何を学んでいるつもりかしら!」


「あ、お嬢様の怒るツボはそこなんですね…?てっきり『妻は美人に限る』のところかと。」


「そこは…自覚があるから怒る気にもなれないけど、それよりも結婚する気がないならさっさと解消してくれれば学院に行って勉強できたのに!あぁ、学院の図書館に入り浸って、至福の時を過ごしたい…」


「はい、本音いただきました。お嬢様は美人というよりは春の妖精のように可愛らしいタイプですから自覚もなにもありませんが!むしろ今回は良い方に転んで…それなら婚約破棄どんとこいですね。いや、お嬢様に瑕疵はないからこちらから破棄を突きつけてやりましょう。ラッキーなことに録画の魔術道具にバッチリ映っていますからね。」


「そうね…自白はたまたま録れたけど、公的に認められるかどうかは未知数よ。何にせよ証拠は必要、腐っても格上の子爵家だし。」


帝都に着くまであと2日。その間に証拠集めの算段をしなければ。夢の学院(図書館)生活がかかっているし、ファーミー家を敵に回したら恐いんだからね!アカサはこれまで蓄積してきた本の知識を総動員して計画を立て始めた。


日中の馬車移動はカッサノとの会話を避けるため『安眠』をエサに催眠術をかけ続け、不貞の裏取りに使えそうなゴールデン子爵家の情報や学院の人間関係、婚約破棄の計画の詳細を聞き出した。


そんなこんなで、明日はいよいよ帝都に到着するという晩。宿は帝都に屋敷を持たない地方貴族でごった返していた。当然ながら部屋は満室で猫の入る隙間もない。アカサは広々とした部屋を見渡しカッサノの財力に少しばかりの感謝を捧げ、布団に潜り込んだ。その時、階下で何やら騒ぐ声が聞こえてきた。


「泊まれないってどういうことよ!仮にも令嬢が頭を下げて頼んでいるんだから台所の端っこでも貸しなさいよ!」


いろいろ突っ込みがいのある台詞だが、アカサはマリアを呼んで指示した。


「この部屋は広いから、あの自称令嬢を連れてきて。台所すら貸してもらえないなんて可愛そうだわ。」


「え?お嬢様正気ですか?そりゃあ面白そ…いえ、お可愛そうでものね。」


そういうとマリアは宿屋とさっさと話をつけて自称令嬢を連れてきた。よく見れば整った顔立ちの美人だが、服は泥だらけ、髪はボサボサ、目の下にはくっきりと濃いクマがあり宿屋の対応もうなずける。


「信じてもらえないかもしれませんが、これでも爵位のある家の者です。部屋の端の床をお貸しいただいてありがとうございます…このご恩は...」


と話している途中「グ~〜~〜」と大きなお腹の音が鳴り響いた。アカサはマリアに目配せすると


「とりあえず、軽食しかないけど食べてから話を聞くわ。」


マリアの早業で軽食の準備が整うと、自称令嬢は黙々と美しくすべてを平らげた。


「ふーーーっ、ご馳走さまでした。私はサーリア。家の用事で馬を走らせて来たんだけど、タイミング悪くて...ほんと、女神に会えて良かったわ…。」


「私はアカサ。ずいぶんお疲れのようね。残り湯だけどお風呂もあるし、適当に休んでいって。私たちは明日朝8時出発予定よ。」


サーリアはさばさばした性格のようで、道中の苦労話や家族のことをあっけらかんと話すので、普段は社交的でないアカサもついつられてカッサノ事件について愚痴ってしまった。聞けばサーリアも同じ16歳で、貴族令嬢では珍しく魔術道具に興味があり勉強のために学院に通っているという。


「え?なにそのクズっぷり…私なら同じ馬車の空気を吸うのもお断りだわ。」


サーリアも一刀両断の猛者ぶりである。アカサはつられて笑ってしまった。


「ふふっ…そうよね、その気持ちは共感するけど、相手が格上の子爵家だから証拠を集めないといけないの。」


そう言いながらアカサは催眠術について軽く説明し、婚約解消に向けた証拠集めのための証言を引き出している最中だと伝えた。サーリアは目を丸くして、ぶはっと吹き出すと


「なにそれ!想像の上を行く手法!初めて聞くんだけど詳しく聞きたいわ…ねえ、その証拠集め協力するから婚約解消にこぎ着けたら一緒に学院で勉強しましょうよ。あなたみたいな人、初めて会ったわ!」


