第21話 覚悟
〜Side:レオ〜
あの日、路地裏でマサトさんに拾われてから数週間が経った。
俺とマリーの生活は、まるで魔法にでもかけられたみたいに一変した。
「レオくん、お茶が入ったよ。少し休憩にしましょう」
ラーブルさんの優しい声に、俺は手に持っていたほうきを止めた。
ここは工房の三階にある、俺たちの新しい家だ。雨漏りもしない、隙間風も吹かない。それどころか、毎日決まった時間に温かい食飯が出てくる。スラムにいた頃は、一週間で一度も口にできなかったような肉の塊が、ここでは当たり前のようにスープに浮いている。
「あ、ありがとうございます……マリー、お前もこっちへ来い」
「はーい!」
マリーが楽しそうに駆けてくる。あんなに痩せこけていた頬に、少しずつ赤みが戻ってきた。それだけで、俺はマサトさんに一生分の恩を感じていた。
だけど、この場所はただの優しい家じゃなかった。
「……シュゴオオオオオッ!! ガシャン! ガシャン!」
下の階からは、ほぼ一日中あの機械の唸り声が聞こえてくる。
マサトさんが蒸気機関と呼ぶあの鉄の塊は、俺たちが休んでる間もジャンさんやドニさんの管理下で休むことなくレースを編み続けている。
俺の主な仕事は、その機械の周辺の掃除と、石炭の運搬。それから、出来上がった大量のレースを一定の長さに切り分けることだ。
最初は、こんな簡単なことであんなご馳走を食べていいのかと不安だった。だけど、マサトさんは「単純な作業こそ、信頼できる人間に任せたいんだ」と言って、俺の頭を撫でてくれた。
……信頼。
スラムじゃ一番先に捨てられる言葉だ。それをこの人は、俺たちみたいなガキに平気で投げかける。
でも、俺は知っている。
この天国みたいな工房が、実は街のギルドからひどく恨まれていることを。
買い出しに行くたびに感じる、街の職人たちの刺すような視線。
「レオ、ちょっといいか」
休憩を終えた頃、マサトさんが下の階から顔を出した。
その顔には少し煤がついていたけど、目はいつになく鋭かった。
「はい、マサトさん。何でしょうか?」
「ちょっと、試して欲しい事があって」
連れて行かれたのは、例の雑木林だった。
マサトさんの手には、ドニさんが改良を重ねた銃が握られていた。
「いいか、レオ。これから街は荒れる。俺たちの豊かさを妬む奴らが、実力行使に出てくるだろう。レオ達にも万が一の事があるかもしれないから使い方を覚えておいてほしいんだ」
マサトさんはそう言って、俺にその銃を預けた。
ずっしりと重い。でも、嫌な重さじゃなかった。
マサトさんは俺の背後に立ち、構え方を教えてくれる。
「今の世界にあるどの銃よりも遠くへ、正確に飛ぶ。……さあ、あそこの木を狙って引き金を引いてみろ」
言われた通り、俺は震える指で引き金を引いた。
『――ズドォォォォォンッ!!』
肩に走る激しい衝撃。耳鳴りがして、硝煙の臭いが鼻を突いた。
次の瞬間、遠くにある太い枝が、へし折れて吹き飛んだ。
「…………っ!」
俺は絶句した。
今の俺が持ったのは、ただの道具じゃない。
この小さな指一本で、自分たちをいたぶってきた大人たちを、一瞬で 排除できる圧倒的な暴力だ。
「……これを、俺が使ってもいいんですか?」
「ああ。ただし、使う時は非常時だけな。いいな?」
マサトさんの黒い瞳が、俺の心を見透かすように光った。
この人は、俺に牙を与えてくれた。泥水の中を這いずり回るしかなかった俺に、戦う術をくれたんだ。
俺は深く、深く頷いた。
スープの恩、清潔なベッドの恩、そしてマリーの笑顔を守ってくれている恩。
それを返すためなら、俺はなんだってやるさ。




