第9話 投資
俺たちははその後、地方長官以外にも数件周りレースを売って工房に戻ってきた。
俺は銀貨を机の上に重ね、枚数を数える。
重ねる枚数が増えてくと、意外にちょろいもんだという気持ちが膨れ上がる。
「す、すごいですマサトさん! あの切れ端が、本当にお金になっちゃいました!」
ラーブルが信じられないという顔で積み上がっていく銀の塔を見上げる。
「今日1日だけでもかなり儲かったからな」
ようやく数え終わり、なんと今日稼いだ額は『350リーブル』だ。
あの地方長官がよほど気に入ったのか、彼の「友人」だという別の役人や小金持ちを紹介してくれたおかげだ。口コミとは恐ろしいものである。
後から知った事だが、この時代の普通の労働者の 後から知った事だが普通の労働者の日給が2〜3リーブルらしく、そう考えると俺たちは普通の人の半年分の給料を1日で稼いでしまった。日本円換算するのか恐ろしいくらいの金額だ。
これは思ってたより計画を前倒しにした方がいいな。俺は冷静に考える。
流石に半年分の給料が、こんな廃工房に近い場所に置いてあると噂が流れたら、絶対に泥棒や強盗がくる。この時代の治安をナメてはいけない。
現代日本人の思考的には、銀行に預ければいいと思うが、市民が気軽に使える銀行など、この時代にはまだ存在しないはずだ。
ならば、使い切るしかない。
散財するというわけじゃない。「未来への投資」に変えるのだ。
「ラーブル、ここの工房の親父さんは夜逃げしたらしいけど、流石に職人までは逃げてないだろ? また雇い直せるか?」
「うーん、可能だと思いますけど……みんな『癖が強い』人たちで、ちょっと……」
ラーブルが言葉を濁す。
「癖が強い? 腕はいいんだろ?」
「腕は超一流です。アランソンでも五本の指に入るくらい。でも、その……頑固というか、変わり者というか」
「腕さえあれば文句はない。それに、今の彼らは仕事がなくて飢えているはずだ」
俺は銀貨をジャラリと袋に詰め込み、立ち上がった。
「案内してくれないか?その癖の強い者たちの所に」
***
ラーブルに連れられてやってきたのは、不景気によりスラム化してきた街の一角にある薄汚れた酒場だった。
昼間だというのに薄暗く、饐えた臭いが充満している。
店の中では、仕事にあぶれた男たちが、安酒を煽って憂さを晴らしていた。
「……あそこにいるのが、レースのデザイン画を担当していた『ジャン』さんです」
ラーブルが指差した先には、カウンターの隅で突っ伏している男がいた。
ボサボサの白髪混じりの髪。擦り切れた服。
俺は男の隣に座り、カウンターをコンコンと叩いた。
「あなたがジャンですか?」
「……あぁん? 誰だ、テメェは……」
男が気だるげに顔を上げる。目は虚ろで、酒臭い息を吐いた。
「レース職人を探している。仕事の話だ」
「けっ……レースだぁ? 今時そんなモン、貴族様も見向きもしねぇよ。帰んな、若造」
ジャンは鼻で笑い、再びジョッキに口をつけようとした――が、中身は空っぽだった。
彼は舌打ちをして、空のジョッキを乱暴に置く。
「金もねぇ、仕事もねぇ。この国は終わりだ……」
「金ならありますよ」
「ドンッ」
俺は銀貨の詰まった革袋を、カウンターに叩きつけた。
重苦しい音が響き、周囲の酔っ払いたちが一斉にこちらを見る。
俺は袋の口を少しだけ緩めた。中から鈍い銀色の輝きが溢れ出す。
「なっ……!?」
ジャンの目が大きく見開かれた。
俺はニヤリと笑い、店主に話しかける
「親父、この人にワインを一杯」
呆気にとられるジャンの前に、上等な赤ワインが置かれる。
「あ、あんた……何者だ?」
「ただの市民ですよ。だが、これからアランソンで一番『新しい』レースを売ってる人でもります」
俺はワイングラスを手に取り、ジャンに突きつけた。
「どうしますか? このままここで腐っていくか、それとも俺と一緒に、もう一度その腕を振るってみるか」
「……給金は弾むんだろうな?」
「相場の倍だ。ただし、俺の指示にはちゃんと従ってもらいますよ」
ジャンは震える手でワイングラスを掴み、一気に煽った。
そして、獰猛な笑みを浮かべて口元の酒を拭う。
「……へっ、面白ぇ。悪魔に魂を売ってでも、酒が飲めるなら本望だ。乗ったぜ、若造」
交渉成立だ。
俺は後ろでハラハラしていたラーブルに目配せをした。
金と酒と、少しの希望。
これさえあれば、人は動く。