サーリアはさらさらとメモを書くとアカサに渡し、帝都に着いたらここに来てねとパチンとウインクした。


「さぁ、明日も早いしお風呂借りたらソファで寝るわね。帝都に着いたら我が家に絶対来てね、約束よ。」


そう言うとサーリアはお風呂に向かった。アカサもベットに潜り込み、気付けば朝だった。すでにサーリアの姿はなく、アカサはちょっとした寂しさを感じたのであった。


「さぁ、今日はいよいよ帝都よ…カッサノから情報を搾り取って証拠固めをしなくては…」


決意通り、馬車ではカッサノを眠らせると聞きたくないあれやこれやを聞き出し、記録した。お昼前、カッサノのフルール子爵家帝都屋敷に到着すると当の本人は


「じゃあアカサはご両親に挨拶に行くんだよね?僕はこれでも忙しい身だから明後日のパーティー当日の夜までは自由にしてもらって構わないよ。」


と言い置くとさっさと自室に引き上げた。アカサにとっては好都合この上ない。アカサは旅の疲れもみせず行動を開始した。


「まずはお父様お母様のところね…マリア準備はOK?」


「はい、お嬢様。あれもこれもバッチリです。」


マリアは黒い笑いを浮かべると大きめの鞄を持ち上げて礼をした。2人は両親の滞在先である母の実家キンバレー子爵所有の邸宅に向かった。


「お父様、お母様無事に帝都に到着致しました。到着早々ですがご報告がございます…。」


そう言うとアカサは魔術具に録画されたカッサノのあれやこれやを見せながら、説明を始めた。両親の顔が面白いように赤くなったり黒くなったり…百面相である。


「…というわけで、カッサノとの婚約を解消するために他の証拠を押さえなくてはなりません。あわよくば、ぶんどった慰謝料で学院に通いたく...こほん、まずは円満な解消に向けてすぐに動かないといけませんが、帝都に伝手はありますか?タイムリミットは皇太子即位パーティーです。」


「そうね、帝都に居を構える実家の力を借りるわ…脳内お花畑の坊っちゃんにきついお灸を据えないといけないわね…フフッ。」


「ワシも学院時代の旧友を頼るとするよ。なーに、彼らには貸しがたくさんあるからね…フフッ。」


あっ、普段は穏やかな両親を怒らせると怖いなぁー。見たことない顔してるわー、という心の内はきれいに隠し、アカサたちは小一時間計画を煮詰めた。


「それでは、次の予定がありますのでそろそろ失礼いたします。」


「おや…珍しいこともあるもんだ。帝都の図書館でも行くのか?」


アカサは道中の出来事を手短に話し、渡されたメモを見せた。父は眉をぴくりと動かし、首をかしげながら「まさかな…いやそんなことは…」と呟いていたが、


「アカサにも年頃の友人ができるのは大歓迎だ。もし、関係が続くようなら今度領地に連れておいで。」


と言うと門まで見送ってくれた。帝都はやはり広い。地図は頭に入っているアカサだが、距離感が全く分からないので馬車を拾い、御者にメモを見せるとぎょっとした顔を一瞬見せたが、すぐに出発した。20分ほど走っただろうか、まっすぐお城に向かっているような感覚になるくらいお城が大きく見える。ぼーっと見とれていると突然、巨大な門の前で馬車が止まった。


「え?ここ……?」


御者はぶんぶん頭を縦に振り、お代を受け取ると爆速で帰っていった。門内には広い道が続いていて家の影も見えない。しかも門番すらいないので、途方にくれてしまった。メモを握りしめて、ぽかんと口をあけていると


