第13話 産声
数週間後。
ドニ工房は、まるで地獄の釜のように熱く、黒い煤と蒸気に包まれていた。
「……できたぜ、マサト。お前の言う通りに組み上げた『怪物』だ」
油と煤で真っ黒になったドニが、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべる。
工房の中央に鎮座しているのは、木と鉄が複雑に絡み合った巨大な機械――世界初となる『蒸気力織機』だ。
横に据えられた分厚い鉄のボイラーからは、シューシューと白い蒸気が漏れ出している。
ドニの執念とも言える鍛冶技術によって削り出されたシリンダーは、蒸気の圧力を一切逃がさず、完璧な上下運動を生み出す準備を整えていた。
「ドニ、お前やっぱり天才だよ。まさかここまで図面通り……いや、それ以上の強度で仕上げてくるとはな」
「へっ、誰にモノ言ってやがる。だが、本当にこれが動くのか? 鉄の棒が上下するだけで、布が織れるなんて未だに信じられねぇがな」
「それについては、俺の出番だな」
得意げな顔で前に出たのは、ジャンだった。
彼の手には、緻密な模様が描かれた一枚の設計図が握られている。
「顔が広いってのは便利でね。昔、王都の貴族連中がどんなデザインのレースを好むか、嫌ってほど見せられてきたんだ。今回は、その中でも特に複雑で美しい『百合の花』の文様を型に起こしてみた」
ジャンは機械の心臓部である歯車群に、デザインを読み込ませるための木製の型をセットした。
ただの飲んだくれかと思いきや、こいつの商売人としての嗅覚と、デザインセンスは本物だ。
「……ラーブル、糸のセットは?」
「は、はいっ! 絹糸の張り具合、すべて調整終わってます! ……でも、こんな巨大な鉄の塊が動くなんて、本当に……?」
ラーブルが少し怯えたように、ボイラーの熱気から一歩下がる。
俺は全員の顔を一度見渡し、大きく頷いた。
「よし。歴史が動く瞬間だ。……ドニ、バルブを開けろ!」
「おうよ!!」
ドニが巨大な鉄のレバーをガコン! と押し込んだ。
「――プシュウウウウウウウッ」
けたたましい蒸気の噴出音が工房に響き渡る。
ガシャン ガシャンと重厚な金属音と共に、巨大な機械が生き物のように動き始めた。
蒸気の圧力がピストンを押し上げ、それが巨大な歯車を回し、無数の糸を張った織機を猛烈なスピードで動かしていく。
「うおおおっ!? ま、回ってやがる! 俺の機関が、止まらずに回ってやがるぞ!!」
ドニが興奮のあまり、ハンマーを振り上げて叫ぶ。
「おいおいおい……マジかよ。熟練の職人が一週間ぶっ通しで織るような複雑な模様が、みるみるうちに出来上がっていくじゃねぇか……!」
ジャンが目を見開き、信じられないものを見るように機械を見つめている。
ガシャン、ガシャンという規則正しいリズムと共に、機械の後方から純白のレースが滝のように吐き出されていく。
ジャンがデザインした百合の花の文様が、寸分の狂いもなく、しかも人間には不可能な圧倒的な速度で織り上げられていた。
やがて、セットしていた糸がすべて織り上がり、俺がバルブを閉じると、機械はゆっくりと動きを止めた。
工房を包むのは、ボイラーから漏れる微かな蒸気の音と、全員の荒い息遣いだけ。
「……すげぇ」
誰かが呟いた。それが自分の声だと気づくのに、数秒かかった。
「……マサトさん。これを」
沈黙を破ったのは、ラーブルだった。
彼女は機械から吐き出されたばかりの長いレースの束を抱え上げ、作業台の上に広げた。
「確かに、信じられない速さで、信じられないほど綺麗な文様が織り上がっています。でも……」
ラーブルは真剣な職人の目で、レースの端を見つめた。
「機械が力任せに織ったせいか、糸の端が少し毛羽立っていますし、張りが強すぎて少し硬いです。このままじゃ、貴族の肌に触れる一級品としては売れません」
そう言うと、彼女は愛用の裁ちハサミと、特殊な油が染み込んだ布を取り出した。
「ここからは、私の仕事です」
普段は気弱なラーブルの顔つきが、完全に『プロ』のそれに変わっていた。
彼女は目にも留まらぬ手付きで、レースの微細なほつれを切り落とし、特殊な油で糸の表面を滑らかに磨き上げ、形を完璧に整えていく。
無骨な機械が生み出した『工業製品』が、ラーブルの魔法のような手仕事によって、血の通った『芸術品』へと昇華されていく。
---数十分後---
ラーブルがふう、と息を吐き、額の汗を拭った。
「……完成です」
作業台の上には、アランソンの街のどの高級店に並べても遜色のない、いや、それらを凌駕するほど美しく、複雑な文様を描く純白のレースが輝いていた。
「マサト……俺たち、とんでもねぇモンを作っちまったな」
ジャンがゴクリと喉を鳴らす。ドニも無言でレースを見つめ、ラーブルは誇らしげに微笑んでいた。
世界初の蒸気機関。天才的なデザイン。そして、熟練の職人による完璧な仕上げ。
俺たち四人の力が合わさって生まれた、歴史を変える最初の一品だ。
……だが、問題点がないわけじゃない。
俺はふとボイラーの横に目をやり、内心で小さくため息をついた。今回一回稼働させただけで、ドニとジャンが方々を駆け回って必死に確保してくれた石炭の山が、すっからかんになっていたのだ。
出来上がったこの長さのレースを売れば、当然元は取れる。だが、この大飯食らいの莫大な燃料費を差し引くと、利益率としてはまだ、端切れをちまちま売っていた方が断然いい、という厳しい現実がある。
本格的に機械を稼働させていくなら、安く大量に買える石炭の安定した仕入れ先を早急に確保しなければならない。
俺たちの産業革命は、まだ産声を上げたばかりだ。クリアすべき課題は、山ほどある。