「やだ~ホントにそんな顔する人いるのねー!」


と、どこからか声が聞こえてきた。アカサは首を忙しく動かし、ようやく自分たちの方を見つめている小さな鳥に気がついた。


「え?サーリア??あなた鳥だったの!」


「…お嬢様。時間もないのでつっこみませんが、後を付いていけばよろしいかと。」


2人はゆっくり飛ぶ小鳥の後に続き、勝手に開いて閉じた門を気にしながらも見失わないよう必死で歩いた。10分も歩いたころ、まるで城のような邸宅が見えてきた。すると玄関の扉がタイミング良く開き、サーリアが出迎えてくれた。小鳥はサーリアの肩に乗ると目を閉じた。


「ようこそ、魔術具の館へ。到着したばかりで悪いけど、あのクズに関する情報を集めといたから私の部屋でお茶でも飲みながら対策を立てましょう。」


3人はまっすぐサーリアの部屋に向かい、まずはお茶を飲んで一息入れた。アカサは香りと味に目をくわっと見開くと


「こ、これは…遥か遥か東にある閉鎖的な島国でしか栽培できないと言われる幻の…サーリア、あなた何者なの…?」


このタイミングで驚くお嬢様可愛い、という生温い視線をマリアから浴びながらアカサは「しかも完璧な温度と蒸らし時間…秘伝といわれるこの技術がなぜ…」とぶつぶつ自分の世界に飛んでいってしまった。


「腐っても侯爵家だからね。それにしてもこんなレアなお茶、飲んだだけで言い当てるなんてさすがアカサ…。あーー、このお茶と技術について語りたいけど先に例のクズを片付けないと!あの後侯爵家の諜報部を総動員して集めた証拠よ。確認してちょうだい。」


アカサはどす黒いオーラを出し、うっすら笑みを浮かべながら証拠を片手にカッサノを追い詰める手順を考え始めた。そんな姿をサーリアは楽しそうに眺めている。


「ところで、例の催眠術とやらの映像見てみたいんだけど…」


そこですかさずマリアが鞄から魔術道具を取り出し、記録した映像を流し始めた。サーリアは目をキラキラさせて見入っている。


「すごい、すごいわっ!これはもはや魔術師ね…アカサ、この術は善良な人のために役立てるべきだわ。婚約の件が片付くまでその術は隠した方が安全よ。」


さすが侯爵家、発想が実に貴族的である。もちろん、しがない男爵家は格上の侯爵家の助言にはイエスマンである。


「もちろん、そんなにしょっちゅう試せるものでもないし…それよりもこんなに証拠を集めてもらって…返せるものがないのが困ったわ。」


「クズは敵よ!協力するのは当然だわ。宿の時はすっごく助かったし、いつかその術のお世話になる気がするから、気にしないで。」


これで、証拠は揃った。お父様お母様の助力も期待できるし当日はカッサノを返り討ちにして、慰謝料ぶんどって学院の図書館に通いつめるんだから...!サーリアの目を見て力強く頷くと特大のウインクが返ってきた。


「それじゃ、明後日のパーティーで。後半はそれとな〜くアカサの近くにいるから安心して戦うのよ。」


アカサは図書館に入り浸る未来を勝ち取るため、お礼を告げると立ち上がった。帰りはサーリアが作ったというカボチャ型の不思議な魔術具に押し込められ、快適に子爵家まで戻ってきた。どうやら侯爵邸は不思議な道具であふれるせいか、街の人には怖れられているらしい。さすがのアカサも驚きの連続だった。


そして立太子パーティー当日、アカサは朝から全身を磨き上げられていた。


「ううっ…痛い…」


「普段の姿勢と生活が問題です。たまにはほぐさないと、血流が悪くなって本当に目が悪くなりますよ。ほらっ。」


ちょうどイイツボにマリアの指が沈む。ぐぇ、やらゔぅ、やら令嬢らしからぬ声が聞こえるがお構いなしにアカサを整えていく。


「それにしても、すごいドレスよね…」


いくらおしゃれに疎いアカサでもわかる。なにが「君の瞳の色に合わせた」だよ。普通はエメラルドグリーンかレモンイエローだと思うが、見事な茶色のドレスである。むしろこの色を探してきた執念を認めたくなる。今日はこのドレスの色も貶める要素にするようだが、無駄に用意周到だなぁと思う。私は木の妖精では、ない。


「今日が戦いの日でなければ、めがねも取っ払って(伊達なので)本物の妖精に仕上げますのに…あのクズに少しでも心変わりをさせないようにダサメイクをしなければならないなんて…くうっ…」


マリアの心の声は今日もダダもれである。アカサはきれいに無視をして気合いを入れた。


「さぁっ、出陣よ!」


城の大広間はまるで昼間のように明るく、キラキラと眩しい。一応中まではエスコートしてくれたカッサノは「美味しい料理を楽しむといい」という一言を残して消えた。アカサは本で読んだだけの珍しい料理の数々を、目を輝かせながら次々と口に入れ充実した時間を過ごした。


パーティーも中盤を過ぎると踊り疲れた人々が休憩を取る姿が目立つようになってきた。そんな時、聞き覚えのある声がアカサを振り向かせた。


「アカサ・ファーミー、貴様のやる気のなさは我が子爵家に害をもたらす。よって婚約破棄を申し渡す!」


田舎領地で育つと無駄に声が通る。一気に周囲の注目を集めてしまった。アカサはしぶしぶ皿を置きカッサノに目を合わせた。


「婚約解消には応じます。ちなみに、『やる気のなさ』と『実害』についての証明をお願いしても?」


「そんなの、そのやる気のない外見を見れば誰でもわかる。お茶会もつまらぬ領地の話ばかりで可愛げひとつない。将来の夫のやる気を削ぐ行動こそが実害であるっ!」


クスクスと近くの令嬢グループから笑い声が聞こえてくる。あれか、ゴールデン子爵家の取り巻き連中だな。アカサはすっとポーチから、あり得ない量の分厚いレポートを取り出し同じく、よく通る声で読み上げ始めた。


「それではこちらから申し上げます。まずは3年前、学院入学式でカッサノ様が声をお掛けになった令嬢5名のうち、真剣にお付き合いを始めたのはその年の6月ゴール…」「ちょっと待った!なんだそのレポートは!なんでアカサがそんなこと知ってるんだ!?」


あー、そこすぐ認めちゃうんだ...冷静に内心突っ込みを入れていると周りの人垣がきれいに割れてキラキラしい美麗な兄妹が現れた。


「何やら婚約破棄の声が騒がしく聞こえたので、証人が必要かと思ってね…」「はい!彼女は害悪でしかないので破棄を告げたところで…」


登場した兄妹は社交界で名の知れた上位貴族のようだ。カッサノは助け船が来たとばかり、先ほどの発言を繰り返した。


「ふむ…で、根拠となる数字は?」


「数字など…この姿だけで十分です!」


「ほう、それではファーミー殿の話も聞こうか?」


アカサが何気なく妹に目をやると、バチンとウインクが帰ってきた。ん?あまりの化けように理解が追い付かないが、サーリアの気配を感じる…。目をぱちくりさせながらも証拠を差し出す。


「はい、こちらのレポートが全て反論の根拠でございます。」


分厚いそれを流し読みして口元に笑みを浮かべると、他者を威圧する声で宣言した。


我がオスタリア侯爵家が証人となる。ファーミー殿の反論を認め婚約関係見直しの話し合いを命ずる。話し合いは明日10時オスタリア侯爵家本邸にて、両者よろしいかな?


「ありがとうございます!」


キラキラの兄妹が去ると周りは何事もなかったかのように落ち着き、三々五々散っていった。証拠は侯爵様が持っていってしまったので、証拠を棄損される心配はない。(もちろん複写はいくつもあるが)後は私が出席できないよう妨害される可能性をなくすために...サーリアを頼るとするか。


アカサは足止めを食らう前にさっさとその場から退散し、父母の姿を探した。


「お父様、お母様。明日の婚約解消の話し合いの場をもぎ取りました!証拠は完璧なので圧に負けない助っ人のご紹介をお願いしたく...」


「わしらが各方面に声をかけたらみんな乗り気でな〜あんまり圧が強すぎてもいけないから学院時代の友人のカルーニ伯爵を連れていくよ。」


後はアカサ自身の守りである。思案しつつ馬車を待っていると後ろから髪の毛を鳥につつかれた。さらにくちばしで引っ張られながら進むと豪華な馬車のドアからおいでおいでと手招きされ、隙間からひゅっと吸い込まれた。


目を白黒させて見回すとやたらとまぶしい。めがねを外して目を細めていると笑い声が聞こえる。


「ふふっ…いやだ、そんなにまぶしかった?もうアカサは素直な反応で面白いわ〜。」


これでもか、というほど着飾って盛り盛りの主はもちろんサーリアである。パーティーはどうした?なんで吸い込まれた?頭の中がはてなマークでいっぱいのアカサだが、この好機を逃すわけにはいかないのである。


「サーリアお願い!今晩だけ泊めてくれないかしら…」


「もちろん、そのつもりで回収したに決まってるじゃない!あのクズ何をやらかすか予測しかできない!私のアカサには指1本ふれさせないんだから…」


あ、やっぱりサーリアだわ…。と妙に現実的になるアカサである。今、回収って言ったよねたぶん。…ま、何にせよ、今晩の身の安全が保証されてひと安心。荷物は全て子爵家に置いてきてしまったので、やたらと質の良い寝巻きやら寝具やらにおののきながらも部屋に備え付けの図書スペースに釘付けされたアカサである。


翌朝、アカサの隈が浮かぶ顔を見て呆れた表情を浮かべたサーリアだが、にやりと悪い顔をすると


「案の定、夜更かししたわね?困った子だけど、今日の話し合いは有利になるかもね…」


サーリアは侍女に隈が見える薄づきメイクを指示すると、実に計算高い顔を見せた。アカサは貸し出された豪華な衣装を着せられて、サーリアの侍女に極上ヘアセットとメイクをされるがまま小首を傾げている。隣では目をキラキラさせたマリアがメモを片手にまばたきも惜しいくらいの気迫でペンを走らせている。


「さぁ、今日で全て決着をつけるわよ!アカサは私がもらったからね…」


何やら不穏な単語が出てきた気もするが、アカサも気合いを入れてサーリアの後ろをしばらく歩くと、いかにも豪華な屋敷と思われるエリアに入った。


あるドアの前で立ち止まると「お兄さま入るわよ〜」と言いながらさっさと中へ入っていった。アカサも慌てて続くと、あまりの眩しさに目を細め顔を背けた。


「さすがアカサ、お兄さまを見て目をそらした令嬢は初めてね。お兄さま、ファーミー家のアカサ嬢をお連れしました。」


「昨日は証人をありがとうございます。我が家の出来事にお手数おかけして申し訳ございませんが、本日もどうぞ宜しくお願いいたします。」


「妹から話は聞いているよ。昨日は挨拶もせず失礼したね。私はアンドリュー・オスタリア。こう見えて次期侯爵だよ。君の冷静な理詰めの反論に感心してね…妹も珍しく構い倒しているし、今後とも宜しくね。」


いやいや…こう見えてもどう見えても侯爵家だよ…という内心の突っ込みを自覚しながらもびびりまくりのアカサである。だって思わず背筋が伸びる、圧倒的高位貴族の圧は凄まじいんだよ…。


そうこうしているうちに、父母とカルーニ伯爵が、続いてカッサノの一家が到着し、話し合いという名の慰謝料請求タイムが始まった。


「「うちの愚息が、大変申し訳ございません!!!」」


冒頭からフルール夫妻の声が揃って響いた。うん、ご両親は常識人なんだよな…。ちらりと横のカッサノを見ると、案の定納得してない顔をしているわね…。


「本来ならばこちら有責で婚約破棄となるところですが…嫡男で貴族の体面もあり、なんとか解消とはしていただけないでしょうか…かくなる上はこちらを…」


すっと差し出された紙には予想を超える額の数字が慰謝料として並んでいた。お父様はこちらを見て「どうする?」という顔をしたが、アカサがうなずくと


「私たちも貴族の端くれです。今後のことを考えて解消に応じましょう。娘の心情を思うとやりきれませんがね…」


アカサに視線が集まる。絶賛寝不足の顔は、さも今回の心労でやつれたようにしか見えない。フルール夫妻は申し訳なさそうな顔で


「もちろん、適齢期のお嬢さんの時間は取り返せません。責任持って次の婚約者を…」


「いえ!とてもそのような気持ちにはまだ…(やりたいことがたくさんあるので)しばらくは本でも読みながら静かに過ごすつもりですので…」


「そうか、アカサさんは本がお好きでしたな。気持ちばかりだが本がたくさん買えるよう金額を上乗せする形でどうだろうか?」


アカサの?いや、サーリアの思うつぼである。いつもならにやけてしまう顔も、夜更かしのせいでぼーっとしているため内心ガッツポーズだが表情筋は1ミリも動かない。


「それでは、今回の婚約解消に伴う慰謝料と、お互いの未来のために今後一切関わりを持たないという書類にサインを。あぁ、もちろん、オスタリア侯爵家が証人だからわかっているよね?」


主にカッサノを向いて微笑むアンドリュー氏。おぉ恐ろしや、アカサの方が背中に冷や汗である。くわばらくわばら、侯爵家を敵に回したら弱小男爵家など吹っ飛んでしまうから!そしてカッサノも貴族の笑みで返す!え?あの圧に動じないの?何それ意外と無神経?いや、元々だわ…ちょっと私を見るときだけにらむのやめてくれない?家族は全員気づいているわよ!


いろいろ内心忙しいアカサである。そして、サインが済むと速やかに追い出されたフルール家をとりあえず見送るとほぼ身内だけになった。


「今後の話し合いもあるでしょうから、この部屋は自由にお使いください。私は先に失礼いたします。」


「この度は大変なお手間をおかけいたしました。このご恩は代々忘れません。」


「先に世話になったのは妹の方だからね。我々としても未来あるお嬢さんにとって邪魔なものは排除しておこうと思ったまでですからね。それではごゆっくり…」


ドアがパタンと閉まると、ファーミー家とカルーニ伯爵は一斉に息を吐いた。やばい、高位貴族やばい。伯爵はある程度慣れているはずなのに額の汗をぬぐっていた。


「箱入り娘と伺っていたが、引きの強さは誰に似たのだろうね…とにかく、こじれずにすんで良かった。私は数の足しにくらいはなったかな?」


そう言ってカルーニ伯爵は穏やかそうな顔をアカサに向けた。


「はい、この度はお力添えいただき感謝いたします。お返しできるものもありませんが…」


「いやいや、マルトンの掌中の珠を見られただけでも役得だよ。それに侯爵家なんて滅多に縁がないからさ…あの侯爵家に足を踏み入れたってだけでも箔が付くさ。ところで、さっきはフルール家の手前静かに本を…なんて言っていたけど、行くところがないなら我が家に行儀見習いでも来るかい?本なら…」「アカサは私と学院に通うのよね?」


おっと?気配を消していたサーリアが食い気味に言葉をかぶせてきたが、アカサにとっても渡りに船である。


「お父様、カルーニ伯爵のお誘いもありがたいのですが、慰謝料をたんまりいただきましたのでそこから学院に通う費用を融通していただけますでしょうか?私、今回のことで領地に籠りきりでは人生損をしていることに気がつきました。」


アカサは本の知識を総動員したおねだりポーズを披露した。更にアカサを囲い込みたいサーリア(オスタリア侯爵家)が帝都での後見人となることを宣言したのと、末っ子可愛いファーミー夫妻はほどなく陥落した。


「まぁ、本にしか興味のなかったアカサが決めたのだから好きにやってみなさい。」


こうして、催眠術がアカサの人生を大きく動かし、帝都での本漬けの日々を勝ち取った。オスタリア侯爵家の執着兄妹がアカサを手放すはずもなく、本のエサで釣りながら王家の裏のあんな仕事やこんな仕事に協力させつつ囲い込んだのは…また別のお話。


アカサは本の虫となれれば幸せなのである。

ー完ー

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